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5月8日水曜日〜5月14日火曜日の日記

たのしかった、取材。
しんどかった、生理。
うれしかった、母の日。
夫婦って、なんだろう。

などなどあった一週間でした。今週もまあまあ平和でした。

五月八日(水) 曇り

昨日、公開された文林堂の山田さんのウェブ記事を読んだ。
ライターの友人Mさんが書いた記事で、取材に行く前から話を聞いていて、一緒に文林堂を訪ねたことも(二度)あるので、記事ができるのをとても楽しみにしていた。
Mさんはすごく長くなった、と言っていて、実際長かったがすぐに読み終えてしまった。山田さんの人生と、それを彩る出会いが描かれていた。

途中、山田さんの人生は天使に祝福されている…という感覚をおぼえた。

山田さんが奥様のミヨ子さんにはじめて会った時に「天使だ」と思われたというお話や、ミヨ子さんの信仰心に触れ、自身の仕事への態度も影響を受けたというお話も書かれていて、非常に納得する。

山田さんの仕事を見た人というのは、「この人の仕事を、誰かに伝えなければ」と思うみたいだ。そういう、なんだか説明できない空気が山田さんを包んでいる。

「いい文章」って、「書いてる」というより何かに「書かされてる」んじゃないだろうか。「書かされる」とは、なにかに突き動かされたり、書かずにいられなかったりするということ。

Mさんは「ミヨ子さんに書かされたような気がする」と言った。
わたしは、そういう文章がとても好きだ。

今日の服。白シャツ、ベージュの薄手のカーディガン、グレンチェックのパンツ。

午前中、設計士さんへの取材。
今日もとてもおもしろくて、永遠に聞いていられるようなお話だった。予定より長くなってしまった。
これまでたくさん取材を受けられたのでは、と訊くと、「キノシタさんほど深く話を聞かれたことはないです」と言ってくださり、とてもうれしかった。

現場で作業されていた職人さんも紹介していただく。その方のお話もまたおもしろい。
設計士さんと職人さんたちが互いの仕事を尊敬し、ともに働けることを喜んでおられるのが伝わってきて、胸が熱くなった。

やはり仕事は人と人でつくるもの。頭数がそろえばいいというものではないし、つくるための材料も、同じ素材で同じサイズであればよいというものではない。
ものがあるところには人がかならず関わっていて、それぞれの考えがあるから。
そんなことを考えさせられる取材だった。

夕方からPTAの集まりがあるので、はやめに夕飯の支度をして、車で家を出た。わからないこと、把握しなければならないことが多くて戸惑うし疲れる。
取材で脳の使用量をオーバーしていたので、とにかく眠い。

19時に帰宅すると、誰も夕飯を食べていなかった。(なんで食べさせていないんだ、と思ったが、仕事が中断できなかったよう)みんなで一緒に夕飯が食べられたのはよかった。

五月九日(木) 晴れ・肌寒い

生理前の頭痛で目覚めた。
体も重い。昼頃からやや腹痛も。

ピアノは、今日から遅い時間帯になる。(これまでより二時間ほど遅い)
一旦帰宅するとタイムロスになるので、30分ほど学童に。
その30分間で、子どもにできるだけ宿題をすませてもらい、車でピックアップしてピアノ→帰宅して夕食→残りの宿題、という流れでいくことにする。
朝、子どもにしっかりと説明しておいた。

計画はスムーズに遂行でき、心配していた渋滞もなかった。
駐車場も、2時間はやい時間帯より空きが多い。

今日のレッスンから、基本的には親が一緒にいなくてよくなった。教室の外でお母さんたちとおしゃべりをしていた。

二年も一緒に過ごしていたのに、ほとんどお互いのことを知らない。どこに住んでいるというのも初めて知る。新しく入ってきた子のお母さんに、「みなさんずっと一緒だったんですね」と言われ、ほんと、ずっと一緒だったなぁ……としみじみとした。

「わたし、同伴で、子どもと一緒にリズム遊びや歌うような精神状態じゃなくてしんどい時がありました」と打ち明けると、「わかる……」と言われた。
みんな同じだったのだな。ほんと、おつかれさま、わたしたち。

夜、ベッドに横になると、子どもが「ぼくのしゅみは、ままをぎゅーすること。ぼくがいちばん幸せなのは、ままとぼくでぎゅーしてるとき」といった。

子どもをぎゅーっとすると「しあわせすぎてたましいがぬけちゃいそう」
「ままが一緒にいないと、ストレスがたまって地球を破壊しちゃうかも」などという。
地球の平和のためにできるだけ頑張る所存。

五月十日(金) 晴れ

生理で調子が悪い。目の前が薄暗い感じ。
まぶたが、がんばっても半分くらいしか開かないような重さだ。

朝ドラを見る。
みんなに祝われてもどこか浮かない顔をしている寅子のもとに、同級生のよねがあらわれる。よねは別れ際、ついでのように「おめでとう」と言ったけれど、その言葉を言うために来てくれたのだと思った。自分のことは別として、仲間の合格を心から喜んでいるのだ。きっと、他の仲間たちも…と想像したら涙が出た。

よねは、寅子の母がいつか言った「賢い女が幸せになるにはバカのふりをして生きるしかない」」の言葉の逆の道をゆく。そのままのよねで幸せになるところが見たい。

桂場の言うことに腹が立たないのは、言っていることが事実そのままだから。竹中記者はかなり偏見があったと思うが、入学の時からただずっと寅子たちを見てきて、心境の変化があったのだろうか。「ただ」あることを言うとか、「ただ」そこにいる、「ただ」見ているとか、そういうことが実は大切なのかもしれないな。

その人がその人のままで生きられる社会というのは、「ただ」そのままを見て、受け入れられなくても事実を「ただ」受け止めることで成り立つ。
直言パパや、優三さん含め、このドラマの脇にいる男性たちのふるまいを見てそんなことを思わされた。いつもちょっとズレれてるお兄ちゃんもいい。

今日の夜、参加予定のイベントがあったのだけれど、体調不良でキャンセルすることに。約束していた方、イベント主催の方に申し訳なかった。
楽しみにしていたのでぎりぎりまで迷ったのだが、以前、生理の体調不良をなんとなくごまかしながら外出し、駅で動けなくなって(駅員室に運ばれ)相方と子どもに迎えにきてもらったことがある。もうあのような事態は避けたい。

夕食後、ソファでごろんとしていると、子どもに「まま、かわいい子にはたびをさせよ、だよ」と言われた。
「えっどういうこと?」(日帰り出張でも泣いて嫌がるのに)と尋ねたら、「かわいい子には、北海道に旅をさせなさいっていういみ」「ままと二人で」と言っていた。

五月十一日(土) 晴れ

朝から子どもがピアノの練習をしている。
昨日「できない!」といって癇癪を起こしていた曲を、今朝は弾けるようになっている。

この人はこの程度まではできるはずだ。ここはつまずきやすいところだ。
そういうことがわかるのは、わたしもピアノ初心者として、子どもと一緒に幼児教室から練習してきたからで、その点は経験者じゃなくてよかったのかもしれない、と思う。

左手と右手が同時に・べつべつに動かせるようになった時の、脳細胞がプチプチ弾けるような感覚をおぼえたらきっと楽しい。今朝は長い時間弾いていた。

今日も腹痛で、外に出られそうにない。二人で食べたいものを食べてきていいよ、というと、子どもはマクドナルドがいい、と言う。二人で行って、テイクアウトしてきてくれた。(わたしはいつものエグチのセット)
ひさしぶりにマクドを食べた。子どもはハンバーガーのピクルスをいつのまにか食べられるようになった。

昨晩ベッドの中で、子どもに「母の日にままになにかあげたい。ままにはいつもおせわになっているから……」と言われた。たしかにお世話をしているが、こういうのも「お世話になっている」というのだろうか、と思い、おかしくて笑う。

「なにがほしい?」ときらきらした目で尋ねられ、何もいらないとも言えず、「おやつがいいかなあ……」というと、ひらめいたような表情で「わかった!おやつね!明日かってくるよ!」と。

それで、午後、子どもは相方の付き添いを断り、最寄りのコンビニ(通学路の途中にある)に自分のお財布をもってひとりで出かけて行った。
ちょっと心配でソワソワしながら待っていると、帰宅した子が何かを手に持ってわたしのいる二階にあがってきた。

「エクレアがなかった!」

と言いながら差し出されたのは焼きプリン。わたしが時々食べているのを見ていたから、「ママの好きな食べもの」として記憶していたんだろう。エクレアは、しいくんがいちばんすきなおやつ。

なんだかもう、想像してたのとちがう、体験したことのない気持ちになっていた。
ひざまずいて、子どもの汗ばんだ体を抱きしめたら、「ありがとう」と言うと同時に涙がこみあげてきて止まらない。子どもは「わらってよ……」と困った顔をしていた。

子どもは、いつものように(走らないでと言っているのに)走って走ってコンビニへ行き、お店の冷蔵ケースの前で、エクレアないなぁ、プリンにしよう、と決めて、レジでいつものように「楽天カードお持ちですか?」と言われてもきっとわからなくて、きょとんとして。それからいつものように、のんびりお金を払って。また走って帰ってきた。
どんな気持ちで。

そんなことを想像したら、さらに涙が出てくる。
子どもに、「うれしいんだよ」といってまた泣く。

わたし、これ以上に嬉しかったプレゼントってなかったかもしれない。
思い出せないだけかもしれないけれど。

十五時半からピアノの個人レッスン。貧血でちょっと不安なので、相方の運転で行く。今日も教室への付き添いは必要なかった。
30分で終了。先生に、「よく弾けている」と言われた。「ただ、ワルツのところで音が雑になったりしているので気をつけて。自分の音をよく聴いて」とのこと。

五月十二日(日) 雨

今日はお昼に仲良しのK家宅に行く。
もともと、K家の夫の方が相方とおなじ職場で働いており、わたしも一時期そこにいて仲良くなった。グループで飲みに行ったり、キャンプに行ったり、観劇をしたりとかなり長い付き合い。結婚した今は、毎年一緒にクリスマス会をするなど、家族ぐるみで仲良くしている。

「天気がよかったらここに行こう」という約束があったのだけれど、どういうわけだか、ピンポイントで日曜日だけが悪天候の予報。当日になってもやはり、どうしようもなく雨が降っていて、中止とするのも寂しいので、急遽、お宅に遊びに行くことにしたのだ。

子どもは、買ってもらったばかりのカービィを一緒にやるんだ、と、Switchを持参。
相方は、組み立てたラジコンを見せ合いっこするんだ、とラジコンを厳重に梱包して持参。

最近ではほとんどうちに集まっていたので、K家に到着すると、Kさんの妻、Rちゃんが「人を招く側って、ほんと大変ですね……」と笑っていた。

K家はピザのデリバリーと、キンパと韓国の味付きフライドチキンみたいなものを準備していてくれた。このチキンがめちゃくちゃ美味しくて、キンパとそればかりぱくぱく食べる。

ひとしきり食べたあと、なにげなく「このへんでお茶するとしたら、どこに行くの?」と訊くと、あそこか、あそこかな?とRちゃん。その流れで、子どもらは夫二人に任せ、妻二人でお茶しに行くことになった。雨の中、Rちゃんの運転で出かける。

人にはみんな、言わないだけでいろいろある。やっぱり、そうなのだよな、というような会話だった。
K家にもどり、夕方いい時間になったので帰宅。

子どもが寝たあと、めずらしく相方に話をきいてもらった。
一人で抱えきれないことがある時に聞いてもらっている。

その話のなかで、相方が言ったこと。
「性格が合う合わないって何?ぴったり合う人なんているわけない」
「それに、合わないからこそ一人では見つけられないものを見つけられたりする。それをおもしろがるものでしょ」

結構長く話し込んでしまった。
相方とわたしは最初っから性格が合わなくて、「相性って何?」という関係だった。今でも仲良しという感じではないけれど、子育てをしていくなかでお互いが成長して、互いの考えを尊重する「やりかた」を学んだ気がする。

あなたとわたしは合いません。
でも、だからこそ一緒に暮らしているんですよね、という感じ。

相方はよく、トコロさんの言葉を思い返しているそうだ。

〈夫婦でまったく同じ価値観を持っていたとしたら、そもそも結婚する必要なんてないじゃない。一人でいい。“俺がこう思ってるのに、相手はなんで違うんだ!”って感じるのは、当たり前であり正解なんだよ。〉

〈自分とは違う価値観の人の考えに付き合ってみると、意外と“めっけもん”があるの。家族旅行なんてめんどくさいなって思いながらも、行ってみると楽しいじゃない。自分の想像を超えるものが待ってるから、付き合うことも大事だよ〉

わたしはこの言葉は知らなかったけれど、それに近いことを考えていた。

まったく同じ価値観で揃えた二人が子育てをするって、子供にとっては息苦しくてしかたがないだろう、とか。
予定調和はつまらない。自分の頭だけで考えることなんてたかがしれてる、とか。

相方はわたしが出会ったなかでもっとも理解不能な人物なので、一緒にいるだけで頭の体操になる。
その分、不快なことは多い(多かった)けれど。

「なんで結婚したんですか?」

とよく聞かれるし、わたし自身もそう思うけれども、わたしは何度考えてみても、自分と「合う」人と結婚する気がなかった。

それを思えば、相方と結婚したのは必然と言えるのかもしれない。
(けれど生まれ変われるなら、もうすこし優しい人がいいです、神様)

五月十三日(月) 晴れ

すこし心が曇ったような、そんな気分だった。
しかたがないな、と思い、涙が流れるままにしておく。

SNSで「手っ取り早く〇〇する方法」というのを見かけた。
手っ取り早くなにかをする方法、かー……。
きっと求められているから、そういう記事が出るのだろう。

けれど、「手っ取り早く」とかは無理なんだと思う。
だいたいの大切なことはめんどくさいものなんだと思う。

すぐに答えを出そうとしたり、わかりやすいものに飛びついても、結局、求めるものは手に入らない。

時間は限られている。やることはたくさんあるから、できることは効率化したい。
理解できるし、わたしもそうしてしまいがちだけれど、手っ取り早いやり方でかたづけて良いものなのかどうか。
ひとつずつよく考えて、大事なことを見落とさないようにしたい。

五月十四日(火) 晴れ・暑い

今週末に行われる文学フリマ東京に、前回と同じグループで出展することになっている。
今日は、当日会場に行く友人Sに、自分の日記Zineを預けることになっていて、Sが仕事をしているという天神に出かける。

指定されたスタバに行き、きょろきょろと探すけれどSの姿がない。
別次元のスタバに迷いこんだような不穏さを感じたのだが、5分くらいしてSは現れた。注文したチャイを飲みながら、Sが買ってきてくれたバインミーっぽいおいしいサンドイッチを食べながらしばらくおしゃべり。

一時間ほど話していたようだけれど、体感的には15分だった。気がかりだったことを話せて、ちょっと気持ちがおちついた。

帰りにスタバのあるビルの地下で、かわいいイヤリングを見つけて買う。
スタバで仕事をしているはずのSに「これ、買ったよ。オソロしない?」とメッセージを送っておいた。帰りに買って帰ったらしい。

今日は体操教室があるので、子どもは学童なしで帰ってくる。暑くて(24℃か25℃まで気温が上がった)、今日のおやつはアイスがいいだろう、と思い、またコンビニまで迎えにゆく。

コンビニでアイスを選んでいる時、子どもが「鼻血でてきた」といった。
見ると、手のひらにぽたぽたと鮮血がたれている。

あわててわたしの手でおさえ、その間にスボンのポケットに入っているはずのハンカチを取り出させ、あてさせる。
コンビニだったので、すぐそばにトイレがあり、手を洗えてよかった。

子どもは鼻血が出やすいほうなのだけれど、今日は暑いし、外で運動会の練習をしていたはずで、熱中症の可能性もある。体操教室は明日に振り替え、休ませることにした。

鼻血は出ているが、元気にアイスを選んで帰宅。今日はバニラアイス。

迎えに行ってよかった。
子どもが一人でなくてよかった。

(次回は 5月 30日木曜日 に更新予定です)



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