【エッセイ】1人でスト●ップを見て泣いたいつかのメリークリスマス
クリスマスと共に思い出すあの頃
この時期になると思い出すことがある。
それは、数年前のクリスマスだ。
直前に彼氏と別れ、さらに12月いっぱいで仕事も辞めて有給消化中、
かつ次の就職先のことを考えてもいない私は人生史上最強にやさぐれていた。
学生でなければ会社員でもない、あえて役柄を充てるとするなら実家での家事手伝いという、すっからかんで曖昧で、ふわふわとした状態だった。
貯金なんてしていなかった私には、もちろん金もなかった。
それでも私を置き去りに、街中は例年と同じように浮かれている。
これでもかというほど。
今までクリスマスは、彼氏の有無にかかわらずだいたい働いていた。
学生時代は街のケーキ屋で働いていたのでクリスマスは一番の繁忙期だったし、
新卒で探偵社で働いていたときも、街の雰囲気にうかれた浮気者のおかげでクリスマスは稼ぎ時だった。
だが、今年は仕事がない。気を紛らわすことができない。
意識してはならぬ、と自分で制約をかければかけるほどより意識してしまうもので、街を歩いているだけで頭がおかしくなりそうなほどクリスマスワードが目についた。
おひとり様限定のクリスマスパーティーを友達と開催しようかと思ったがそれほどの元気もない。なんだかもう、いろいろめんどくさかった。
余計に寂しくなりそうだし。
かといって家でじっとしているのも、なんとなく勿体ない。
クリスマスイブ当日。
とりあえずあてもなく家を出た。午後三時。
凍てついた風に、猫背の背中をさらにぐぐっと丸める。
どこに行こうか。あまりクリスマスを感じない場所が良い。
そうだ、浅草にしよう。
あそこなら下町の和風な土地だから、きっとキリストさんとも縁がなくって、クリスマスなんて文化は存在しないだろう……
クリスマス?しゃらくせぇ、と江戸っ子が一蹴してくれるに違いない。
そんなわけはあるまいに、そう思い込んだ私はふらっと都営浅草線に乗り込む。
いざ浅草へ
浅草寺の境内は素通りし、左に折れて、ホッピー通りへ直行する。
モザイクのビニールで風避けされていて居酒屋の店内は見えにくいが、楽しそうな声が聞こえる。今の私にとってはジングルベルより幸せを誘う。
ひとり飲みをすることは普段から慣れているので、集まっていたおじさんたちと相席で一杯飲んだ。
いやぁ、なんか楽しいですね!と適当な会話をしていると、ちょっと気がまぎれる。熱燗をおごってもらい、ふらふらとそこを後にした。
これからどうしようか、と思いながら歩いていたところ、
目に入ったのは浅草のストリップ劇場だった。
「ロック座」
うん、名前がいい。
美しい女性の看板が並び、その奥にはたくさんの花飾り。
なんて華やかな場所。
前からなんとなく興味はあったけれど、なかなか踏み込めなかった秘密の園。
そうだ。ここで女の人の裸体を観るクリスマスもいいな。
これはお導きだ、そうに違いない。
花の香に誘われるようにしてあっさり施設の中に入っていく。
陽は傾きかけており、西日が眩しかった。躊躇いや、恥ずかしさなどなかった。
だって今日は、クリスマス。
少しくらいいつもと違うことをしてみたい。
酒を飲んだ私はすっかりご機嫌だった。
ストリップ劇場へようこそ
チケットを買うと、もうすぐ次の回がはじまるよ、と受付のおじさんが出番表の載ったチラシを渡してくれた。
途中入退場オッケーで、結構ゆるいらしい。
ストリップ初心者である私は、ドキドキするね!とか言い合える仲間もおらず、ただただひたすら裸体はまだか、と無言で後ろのほうの席につく。
しばらくして、古びたブザーの音。
開場の合図のようだ。
暗くなる場内の前方にスクリーンが降りてきて、そこに映し出される数名の女性たち。
彼女たちは一言も言葉を発することなく笑顔でお辞儀をする。
ここのストリッパーたちなのだろう。
素人っぽい演技がかわいらしくてきゅんきゅんする。
「一緒に拍手の練習をしましょう」
となぜか字幕画面が流れた。無声映画スタイルだった。
場内には大音量で「幸せなら手を叩こう」が流れる。
タイミングを合わせて手を叩いてください、とまた字幕。
しっあわっせなら手をたたこう♪ パンパン
しっあわっせなら手をたたこう♪ パンパン・・・・・・
あぁ、なんて。なんて、シュールな空間。
周りをみると常連と思しきオジサマ方は画面を見つめたまま素直に手を叩いている。
私も手を叩く。
幸せの意味を考えながら。
しあわせなら態度でしめそうよ・・・
私は今、幸せか?
ちょっとセンチメンタルな気分になったところで、無言の練習が終わり、幕が下った。
いよいよ女の子たちの登場である。
愉快でハイテンションなジングルベルがかかる。
はっとした。
悲しいことに、逃れ逃れ辿りついたこのストリップ劇場でもクリスマスの呪縛からは逃れることはできなかったのである。
むしろ今日はクリスマス特別公演だったと、ここにきて初めて気が付いた。
しくじった。完全にしくじった。
上手からサンタの衣装を身にまとった女性たちが10人程出てきて、
キュートなダンスを軽々と披露していく。
しばらくすると、ひとりひとり手を振りながらサンタがはけていき、そうして一人のサンタが残される。
この展開はまさか。
まさか。
サンタストリップ――
私は息を飲んだ。
これは、私の希望そのものではあるまいか。
そうか、そういうことか。
今日はここで、サンタの衣装を剥ぎ、クリスマスを脱ぎ捨てるんだ。
さようならクリスマス!!
予想通り、サンタは真っ赤なひとつずつ衣装を脱ぎ捨て、もうすっぽんぽんである。
サンタの名残などない。
烈しいダンスミュージックに、先ほどの拍手練習のおかげか、息のあった合いの手を入れるお客さん。
ダンサーはセンターロードの先に座り込み、つま先を伸ばし、びしっとかっこよく足を上げると、床が中華屋のテーブルのように回転した。
お客さんすべてに、すべてが見えるような状態になる。体が柔らかい。
また大きく拍手がおこる。
(すごい・・・奇麗・・・)
そう思うと同時に、私はここにきて疑問が湧いてきた。
これは、果たして官能的と呼ぶべきものなのだろうか?
というよりもここにエロさを求めてよいのだろうか?
照明に照らされた裸体は美しく滑らかで、無駄がなく、
まるで神の作り賜うた彫刻のようだ。
これに対して、こんなにも美しい彼女に対して、
邪な目で見るのは背徳的行為なのではないだろうか?
彼女は己の体に何かを纏ってごまかしたりしない。
服や髪型で雰囲気を作ることもなく、シンプルに身ひとつで情熱を表現し、内側から湧き出る感情を剥き出しにしている。
あぁ、なんて美しいのだろう・・・・・・
ストリップ開始から5分。
気が付くと私は顔を正面に向けたまま、泣いていた。
両目からマンガのようにつぅ、と涙が溢れた。
いや、なんで泣いたのかなんて自分自身もわからないし、今改めて考えるとあのときの精神状態が怖いのだが、そのときはとにかく訳もわからず胸が熱くなってきて号泣した。
ありがとうストリップ。
ありがとう女の子たち。
まるで、フランダースの犬で最後に少年と犬が天に召されるシーン。
あの白い光と天使が迎えにきたような神々しさが、
信じがたいことにここ浅草で完璧に表現されている。
柔らかな光が白い躰を包み、彼女たちは私たち客の姿など見えないかのように自由で野性的だ。
全裸のまま、ここが草原かなにかであるように、嬉しそうに飛んで、跳ねて、を繰り返している。
観に来てよかった。
私は結局、4時間そこにいた。ただただ楽しかった。
こうして、クリスマスは終わる
帰りに腹が減ったので立ち食いソバ屋に寄って一杯すすっていくことにした。
先ほどの余韻に浸ろうと、
劇場で目をつけていたすてきなプロポーションの女性のブログを閲覧する。
美しい彼女はバックステージの写真を見てもやはり素敵だった。画像を保存しながらソバをすする。
店の外で、大学生と思しき集団が「くーりすまっすが今年もやーってくるー」
と酔っ払いながら能天気に竹内まりやを歌っているのが聴こえた。
「そうか、今日クリスマスだっけ」
ふと我に返ったけれど、
四時間みっちり裸体を見た私にはもう、クリスマスなぞ敵ではなかった。
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