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飛びだす絵本のような映画『フレンチ・ディスパッチ』

現在後悔されている、ウェス・アンダーソン監督の最新映画、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。

Twitterでこの映画の制作のニュースが流れた瞬間(2年前になるのかな?)からずっーーと公開日を楽しみにしていた作品。
公開日に観に行った。
モノクロとカラー、そしてアニメーションが混在するその映画にとても衝撃を受けた。
まるで「飛び出す絵本」のように、次何が起こるか分からない。
少し怖いような、でもワクワクしてページをめくらずにはいられないような…幼き頃に置いてきてしまった、真っ白な好奇心がくすぐられるような、そんな映画だった。

しかし、多くの人が言うようにウェス・アンダーソンの世界はクセが強い。
画はキレイでかわいらしく、ドイツやチェコの街並みのようなかわいらしさはあるけれど、話は突拍子もなく、字幕が多い。
少しボーっとしていると、あっという間に置いていかれてしまう。
ウェス・アンダーソンの作品は「考える」ものではなく、「感じる」ものだと思う。
1回目鑑賞をしたとき、私は混乱してしまい、この映画を自分の中で昇華することができなかった。
日が経つにつれて、TwitterでもInstagramでも、『フレンチ・ディスパッチ』の広告が流れてくる。
もっと、この物語のことを理解したいと思った。
気が付くと、私はまた『フレンチ・ディスパッチ』の映画鑑賞の予約ボタンを押していた。


『フレンチ・ディスパッチ』の感想

まずは、この映画を観た感想を述べたい。
監督のやりたいこと、好きなことを詰め込んだ作品だ。
なんて遊びがある映画だろうと思った。
監督が作りながらワクワクしている様子が目に浮かぶような飛び出し絵本みたいな映画だった。

私はウェスアンダーソン作品は3作品しか観たことがなく…とにかく彼のペースについていくことにとにかく必死!
字幕にもなかなか追いつけず、話を理解しようと務めたけれど、途中で諦めて、次は何が出るかわからないびっくり箱のようなストーリー、映像を後半は観ることにした笑笑
アニメーション、白黒、カラー、ジャンルが違う画を盛り込んでいてワクワク。

ぶっ飛んでコロコロ画が変わっていくウェスアンダーソンの世界はくせになってしまう笑笑

ウェス監督の好きなところ

ウェス・アンダーソン作品の何が好きかって人がすぐに死んだり、ふっとんだり、ところどころにブラックユーモアをぶっ込んでくるところ。
コミカルに「死」を描いている。
「死」は物語では仰々しく描くものが多い。
でも、実際の死ってウェスが描くようにあっさりしたものかもしれない。と思う。我々は「死」を重くとらえすぎなのでないか。
クサヴィエ・ドラン監督の作品に『たかが世界の終わり』という映画がある。その人自信の世界が終わるだけ、と軽くとらえてもいいのかもしれないいと、最近思う。
人間、私も含めてだが、死を異常に恐れてしまうところがある。
海外の監督の作品映画を見てみると、もっとフラットに考えてもいいかもしれないなと思う。
まだ私はやり残したことがたくさんあるので、まだまだ生きるけどね!!

あと鉄砲の打ち合いとか、殺人のシーンとかコミカルにおもしろおかしく描いてしまうところが好き。
そう、あっさりとダークな部分をこびることなくサラッと描いてしまうところが好きだ。
なんか、そう時折見せる皮肉な表現が私にはハマっている。

世の中の人は、みんな顔は笑っていながらも、心の中ではどす黒い感情が渦巻いている。嫉妬、性欲、自尊心…。皆、あえてそれを表に出さず、日々のコミュニケーションをとっているのがとてもおかしい。
それをあえて可視化し、皮肉っている、そんな人に私は惹かれるのかもしれない。
だから、ウェスが描く人間の内なる暴力性を可視化させコミカルに描くシーンに好感を持っているのかも。
本人の意図とはだいぶずれていると思うが、私はそう思う。


2回も観にいってしまったのは


なぜ、この映画を2回も鑑賞したのだろう。
それは、私もウェスと同じ紙媒体を愛しているからなのではと思う。
私は、漫画も本も雑誌も「紙」で読むのが好きだ。
漫画もわざわざ5駅先のTSUTAYAに行って、お金を払って借りる。
本も図書館に行き、借りて読む。
気になる本は、Amazonでポチる。
紙は安心感を与えてくれる。
「ここにいるよ」と本が私に伝えてくれる。
全てがネット上で全て済んでしまうこの時代。
何があるか分からず、不安定で、何を信じていいのか分からないこの時代。
そんな中紙という物質的なモノは、安心できるものだと思うのだ。

そして、紙だからこそできる表現があると思う。
例えば、漫画だと2ページに渡って大体的に描く描写とか。
雑誌もそうだ。紙だからこそ見せられる表現があると思う。
大学生時代、フリーペーパーを制作しており常に「紙だからこそできること」を考えていたからというのもあると思う。

最近、周りの友人たちはみんな電子書籍で、本も漫画を読む。

今回の映画は、監督の「雑誌への愛」があふれていると思う。
雑誌をめくるような、モノクロとカラーで構成されたこの映画。
雑誌を映像化してしまうほどの監督への愛。
そんな監督の愛に私も共感してしまったのだろう。
だから、何日経ってもこの映画の余韻に浸ってしまったのだ。
生まれて初めてパンフレットを買ってしまった…。
1回読んだけど、もっともっと読み込んで、アンニュイの街を想像しながら余韻に浸ろうと思う。

まとめ

どの話も好きだ。
1話目の、レアセドゥの美しさと監守と罪人の恋模様が好き。
あの二人の、結ばれないけどお互いのことを理解し合っている関係性が好きだった。
2話では、記者が若者たちに「言い争いよりセックスを」のセリフも好きだった。
若者たちは正義のために戦おうとするけれど、それよりも目の前の人と愛しあいなさい、自分たちの欲望のままに生きなさいみたいなふうに私は受け取った。若者は他人の人生よりも、自分の人生に貪欲に、ワガママになってもいいかもしれない。
後悔しないように好きな人のことを全力で好きでい続けようと思った。
3話目は、シアーシャ・ローナンの青い瞳に見惚れてしまった。
ネスカフェの「置き去りにしたものを探している」という言葉に惹かれた。
みんな、自分の中に足りないものを常に探しながら生き続けているのかもしれない。

この映画は、きっと忘れられない私のお気に入り映画に伝統入りする。
出会えてよかった。

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