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死生観を定める

昨日の夜、ちょっと不思議なことがあった。

思いついて以前から友の配信に興味のあったクラブハウスを新しい携帯にインストールし、聞き方も何も分からないので明日から友のイベントを聞けるかなと思って携帯をいじっていた。夜8時頃の話。

全く何のことか分からないけど、こうすれば聞けるのかなと思って画面の一番上にたまたま表示されていた「自己実現の心理学サロン」というのをタップしてみたところ、

野口嘉則さんという方がちょうど「死生観を定める」という話をし始めたところだった。1時間半くらいの話となるようだった。

全部聞こうというつもりはなかったけれども、少し聞いていたら、

ーーーーー
成功した経営者は大病か投獄か戦闘を経験していると言われている。
それで死生観が定まっている。
余命宣告されても死ぬまではまだ生きてる。
今日が最後かもと思って生きることが最大の能力開発。
ーーーーー

というような話が始まって、すごく興味深く感じて聞き続け、トイレにも行けなくなって困ったけれども途中から何かこれはと思ってメモも取り始めた。

7月の田口佳史先生の横井小楠の講義でも、「横井は遅咲きの人であって、29歳でやっと熊本藩の中で認められ、江戸留学にも行って全国レベルで認められ始めたところ、酒乱で宴席で刀を抜いてしまい、極貧のうちに謹慎を命じられたがその間に学問のし直し、人生観の立て直しをした。」

というお話があって、その時に先生が、「こういう時期が人生に必要で、本を読んで生活できる時間なんて普通ない。だから左遷とか、大病をして2年間仕事もできないとかいう時間は、待ってましたと思うべきだ。」

とおっしゃって、それもすごく印象に残っていたんだけれども、この時先生のおっしゃった「人生観の立て直し」というのは、死生観を定めることも入っていたんじゃないかと感じた。

私が今の病気の治療と療養の生活を、どう過ごすべきかのヒントになるような気がした。

クラブハウスで聞いた話は、以下のようなものだった。
ワークをやってみようかと思った。

ーーーーー以下クラブハウスメモーーーーー
(野口嘉則さんのお話)

成功した経営者は大病か投獄か戦闘を経験していると言われている。
いずれも死を覚悟する経験で、それで死生観が定まっている。
余命宣告されても死ぬまではまだ生きてる。
今日が最後かもと思って生きることが最大の人間の能力開発。

大病・投獄・戦闘のいずれも経験しなかったとしても、
あと3日しか余命が無いとしたらどうするか
真剣に考えて行動を変えることもできる。
→両親に電話で伝えたことのない感謝を伝えたゲストの方のお話があった。

ガンジーの言葉に、
「明日死ぬと思って生きなさい
永遠に生きると思って学びなさい」
というのがある。

「メメントモリ」は死を忘れるなという意味。

ハイデガーは、
「死を意識することで初めて生が輝く」と言った。

死生観が定まると何がいいのか。
感性が研ぎ澄まされる。
茶道の精神にもあるけれども、今は二度と巡ってこない。
そういうことが敏感に分かるようになる。

ビクトールフランクルの「夜と霧」では
収容所でいつガス室に送られるか分からない人が、
夕焼けが美しいと感動するエピソードが描かれている。
夕焼けは毎日でも見られるかもしれないけど
収容所にいる人にとっては今日が最後かも。

加賀おとひこさんという人がいて、
死刑囚と無期囚を比較した研究結果がある。
死刑囚は心の躍動感が大きい。死刑囚は明日死ぬかもしれない。
無期囚も表面的には朗らかだけど、心の躍動感があまり無い。
彼らは死刑にはならないのでただダラダラと過ごしている。

私たちは本当は死刑囚と同じ。
いつかは死ぬし、それがいつかは本当は分からない。
ところが私たちは無期囚に似ている。

死生観が確立すると腹が座る。
本当に大事なことをやるようになる。
大変なことが起きても腹が据わっている。
会社潰れるくらいのトラブルでも命取られるんじゃないだろみたいな。

現代人は死に触れる機会が少なくて死が遠くなってる。
人が死ぬ瞬間に立ち会ったことがない人増えてる。

ブロニーウエア(緩和ケアの仕事をしている人)の
「死ぬ瞬間5つの後悔」という本がある。
死ぬ瞬間に物やお金が欲しい人はいない。
代表的な後悔は、
1 自分に正直な人生を生きれば良かった
2 仕事を大切にして家族や友人を大事にできなかった
3 思い切って自分の気持ちを伝えれば良かった
4 友人と連絡を取り続けておけば良かった
5 幸せを諦めなければ良かった

カールベッカー(京都大学・死生学・ターミナルケア)
人生で幸せだったことが多くの人にとっては達成ではなくプロセス。
困難を乗り越えるとかトラブルで仲間と泣いたり笑ったり。
そもそも人生はプロセス。

ワーク1
自分がどのように死を迎えたいか。
それを家族に伝えておくといい。
治る見込みのない病気での延命措置はしないで欲しいとか。
痛みの緩和ケアはして欲しいとか。
余命宣告は知りたいとか。
日本尊厳死協会のリビングウィルが参考になる。

ワーク2
天寿をまっとうした自分の墓碑銘を考える。
西洋のお墓にある「(どんな人間)ここに眠る」というようなもの。
書いてみたら、誰にも見せずに自分で大事にする。
人の評価が大事なのではない。

人間の命を砂時計に例えると、
砂が落ち切った時に人生が終わるけど
いつ終わるかは分からない。
どんな死を迎えるかは今どんな死生観を定めているか。

現代社会は生だけしか見ないようにしているけど、
生と死はセット。

本当に死生観が定まると死への恐れは和らぐ。
命尽きる最後まで生きようと思うように。
だから自殺の原因になるということはない。

→最後に、ノーマコーネットマレックの詩
「最後だとわかっていたなら」の日本語訳を
野口嘉則さんが読まれました。
(ネットで検索すると日本語の歌詞が読めます。)

ーーーーー以上クラブハウスメモーーーーー

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