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古民家珈琲焙煎所を作っています

お久しぶりです。
なにかと忙しく過ごしています。
というのも、昨年DIYを進めていた古民家を「コーヒー豆屋さん」にするべく進めているところなのです。
とにかく修繕費がかかるのが古民家というものですので(今年の冬は少雪だったのに窓が割れてた…)
今年こそ!商工会の補助金を得て開業したいと書類作成を頑張っていますが、これまでの人生、作ったことのない計画書に頭をひねり、商工会でご指導いただく日までドキドキする日々。
ドキドキしつつも、頭の中にぼんやりとイメージしてた古民家焙煎所が、なんとか書類上にはですが形になってきたぞ!と達成感があるのも勤め人時代を思い出して懐かしいのです。


発達障害児と不登校児の支援をしたくて教師を退職


発達障害児と不登校児の支援をしたいです!と宣言し教師をやめて、その後、運良く一年間、フリースクールに勤めました。
支援対象はたくさんいるのに、どこからも補助金が出ず、月謝収入のみの厳しさ。フリースクール経営の難しさを知りました。
しかし不登校児支援はぜったい必要です。ある支援者がおっしゃってましたが、現在の不登校児を救うことが将来の引きこもりの絶対数を減らすことにつながる、と。
長い人生、引きこもり時代があっていいと私は思いますが、中には辛いときにサポートがあれば…という子どももたくさんいるでしょう。
だけれども、この分野でNPOの立ち上げは難しそうだ、とも感じました。

娘が不登校になり、不登校児の親こそサポートが必要だと知った

そうこうしているうちに、自分の娘が不登校になりました。半年の完全不登校を経て、少しずつ登校するようになった昨年は、娘の登下校に合わせて自宅待機する日々。そもそも待つことが苦手で、美味いもん食べるために行列などぜったいしない自分には、修行のような毎日…。
学校やフリースクールで、さまざまな子どもを見てきたので、ここで無理をさせてあとで燃え尽きてしまうより、あせらず時間をかけて本人の気持ちの変化を待とう、と考えていました。が、言うのは簡単ですけどこれがなかなかの苦行でした。
そして娘は超マイペースな性格で、決して母の気持ちを汲んで無理しよう、とはしなかったです。我が子ながらあっぱれ、だと今は思います。今はね!

自宅と学校の往復だけで、ふと気づくと、出迎えてくださる教頭先生としか話していない日もありました。とにかく孤独、不登校児の母。
不登校児の親の気持ちを理解することができたのは私にとってはすごくよかったと思います。
今までは子どもの方にしか注目してこなかったので、親の立場に立ってみて初めて見えてくるものがたくさんありました。
不登校児のみならず、その親御さんのサポートが必要だと考えるようになりました。

私にできることは何か、考えに考え続けた一年間

それでは私には何ができるだろうか?
私の手持ちの資産と呼べるものは、
○古民家
○教師としての経験
○フリースクール勤務経験
○不登校児の親としての経験

と、この四つですが、かといってフリースクールをスタートさせるには経営の不安があります。
無料塾も惹かれましたがとにかく経営が不安。無料だけに。
なにか軸となる違う事業を展開しその脇でサポートできたらな。私にできることあったかな…と考えてみたところ、ありました。

そうだ、コーヒーの焙煎が好きだった

昔、コーヒー豆屋さんでアルバイトをしておりまして、そのお店では焙煎も教えてもらえたのです。
私はコーヒー大好き。というか教師はだいたいコーヒー好き。生徒が無事帰った一日の終わりにしみじみ飲むコーヒーほどしびれうまいものはありません。
コーヒー好きが高じて、家では豆からひいて、ケメックスで淹れてます。フィルターは繰り返し使えるエーコンのステンレスタイプ。って前どこかで書きましたね。

焙煎をしていたとき、すごく幸せでした。
今思うとあれは直火式の、慣れるまでコツがいるタイプの焙煎機でしたけど
豆のはぜる音を聞きながら焙煎するのがすごく楽しいんですよね!
あのときの経験を通して、私は深煎りが好き、ブラジル産の豆が好きなことに気付きました。
ピーベリーとかころんとした球形がめちゃ可愛いくて焼きたくないほどです。

娘の送迎のため待機していた冬の日、ある方のブログを読んだときに、焙煎が好きだったことをまざまざと思い出しました。
その方は副業として、焙煎業を営んでいらっしゃいます。
そっかー、焙煎機って買えるんだ!
と思いました。

そこからが始まりでした。

長くなったので続く。

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