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メリハリとケジメ

Lazy という言葉がある。発音はレイジーだ。

クレイジー crazy とは別物。Crazy はぶっ飛んでる感じのバカさを表現する言葉で、一方の lazy は「怠け者」と訳されることが多いが、ゆるい感じのダラダラ感を表現する言葉。

Lazy は最近巷でよく耳にする chill というやつの形容詞版のようなものだと思ってもらうといい。ちなみに chill は動詞。

What are you doing? (今何してんの?)
I’m just chilling at home. What’s up?  (家でゆっくりしてるだけよ〜。どうしたの?)

という具合で使う。Lazy を使って同じことを I’m just being lazy at home. What’s up? と言うこともできる。

最近、メリハリとケジメについて考えている。そこで lazy という言葉に至った。

気のせいかもしれないが、年齢と共に、メリハリもケジメも少しずつ存在が遠くなる。いつしか「自分で自分を許す術」を私たちは取得する。それを行使すればするほど、どんな技術もそうだけれど、腕が上がる。やがてこの術はいろいろなものを「手放す術」に昇華して、中年を謳歌するのだろう。

いやいや、このままではいかん!ケジメをつけよう!と、毎年飽きることなく年末に思うのだが、今年はふと lazy という言葉の柔らかさに気づいた。

I am lazy. と言うとまさに「私は怠け者です」というニュアンスになるけれど、英語では大抵、進行形の I am being lazy. 「ゆっくりしている」という形で使う。

そうだそうだ! Chill しても lazy に過ごしてもいいじゃないか。40年くらい一生懸命にシャカリキ生きてきたんだもの。一過性の休憩、憩いの時、人生の踊り場だ。何年間、そうして良いのかは知らない。でも、メリハリとケジメは、がんばらない時間をたっぷり取ることによって生まれるはずだ。

ランニングのトレーニング法で、走り続けるのではなく、走る歩く走る歩く走るという具合に緩急をつける方法がある。持久力が上がり、怪我を防げるそうだ。生きることも同じだな。がんばり続けると怪我する。体を傷つけなくとも心の怪我は大いにあり得る。

だから、こうするのはどうだろう。

1日の中で、私は起きたての時間に一番生産性が高い。そして10時を過ぎる頃からガクンと集中力が落ち込み、14時から16時辺りは壊滅的だ。とにかく気が散る。また、日が暮れると脳が繰り返しシャットダウン申請をしてくる。そんな残念な人間だから、思い切って作業は午前中だけする。そして、昼間は外の空気を吸いに出るべきだ。

さらに、年間を通して、同じペースでがんばるのではなく、がんばらない時期を設ける。例えば、1か月がんばって、1か月がんばらない、次は2か月がんばって、1か月がんばらない。ほら。そうするとメリハリが生まれる!

人生は長い。いや、短いかもしれない。わかっているのはいつ終わるかわからないということだけだ。だからこそメリハリをつけて、自分にやさしいケジメをつけさせたいものだ。

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