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4月10日水曜日〜4月16日火曜日の日記

イオさんからインタビューを受けた話。
相方のブーメラン、なくなる。
腰痛、どうするどうなる。
などなどあった一週間でした。平和です。

四月十日(水) 晴れ

朝、子どもがわたしの腰のところに抱きついたまま「時間がとめられたらいいのにー」と言った。どうして、ときくと「そしたらずっとママとぎゅーしてられるから」。
今日もかわいさの針が振り切れている。

午前中、川内イオさんインタビュー。
これは、ライタースクールの受講特典の一つで、師匠のインタビュー取材を実際受けてみよう、というもの。(これを受けることで、インタビュイーの気持ちを知ることもできる)

わたしはずっと人に話せていなかったことを話してみた。
17年前に事故で亡くなった親友のことだった。
彼女のことを言葉にすることが怖くて、長らく自分の中でも総括できずにいた。(そのうち、総括しなくていいやと思うようになったのだが)

それを特にまとめもせず、ごちゃついたままイオさんに話せたことで、何かすごく重たいものをようやくおろせたような感覚があった。ずっと、大事な友人のことを「誰にもふれられたくないもの」としていることがうしろめたくもあった。彼女はとてもいい奴で、大好きだったんだということまで隠しているみたいで。

インタビュー後、イオさんに人の話を聞く時の「態度」について聞くと、こんな答えが返ってきた。
「人の人生の話を預からせてもらう覚悟を持つ」
その覚悟が相手につたわるから、この人には話してみよう、と思うのだな。

イオさんにわたしの話を預かってもらい、記憶の中でかたくこわばっていた部分がほぐれ、軽くなった。
感謝という言葉で言いあらわせない。

昼食に相方が、タケノコとアスパラのペペロンチーノをつくってくれていた。

十五時ごろ、インターホンが鳴った。お隣の弟くんと、その友人Eくんだった。「しいくんはー?」と言うので学童だよと言うと、「遊びたいけんお迎えにいってきて」「あ、ぼくがお迎えにいこうか?」と言うので笑ってしまった。結局、ふたりを車に乗せてお迎えにいった。

迎えに行く途中、車内で二人に「きみたちは走るのが早いからさ、近くでやってる陸上教室に行ってみたら?単発で1,000円で受けられるんだよ」というと、ふたりは「高っ」といった。自分たちのお小遣いから払う想定のようだ。勘違いさせてしまった。1,000円あったら何がいくつ買えるとか、ガチャガチャが何回できるとかさんざん言っていた。ごめんて。

すごろくがしたい、と言うので、庭に最近相方が買っていた簡易テントをみんなで立てると、「秘密基地みたい!」と大喜びでその中で遊んでいた。
人生ゲームをやっていたが、誰も正規ルールを理解しておらず、独自ルールで盛り上がっていた。
その後、公園へ行き、「色おに」をやったらしい。花冷えの季節で結構肌寒かったのだが、子どもは汗だくで帰ってきた。

夕飯は、タケノコと豚肉のオイスターソース炒め。食べた子どもが「おいしい」と言ってくれて、こういう地味なメニューをおいしいと言うのはめずらしいので驚いていたら「見た目はあれだけどね」と、ニコッとわらっていておかしかった。

「ぼく、二年生になってたべられるものがふえたよー」という。
二年生になって数日しか経っていないのに。

子は、夜に歯磨きをしながら、相方とねこの誕生日プレゼントを話し合ったらしい。何になったのと聞いたとき、ねこが近くにいたので、聴こえないようにわたしの耳元に近づき、小声で「ぴっちゃんのだいすきなごはん」と教えてくれた。寝る直前までかわいさ全開な子どもなのだった。

四月十一日(木) 曇り

小学校の入学式のため、子どもはお休み。
十時半からお隣と遊ぶといっているので、通常営業のわたしはほっとしていた。

十時のおやつがないので、散歩ついでにコンビニへおやつを買いにゆく。
まずは先日一人で行った緑道へ。
緑道は急な階段になっている。早足に登る子どもの息が荒い。深くゆっくり呼吸してごらん、と伝える。わたしも、ゆっくり、呼吸をしながら、ゆっくり、登る。
階段の角度が急すぎて怖くなったのか、子どもが「て!て、つないで!」というので、つないだ。

子どもが、「うえをみるとつかれちゃうから、下をみるといいよ!」とよいことを発見したというふうに言った。
どうして、と訊くと、「上をみたら、まだこんなにある、っておもうでしょ。だからね、ここ(あしもと)だけを見るの」
それは真理かもしれないなあと思う。

頂上に到着すると、木が茂っていて遠くを展望できないことに不満をいだいたのか「この木を切りたおしたい」と物騒なことを言っていた。

今度は登ってきたのと反対側の階段をおり、コンビニへ向かう。
横断歩道がないところをわたろうとしたとき、こどもに「だめだよ!まましんじゃうよ!」と止められた。見通しの良い道路で、まったく車の気配がないのを確認してのことだったが、まあ、そうか、と思い横断歩道のあるところまで歩く。
「ぼく、ままがしんだらいきていけない。しんじゃうよ」と言われ、それは困るので生きなければ、と思った。

コンビニでお昼とおやつを買って帰宅。
約束の時間になったので子どもがおやつをもってお隣を誘いにいったところ、約束は13時からだよ、と言われたともどってきた。勘違いしていたらしい。
一人で動画を観たり、マンガを読んだりしていてくれたので予定通りに仕事をする。

お昼を食べてようやく遊びに出かけていった。わたしは十三時からリモートで取材。
仕事だから話しかけてこないでと伝えていたにも関わらず、何度も話しかけられ、取材に集中できず苛立ってしまった。(話しかけられながら取材はさすがに無理だ)

ピアノ教室の時間になったので車で出る。

ピアノはもう終盤、「集大成」という感じで駆け足で進んでいく。
ジュニアコースの教材も配られた。コンサートは来週末。
大丈夫だろうか……

帰りに雨が降り出した。子どもは後部座席でうとうとしている。
TENDREを流しながら、雨の中、静かに運転するのは心地よかった。
どこまでも行けそうな気がしてくるけれど、おとなしく家に帰る。

夜は相方が、タケノコとニラのそぼろ丼をつくってくれた。大人だけ豆板醤入り。とてもおいしかった。ここ数日ですっかりタケノコの虜なわが家だ。

子どもが、わたしが作業をしてくると何度かうしろから「まま、10秒以内にぎゅーしてくれないとぼくしんじゃうよ」と言うので、そのたびにぎゅう、とした。なにかな、さびしいのかな。

寝る前に子どもが「ぼく、ままの近くにいても、もっと近くにいたいっておもっちゃう。へんなの」という。もっとちかくってどういうこと、と尋ねると、ぎゅーっとしたくなるってこと、といった。

そうだね、だってもともとはわたしのおなかの中にいたんだもんね。一体化してたんだから。そんなときもあるかもしれないねと答えた。

わたしは内心、この人はいま、どんどん成長していて、わたしから離れつつあることを自分でも気づいているのではないか、と思った。それが不安なのではないかと。

子どもの小さな肩がすこし角張ってきている。まっすぐにほそかった足に筋肉がついて、すこしずつしっかりとした輪郭を持ち始めている。
わたしも、むしょうに寂しくなるときがあるよ。あなたが、抱っこしないと自分では動けなかったころが、恋しくてたまらなくなるときがある。
ずっと一緒にいたい。でもきっと無理なんだろう。

「あなたがいたいだけ一緒にいたらいい。しいくんがいたいと言うかぎり、ママはずっとそばにいるよ」と伝えた。

四月十二日(金) 晴れ

朝、今日までに学校に提出せねばならない書類がたくさんあったのを思い出し、ベッドから飛び起きた。一年生のはじめにも書かされた、健康チェックのあれとか、緊急連絡のそれとか、保護者の情報とか家までの地図とかとか。

なんでまた同じのを書いて出さなあかんねん、と思いながらも、ちょっと今考えている暇がないのでとにかくざざっと書きまくる。
地図を書くところで「ん?」と思いPCの中を探してみたら、昨年つくっておいたイラレのデータがあった。書類の枠サイズぴったりに作成していた。さすが私。プリントアウトして貼り付ける。

にしても、これは提出当日の朝に書くものではないな。疲れた。

子どもと相方を送り出した後、はたと、「なぜにこういう書類はいつもわたしが書いているのか」と思った。保護者は二人いる。交代で書くことにしようじゃないか。「来年はあなたね」と相方にメールをしておく。

すると、「なんで毎年同じものを書かなきゃいけないんだ。そんなばかばかしいことはしたくない」ときた。
「来年は、昨年のをそのまま使ってくれ、と言うわ」と言うので、年度末に処分されている可能性があることを告げると、「じゃあ、来年〈翌年もこれで〉とメモをつけて提出する」とのこと。
当事者になってようやく文句を言い始める。今まで完全にわたしに任せきりにしていて自分ごとではなかったので、べつにそれを問題とは考えなかったのだ。

おそらくどの家庭においても、家族の中の一人しか書類作成を自分ごととして捉えていないので、それ以外の人たちにとっては他人事で、「おかしいのでは」と思う人がいてもその割合が少なく変わってこなかったのかもしれない。
当事者が増えると変わっていくことがあるかもしれないな、と思う。
社会も、だいたいこんな感じなのかなと思った。

相方が帰宅して、昨日、西日本新聞に映画「オッペンハイマー」の批評コーナーがあったよ、というと朝ごはんを食べながら読んでいた。
ある大学教授の批判的な意見を読み、こういう批評、おれ、嫌なんだよな。作品を自分の主張に寄せて解釈しようとする。こういうものの見方で、作品をほんとうの意味で「みる」ことができるの?と言う。
賛同できる部分がある。

ただ、そのコーナーには批判的な意見とそうでない意見が掲載されていて、バランスが取れているなとは感じた。その大学教授は紙面に求められた役割を果たしていると思った。そして、賛否両論が出てきて、いやそうじゃないとか、この作品は、とか、原爆は、政治とは、科学とは、とかそういう話をここで今できている時点で、良い作品であるといえると思う。
相方に「苦しくなるけどね、日本人ならみたほうがいいと思うよ」と言われた。苦しくなるとわかっているものを、観にいくのはちょっとなあ、という気持ち。すごく気になるけれど。

きょうは相方の細切れ春休みの最終日で、ほとんど外にでていた。
わたしは一人家で仕事。一件リモート取材あり。制作が来週いよいよ大詰め。

水曜に川内イオさん(師匠)からのインタビューを受けてから、「彼女」のことをはじめて書いてみようかなという気持ちになった。
彼女が死んだ時のことを。
書き終えたあと、「死んだ」という言葉が強いかなと、「亡くなった」と書き換えてみたけれど、あれは「亡くなった」んじゃなかった。「死んだ」のだった。そのほうがしっくりくる。

そんなふうに、フィットする言葉を探しながら書いた記事が今日完成したので、noteにひっそりと公開した。

イオさんからすぐに「読んだよ」とメッセージがきた。
「アヤさんはトモさんに手紙を送ったんだね」と言われて、そうか、と思った。

わたしは長いこと向き合えなかったから、トモに「手紙を送る」こともできていなかったんだ。あんなに気軽に、しょうもない手紙を送りあっていたのに。
どんなふうに書いたらいいか、一生懸命ひとつひとつ言葉を選んで書いた。書き終えて、こんな暗いものを誰が読むだろうかと心配にもなったけど、なぜか「読んでもらいたい」と思った。
この文章を必要とする人がいつか、どこかに、いる気がした。

書くことができて、とてもすっきりした。
わたしはまちがいなく、文章を書くことにたすけられている。

四月十三日(土) 晴れ・暑い

生理が本格的に始まり、体が重い。

昨日買いた記事に、「書いてれてくれてよかった」とか、「ありがとう」とか、「悲しみとともに生きるっていうのは、大切な人のことを伝えていくことでもあるのかもしれないと思った」とかコメントを貰った。
うれしい。暗い記事だったけれど、明るく受け止めてもらえたことが。

昔からの友人が、「あやさんのスーパーポジティブな理由がわかった」と言ってくれて、めちゃくちゃうれしかった。

お昼はまたいつもの公園へ。デカテニス(スポンジボールをラケットで打ち合うスポーツ)のセットと、いつものサンドイッチ屋で買ったサンドイッチを持参。

公園につき、真ん中の木の下にシートを敷くと、子どもの様子がちょっと変だ。
すると、近くのシートの子どもが、「キノシタくん?」とうちの子の名前を呼んだ。どうやら、最近クラスメイトになったばかりの子らしく、うちの子はその子の名前をまだ把握していないようす。

サンドイッチを食べ終え、相方と子どもがデカテニスをやっていると、その子が(あとでFくんと判明)「ぼくもやらせて」と言ってきたので、相方がラケットを渡した。しばらく遊んでいた。
なかなか続かず、「ごめーん」とか言い合っている。Fくんは「まず、3回めざそう!」とか言っていて、良い子だな、と思った。

しばらくすると、二人がシートのほうにもどってきた。Fくんが、それぞれの父にラケットを渡し、キノシタくんのお父さんと、ぼくのお父さんで対決してみてよ!と言う。
断れず、初対面すぎる二人でデカテニスをやることになっていて笑えた。

しばらく遊んで、帰るとき「またがっこうでね!」と言ってくれた。
教室で仲良くお話しできるお友達ができたかな。

帰宅後、わたしは腹痛で横になっていた。
相方と子どもが外で何かやっているなと思ったら、いつのまにか子どもと隣の兄が一緒に遊んでいた。夕方、もうかえってきてと言うと、また明日ね!と言っている。中1と小2でも、一緒に遊べるのね。

ぐったりしていたので、子どもを寝かしつけると同時に寝落ち。
3時ごろ目覚め、洗濯機をまわしたり洗濯物をたたんだりしたあと、日記を書く。
4時20分。日記を書き終えたころ、寝室から「まま」という声がしたので寝室にもどり、子どもの隣でまた眠る。
休みの前の夜はおちつく。ずっと起きていられたらいいのに。

四月十四日(日) 晴れ曇り・暑い

今日の服。水色のコットンニット、ペールグレーのパンツ。
子どもは半袖。

朝食、キャベツの千切りトースト。食パンにキャベツの千切りをもりもりのせて、ハーブソルト(またいちの塩)をふり、オリーブオイルを回しかけてトーストするだけ。簡単でおいしいのでよくつくっている。

今日は、昨日相方が組み立てていた木製のプランターに植える植物を買いにいく。昼食を食べて、西区にあるエフェクトという緑屋さんへ。
エフェクトは花やグリーンやハーブの苗、観葉植物、生け花の種類が豊富で、そのどれも手入れが行き届いていて元気なのが気に入っている。
今日もお客さんでにぎわっていた。
ハーブ苗をたくさん買って、家に飾る花も買って帰宅。

帰ると、子どもは隣に遊びに行った。
わたしはまたごろごろしたり本を読んだり、ピアノの練習をしたりしてすごす。

夕方ごろ、お隣の弟と、その友人Eくんも出先から帰ったのでみんなで遊ぶ、と言って、子どもは相方のブーメランを持って近くの公園へ。

わたしたち夫婦は庭仕事。庭においていた木のプランターが、腐食してしまったので、それを解体し、新しいプランターに植え替え、今日買った緑を追加。にぎやかになった。またすこしずつ庭を整えていこう。ハーブも育つといいな。

子ども、しばらくして「ブーメランが公民館の屋根にのっちゃった!」と言いに帰ってきた。お兄ちゃんたちがのせてしまったようで、みんなで工夫して取ろうとするもかえって取りづらくなってしまい、子どもは焦っているようす。「ぼくのせいじゃないよ」とか言っている。
やんちゃ少年たちは放っておくと屋根にのぼったりしかねないので、相方が「もういいよ」と言ったらしいが、うちの子が帰ってからも、三人はしばらく粘っていた模様。

シャワーを浴びた後、子どもは動画を見始めた。すこし離れたところから、「パパに謝った?」ときくと、「あやまってない」と言って、観ていた動画をとめ、こちらを見た。

「屋根にのっちゃったのはあなたのせいじゃないとしても、パパのものを持ち出したのはあなたで、その責任はあなたにあるんだよ。自分のお友達が自分のものを借りてお友達と遊んでなくしちゃった、でもぼくのせいじゃないよ、と言われて納得できるかい?なんかもやっとしない?」というと、「する」という。

「今回、ぱぱは、べつに大事にしてたものではないから怒ってはいないけど、少しもやっとしているところはあるかもしれない」というと、謝ってくる、と言い、二階に上がっていった。「大丈夫?一人でいえる?」ときくとちょっと不安そうだったけれど、ちゃんと二階に一人で行き、ぱぱのものを持ち出してごめん、と謝ったそうだ。(なくしたのは自分のせいではないと考えているのでその点についてはあやまらなかった模様)

人のものを持ち出すときはきちんと許可をとるようにしようね、という話と、ブーメランのように飛ぶもので遊ぶときはまわりに建物がない場所でね、という話をする。
今日のこと、誰かの大切なものをなくす前に気づけてよかった、と思うようにしよう、と話し合う。

公民館の屋根に置き去りのブーメランはかわいそうだけれど、大事な経験ができた。

四月十五日(月) 雨

今日の服。セントジェームスのボーダーの七分袖カットソー、ブルーのデニムパンツ。
本日もやや貧血ぎみ。メイクは最低限だが顔色が悪いのでチークはのせる。赤いアイラインで、気持ちだけ元気に。

だが、まったく仕事に集中できない。
こんな日もある、と思うことにする。特に月曜日はこうなりがち。体調も本調子ではないし、しかたない。休み休み、できることをやる。

お昼にドラマ「アンチヒーロー」初回を観る。
終わった後なぜか涙が止まらなくなった。

人は自分の罪に無自覚なわりに一度罪を犯した人を許さない。
「日本は罪を犯してもやり直せる国」
「とでもお思いですか?」
子どもたちに明るく話す検事と、暗い場所で被告人に語りかける弁護士の台詞が交錯するラスト。二人の「考えてみてください」という言葉が、観るものに向けられる。

一度犯罪者になれば、もう許されることはない。それなら、なんのために裁判があるのだろう。なんのための刑務所なのだろう。
誰だって犯罪や犯罪者と関わりたくないと思っている。だからといって、罪を償った人をも排除しようとする社会でいいのだろうか。それで本当に平和な社会が保たれるのか。
悪とは何なのだろう。それをわたしたち人間に判断できるのか。
そもそも、罪を犯したことのない人などいるのか。
考えるほどになぜだか泣けてくる。

夕飯時に相方と戦争の話をしていたからか、相方が席を立ったあと、子どもが昨年学校の平和授業で習ったという「おこりじぞう」の話をしてくれた。

一年も前なのに、よく内容をおぼえているものだ。子どもが悲しい話をこんこんと語るので、悲しくなってくる。

「学校でこういう話をするのはさ、ぼくたちに戦争をしない大人になってほしいからじゃない?」
と子どもが言った。そのとおりだね。子どもに戦争をしてはいけないと伝えながら、大人のやっていることは……言葉にならない。

四月十六日(火) くもり

今日の服。黒のブラウス、ブルーのデニム。

作業大詰めの週だけれど素材がまだ揃っておらず、すこし不安。なるようにしかならないので考えすぎずにやれることをやる。

最近のルーティン。
庭のメダカ観察。今日も卵をつけていた。毎日、卵を捕獲して別のケースに移す、というのを相方がやっている。そんなに孵してどうするつもりなのだろう。
それから、野良ミケちゃんとおしゃべり。妊娠していて、おなかがいよいよ重たくなってきたのか食欲があまりない。首のうしろが痩せてきて頭にハゲができていて弱々しい。撫でたり耳のうしろをかいてやると喜ぶ。
ピアノの練習。一日10分は弾くようにしている。今、基本の最後のほうなのだけれどなかなか手が動かない。動かないー!と思いながらピアノを閉じて、翌日やるとできたりする。
英語と仏語。Duolingoで。あとすこしで100日連続記録を達成する。
ルーティンだけで忙しい。

今日は体操教室なので、子どもが学童なしで帰宅。宿題を途中までやって着替え、車で出かける。

教室で子どもをじっと見ていると、50分はあっというまに終わる。
子どもは他の子たちより遅れをとっていて(始めたばかりなので当然だ)、こうしたほうがいいんじゃない、とか言ってしまって後悔。子どもが自分で掴もうとしているのを邪魔してしまっている。体操に通う目的は、うちの場合、体の使い方を学ぶことである。何かをはやくできるように近道を教えても意味がない。肝に銘じる。

帰宅して、子どもは残りの宿題をやっていた。宿題を終えると頭が痛いと言い、横になってやすんでいる。昨日も言っていた気がする。単に気圧のせいとかなら良いのだが。

夕飯は、友人まみさんによる宅配おかず(マミケイと呼んでいる)。今日は野菜のナムルたっぷりのビビンパ。まみさんの料理は味だけでなく歯応えも楽しい。みんなでおいしいおいしいと言い合って完食。

今週末は子どものピアノの発表会だ。練習をしてほしかったけれど、宿題に体操に、帰宅してからも宿題と、がんばっていて無理強いできず。
子どもがやりたいと言っていることとはいえ、忙しいなあ。

体操教室を出る時に、ひさしぶりに腰痛がきた。突然というよりは、生理の影響でじわじわときていたのに、この時はっきりと気づいたという感じ。
帰りの車の運転に影響がなかったのは幸いだったけれど痛い。ストレッチはやっていたけれど、座りっぱなしの時間がおおすぎたか。うーん。嫌だな。
フォームローラーで下半身をほぐし、ストレッチポールをするなどして、湿布を貼って寝る。明日、よくなっていて!

(次回は 5月1日水曜日 に更新予定です)


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