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批判的思考の反芻。

批判的思考の反芻。

私の今日の気付き。

何事も話を先読みしすぎず
突っ込みどころをうやむやにしない。

突っ込みどころがあってもいい。
言わなくても、言ってもいい。

私は、基本的に友好的に
接すると決めた人に対して
基本的には取り急ぎ、
分かった気持ち、理解した雰囲気でいれば
話しが次に進み、進みながら
大枠を理解していく流れを
取る事がある。あった。

なぜか。

・話を進めたい。
・または、終わらして次に進んでほしい。
・真摯に話を聞く態度。の過去の刷り込み。
・疑問、批判についてのネガなイメージ


しかし、今の自分の中では話しの内容によっては
コニュニケーションにおいてのディベートとしてとらえることができる。

あいてによるけどね。

「私は○○について○○と思います。
理解はできませんがその気持ちを想像はできます。」

といったコミュニケーションが基本となれば
持っていたい他者との当たり前にある違い。異なる輪郭。を
自分にも作り、自分を守る事が出来る。と思う。

私は塩梅を知った。

確かではないけれど、「分かる~!」の便利さで
大体の話が進んだり、集団の統一感を感じていた。
これは協調性なのか。良いイメージ持たれている協調性とは。

過去はそれでいる事が私の「良い」だった。

理解し合える事、が良い。
とは → 否定しない。疑問を持たない。

お友達とは仲良く、 
→ 否定しない、疑問を持たない。

失礼ないように。
→ 否定しない。批判しない。

皆にやさしく、
→ 否定しない。批判しない。

決まったルールをはみ出さない。
→ ルールを決めた人の指示を聞く。
集団と異なる自分の意見を尊重しない。

言い出したらキリがないけど
当たり前について、
人格形成時に刷り込まれた事について
「そんなの当たり前じゃねぇからな。」と
理解が出来て来ている自分をほめたい。
(支離滅裂)ははw


ただ、素直な他者に
リスペクトを持つ事を忘れずにが前提ですよ。


実際のところ、なにがよいのか。
どう悪いのかなんて

分かっていない子供に、もっとなんかいい方法で
刷り込んであげてよ。かわいそうに。
小さいころの私を大切に育てててよ~。
としょうもない事、思ったけど。

恐らく、現状でも繰り返しの教育は
行われているし、自分ちの子供にすらそれの
制御なんてできないわけで。

近い所は父親、祖父祖母、
遠く、責任がないが、
なかなかの影響力を持つのは
教育施設、保育園、学校。


私もマスターでもなければ、
単なる気づきを得た段階。
実装しながら自分の奥底の感じを拾いたい。

自分の子には、
この考え方っていいと。ママは思ってるよ。
あなたは自分の気持ちを持っていいよ。を
ベースにしていけたら。な。
でもこれもエゴなんか?

第1子をよく観察し
リスペクトし、まずはやってみます。
できるとこから。

社会性の塩梅は守るけど、自分とは。を
なにかに委ねずに自分で自分を生きたいとおもいまーす。

あ、時間だ。
おわり。

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