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1000円で買える贅沢

喫茶店が好きだ。


地元ラジオの軽快なトークが流れていて、日当たりがよくて、人懐こい笑顔のマスターが温かみのある木目の椅子に腰掛けて常連さんと駄弁っているような明るい喫茶店も、BGMがない中無骨なマスターが丁寧にコーヒーを入れている音とお客さんたちの笑い声が聞こえて来る温かな喫茶店も、小ぢんまりとした店内のカウンターに本が所狭しと並んでいて、ジャズが小さく流れてくるお洒落でレトロな喫茶店も、好きだ。


コーヒーが好きで、煙草も嗜む。
コーヒーか紅茶かと問われたら、断然前者を選ぶくらいには。




喫茶店に通うようになったのは、高校生のとき。
叔母の元同僚さんが、わたしがいつも乗るバスの終点から徒歩10分くらいの場所に喫茶店を開いたのである。


1階にはシックな木のテーブルと椅子が置いてあって、カジュアルな布小物でマスターの作る陶芸作品が小物として彩りを加えている。薪ストーブと水出しコーヒーを淹れるためのが大きなマシンが目を惹く。日当たりがよくて、陽気なマスターがいる。2階は親子連れでも楽しめるよう、おもちゃが置いてあった。明るくて美しい喫茶店だった。
叔母の紹介で行くようになり、それからは一人でも通った。友達も連れていった。ただカフェインを摂るために飲んでいたコーヒーが、ものすごく美味しくて奥が深いと知ったのはその喫茶店がきっかけだった。マスターが自ら作った美しい陶磁器に入って出てくるコーヒー。芳しく豊かな香り。コーヒー豆の酸味や雑味が苦味を立てる。感動して、高校生の少ないお小遣いで通った。1杯500円、スイーツと合わせると1000円ほど。極上のコーヒーとスイーツを楽しみながらテストの内容を詰めたり、或いはテスト終わりのご褒美に、肩の荷物を下ろして美味しいランチに舌鼓を打った。気分転換に本を抱えて、あるいは優しいマスターに愚痴を聞いてもらった。成人してからは、持ち物に煙草を加えて。
マスターが丁寧に入れた水出しコーヒーが、本当に好きだった。
コーヒーチェーンのコーヒーが物足りなく感じるくらいに。


ドアを押したわたしを「よく来たねえ」と笑顔で出迎えてくれる陽気で優しいマスターは、わたしが叔母の知り合いで常連ということもあり、バスで終点まで乗って喫茶店に訪れたわたしを、自家用車でわたしの家の近くまで送ってくれた。「遠いのに来てくれてありがとう」と言って。


その喫茶店は、もうない。マスターは事業から手を引いた。同じ建物には別の経営者さんが入って、レストランになった。
一部のメニューは、そちらに引き継がれたと聞いたけれど、あの優しいマスターのいる喫茶店の記憶を上書きしたくなくて、わたしはまだ足を運べていない。




喫茶店は、時間の流れがすこし遅いように思える。
人々がコーヒーないし紅茶、食事、或いはマスターとの会話や雰囲気を楽しむために集まって、全員が似たようなメニューを、そしてマスターが作った空間自体を楽しんでいて、美味しいコーヒーと美味しい食べ物がそこにあって。なんて贅沢な時間だろうと、思う。




喫茶店で煙草と美味しいコーヒー、そこにスイーツが加わるときもある……を味わいながら本のページを捲るゆったりとした時間、わたしは肩の上に抱えている荷物を全部テーブルの上に下ろせたような、軽やかな気持ちになる。そのまま本の世界に潜っていく時間が、至福だと思うし、贅沢だと思う。
ゆびさきでクリーム色のページをなぞる。それはわたしにとって甘やかで、濃密で。


コーヒーが飲めるひとも、飲めないひとも、喫茶店に行って、その空間を、時間を、楽しんで欲しい。
1000円で買える贅沢が、そこにある。




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