あの背中の窪みは私がうずまる為の窪み。
相手のことを知りたいと思ったときに、まずは自分の受け取り方、考え方、自分のことがわかっていなければ、相手のことを理解できないのではないかと思った。
相手が起こした行動に対して自分がどう思うのかどう感じるのかまず自分で自分を予測できるだろうか。
予測には相手への不安や期待や願いだったり欲求が含まれると思う。
想定外、想定内、単純に良い悪いで判断できないしそんな単純でないか…。
忘れるな。事実と感情の切り離し。
相手を気持ちを思うにしても、どうしても自分の気持ちが乗っかる。相手の感情抜きにした、自分のエゴ、自分の気持ちだけでしかないから、相手のことを理解すること、相手の気持ちを分かろうとするっていうのがそもそも不可能。
今だって相手がどう思うか、相手がどう表現するかどうなるかなんて分からなくて
それを見た自分がどう感じるかであって、
相手の事は絶対に自分が掴むことなんか
できない感情、事柄だっていう事にいきつく。
相手の気持ち、わからない。そりゃそうだよな〜という。
ただ少し、刷り込みなのかわからないけれど、
相手の気持ちを分からない状況というのが
やっぱりどこか悲しくなって
どうやっても理解し合えないもの
ということに、なんだろ。
しょうもない悲しさが残る。
自分を知り、相手を知ろうとし、理解し合えないからこそ、お互いの気持ちを伝えあって、100で無くても、それとなく同じような気持ちでいるって言うことの大切さ、貴重なこと。
滅多にあることではなく
そういったことがいわゆる尊いこと?
だからこそ、例えば愛してるのであれば
愛し合えていると伝えること
かけがえのない存在だと大切に思って
いとおしい、好きだってことを
おおよそのくくりでもいいからそう思っている。
とあえて伝える事の重要さ。
大切以外の表現が出てこないけど
相手からのなにかしらの大切を感じていなければ
感じ取れなければ、感じ取ろうとしなければ
なにも自分の気持ちに繋がらない。
大切な人の気持ちをわかりたいと
どうしても思ってしまう
その衝動には
仮定だとしても思いあいたい。
安心したい。
その人のことを心底好いていたい。
でも本当は好いた人から
好きだとおもわれたい。
変えの効かない存在でありたい願望がある。
家族でも思い合わなくなってしまう時が
来ることを知ったから、
余計に今の私は築いた新しい大切な家族と
死ぬまで思い合いたいと願ってしまう。
エゴなんでしょう。
大切な存在ではない。と、そうなってしまったら仕方ない。って思えるほど、割り切れてなくて、まだわかんないけど、割り切れたらもう少し楽に繋がるはずなんだろうなとも予測してる。
自分の今と過去が別物と
まだ割り切れてないのか。
残念。とりあえずどんまい。
もう傷つきたくないと
防ごうとする自分。
お願いだから、いなくならないでと
情けない感情が浮かんでくる。
あーあ!ファザコンだなぁ!
彼は父親と別物なのにねえ。
関係が終わる時、
どっちかの心が折れたら、
本来もうそこまででしかなくて。
真摯にその人のことを思ったら
嫌いの上でも一緒にいて欲しいを
強要するのは意味のない事。
とは分かってるけど
自分が好いているその人を
どうしても今は離せない。
離れても仕方ないって思えないのが本音。
なのに、わたしはつい、
相手が私から離れるとか、
いなくなるとか、
自分で自分を
悲しくさせるような考えを始める。
そんな事もあるかも、ないかもしれなくても
大切に今を今のこの一緒にいる時間
一緒に居られて、共に時間を過ごせていることの素晴らしさをもっともっと自分の中で感じとれば、こんな妄想に悲しくなることがないのに、なぜそこを見れないのか。
そこ見落とせて、なぜ悲しさが勝つのか、不安とか。
願いとしては、もっとそんなことより
今一緒にいること。
明日も一緒にいれることを
もっと喜びとして変換して
自分の中で彼を唯一のあたたかいものとして
、受け入れて大切にしたい。
できることなら。変わりたい。
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