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8月7日水曜日〜8月11日日曜日の日記

おにぎりにぎりにハマりそう。
いまさら、ラピュタに感動。友人の子がつくったカレーにも感動。
友人たちと、夏休みの親戚っぽい集まり。

などなどありました。あいかわらず平和な一週間でした。

八月七日(水) 晴れ

友人まみさんとあいこさんが運営する児童クラブ「いるね」の日。今日は、写真撮影隊としてわたしも一日参加。

二人の友人まさこさんのお宅での開催だった。窓が大きくお庭が広く、とてもすてきなおうちで、その空間にいられるだけでほくほくした。
子どもはまみさんともう一人の子といっしょにずっと外遊び。他の子たちはほとんど部屋遊びをしていた。(まみさんに感謝)

お昼に、あいこさんに申しつけられて、子どもたちが食べる大量のおにぎりをにぎった。おにぎりを握る才能はあるほうなのだが、あんなにたくさんにぎったのは初めてだ。わたしがつくったおにぎりを、ぱくぱく平らげていく子どもたちを見ていたら感じたことのない気持ちになった。
なんだろう。もっと、もっと握らせてくれ……というような。

それで、帰宅してからもおにぎりを握ってしまった。
ハマってしまいそうだ。

八月八日(木) 晴れ

朝、子どもが手にぽつぽつができてると言う。みるとすこし赤い発疹が出ていた。痒みはないらしい。熱を測ると微熱があった。直感で「手足口病かな」と思う。
疲れがたまっていたのだろうな。今日は安静にしておくよう伝える。

お昼ごはんを買いにいくため外に出ねばならないが、往復で死んでしまいそうな暑さなので、間にスタバ休憩を挟むことにした。
すこしはやめに家を出る。スタバで、オーツミルクラテを飲みながら図書館で借りていた本を読む。

堀井和子さんの『収ったり、出したり』
20年以上前の本だ。

〈収うこと、出すこと、そしてその収い方について書いているうちに気がついた。これは結局、私が、私たちが、どんなふうに住みたいか、暮らしたいかということにいきつく。雑誌の、収納というテーマの特集を読むと、いつも家(うち)とはずいぶん違うなあ……と感じるのだけれど、違っていて当然。〉

〈私は合理的な収納の工夫はあまりしていないが、そういう一つ一つのものたちが、インテリアの中で、カッコよく、威張ってそこにいられるように、置き方、レイアウトをずいぶん工夫する。〉

〈本当に大好きだなあというものに出会って、迷いがなかったら買う。その大好きな一脚のためにいろいろ工夫する。インテリアが変化していく。その一脚にデザインがものすごくよく合う絵を次に買いたくなる。収ったり出したりをくり返して、インテリアを創っていくのだと思う。〉

モノが大好きな人の話はやっぱりおもしろい。堀井さんの収いかたは、いわゆる「収納術」とは違う。大好きなものたちが「威張ってそこにいられるように」ずいぶん工夫をするのだと堀井さんは言う。「収いかた」は「暮らしかた」だと。

わたしたち夫婦は「もの」が好きだ。しかしただ好きなものにたくさん囲まれていればいい、というふうにしていては暮らしづらくなる。暮らしやすさも大切。
それぞれの家庭に、大好きで大切なものがあるから、そのものをどんなふうに生活の中におくかというのはそれぞれで考えるしかなくて、そんなこと、巷の収納術の本に書いてあるわけがない。

夕方から子どもと一緒に『天空の城ラピュタ』を観た。
子どもは先日、ジブリ美術館で屋上の巨神兵を見たけれど、ラピュタを観たことがない。わたしは、何度も「ながら」で観たことがあって、だけどしっかりと集中して観たことはなかった。二人とも新鮮な気持ちで観た。めちゃめちゃ素晴らしかった。

これが1986年の作品であることに驚く。途中、エヴァだ!シンゴジラだ!と思うような場面もあり、この作品がこの後の映画やアニメに多大なる影響を与えたのだということにも感動した。

「龍の巣」に入った時、一瞬、パズーの父親の姿が見えたシーンが好きだった。あのシーンのための作品ではないかと思ったほどだ。

子どもは、「かなしくってないちゃった」と言っていた。天空の城が崩壊したことが悲しかったそうだ。そして、そうさせたムスカと軍隊を相当憎らしく思ったらしい。

「黒メガネ」「緑いろ兵士」などと呼び、さんざん悪口を言っていた。

八月九日(金) 晴れ

子ども、微熱があり、今日は学童をおやすみ。
しかし10時から予定があり、準備をして一人で天神へ出かける。
渡さなければならないものに気をとられ、財布を忘れてしまった。が、特に問題なし。

時間ちょうどに待ち合わせのスタバに到着した。さおりすはすでに着いていて、すこしするとマサイさんもきた。さおりすはアイスコーヒー、わたしとマサイさんはオーツミルクラテを飲む。
三人とも、川内イオさんのライタースクールの同期。かりんというライター仲間が、わたしあての郵便に二人への手紙も入れていたので、それを渡すためにひさしぶりに集合した。たがいの仕事の近況とか、仕事のあるある話などはなす。
さおりすの話に感情移入しすぎて、つい舌打ちが出てしまったのはよくなかった。(二人は気づいていなかったみたいでよかった)

マサイさんが先に帰り、さおりすとそろそろ帰ろうかなという時に、共通の知人の訃報を知る。詳しい状況がわかっておらず、ただふたりで静かに衝撃を受けていた。

たいせつな人と一緒に過ごせたり、言葉をかわせることはあたりまえのことではないとあらためて思う。みんなそれぞれに事情がある中、こんなふうに三人で集まって話せることだって、なんてラッキーなことだろう。またかならず会えると思ってわかれるけど、それが最後じゃない保証なんてどこにもない。
さおりすとハグをして別れた。

帰宅すると、昇降式のデスクが届いていた。重すぎる腰をあげ、今ある机を動かし、新しい机を設置するためにモノを大移動しはじめた。

途中、天神のモロゾフで買ってきた、おおきなプリンを切りわけてみんなでおやつにした。子ども大喜び。口内炎ができているけどプリンなら痛くない、と、そのことも喜んでいた。

デスクの説明書を見ても意味不明でさらなる億劫さに襲われていたところ、相方がヘルプしてくれた。その間にわたしは夕飯の豚汁を仕込んだ。

ごぼう、にんじん、大根、こんにゃくなどの具材を、切ったりスプーンでそいで、湯をそそいでおいたり。仕込みが終わるころ、デスクが完成した。説明書が不親切すぎて、相方なしにはできあがらなかった…感謝。

豚汁はおいしくできた。子どもも食べたいというので冷ましてあげた。「こんにゃくいたくない!」と言ってまた喜んでいる。食べたいのに口の中が痛くて思うようにたべられないのだ。「ひじも痛いし」というので見てみると、ひじにも発疹が。手のひら、足、口内炎。ほんとうに手・足・口に出るんだな。かわいそうだ。はやく治れ…とおまじないをかけておいた。

夜、子どもを寝かしつけるころに、ライター仲間のきえさんからメッセージがきた。
わたしの記事(「25歳の時、友だちが死んだ。」というnote)を読んで、感想を伝えたかったけど伝えられていなかった、けどやっぱり伝えときたいと思った、と、すごく気持ちのこもったメッセージを送ってくれた。
「書いてくれてありがとう」と言われた。

きえさんの身に起きた悲しみ、それに遭遇してどんな気持ちだったか、どうやってその悲しみと生きてきたのか。わたしの想像は想像でしかないけれど、その話を今日わたしに打ち明けてくれたことに胸がいっぱいになった。

八月十日(土) 晴れ

今朝も子どもは、口のなかがいたいから朝ごはんいらない、と言っている。
10時のおやつはちゃっかり食べている。(固いものは食べられず、やわらかいものだけ。羽二重餅の白い粉を唇につけていて、かわいい)

今日は、友人まみさんの子で、しいくんの幼なじみ、げんちゃんがごはんをつくるイベント〈源太食堂〉に行く。場所は油山の「もりのいま」。
11時半の部で予約をしてある。メニューはキーマカレーとのこと。準備の様子をSNSで見守ってきたから、楽しみにしていた。

油山を車でのぼっていく途中、高校生くらいの男子グループを見かけた。一組は5〜6人くらいのグループ。かなりだぼっとしたデニムに、なぜかみな上半身裸だ。
相方が「脱いだ方が、暑いんやけどな。気持ちはわかるけれども」と車で追い越しながら言った。

もう一組は2人組で、自転車に乗っている(というか坂が急すぎて押している)。こちらは普通の服装で、リュックから虫取り網が飛び出していた。かわいい。
相方はまた追い越しざまに、「こういう自然豊かな場所が近くにあるって、いいな」と言った。

わたしは、この尋常でない暑さの中、この坂を、この距離を、自力で登ろうという気概に驚いていた。若者よ、なぜ登るのか。そこに山があるからなのか。(お年寄りやランナーたちに人気のコースではある)

「もりのいま」に到着し、飲み物を注文してカレーを待っていた時、店内からさっきのダボパン男子たちが到着したのが見えた。そのスピードに驚く。

さらに驚いたのが、到着した瞬間から、広場で遊ぶために置いてある遊び道具で、グループのみんながおのおのに遊び始めたことだ。
縄跳びをする者あり、ラケットテニスのようなゲームをやりはじめる者あり。

相方も「おお、どうしたどうした。一斉にあそびはじめたぞ」と驚いていた。

若者よ、どうしてそんなに元気なのか。
若者たちはその後、沢の方へ移動したようだった。元気だ、本当に…

若者に気をとられているうちにカレーが運ばれてきた。源ちゃんの妹、はなちゃんが運んでくれるが、ちいさすぎてトレイが不安定になるので、源ちゃん父が背中からサポートしている。そのことによって、はなちゃんのキャップがどんどん前へずれてゆき、はなちゃん的にはほぼ前が見えない状態。
かわいい。かわいいしか言葉が出ない。テーブルにサーブしたあとのはなちゃんは、帽子を整えたあと、とても照れくさそうにしていた。

カレーもつけあわせも、見るからにおいしそうで「うわあ!」となる。
カレーは子どもでも食べられるように甘口。大人味が好みの人のために、テーブルにスパイスが置かれていた。
お肉の甘みが広がるカレーで、やさしい味。あとでテーブルに来たまみさんに、「この味はどうやって決めたの?」ときくと、最初はスパイスカレーにしようとしたんだけど、源ちゃんが、「やっぱり違う。給食のキーマカレーみたいにしたい」と言ったそうで、その味を目ざしたのだという。なるほど、と思った。

先日、子どもの給食がキーマカレーだった日に「わたしがたべたい」と日記にも書いた。
子どもは学校に行きたくないと言っていたけれど、お迎えにいくと「カレーおいしかった!」と言っていた。わたしは給食試食会で「カレーがたべたいです!」と前のめりに言ったのだが却下されたりもしていた。給食のカレーをめぐる記憶が脳内を去来する。

源ちゃんが「あついー!」って言いながら、大鍋のカレーを一生懸命かき混ぜていた、という話をきいて、じーんときて泣きそうになった。赤ちゃんだったあの子がつくってくれたごはんを食べている。すごく、すごく不思議だ。

親が子どものやりたいことを叶えてやる、というのはそのバランスがとても難しいと思う。〈源太食堂〉は、料理のことも、お金のことも、仕入れのことも、できるだけ子どもに関わらせていて(仕入れのお会計時に、源ちゃんが金額に震えていたという投稿も見た)、試みとしてすごくおもしろいなと思う。親が全部やってあげるほうが簡単だけど、子どもにさせるのは本当に大変だと思うけど、そのほうがおもしろい。

まみさんのコロッケを食べた時に、わたしは「料理って表現のひとつなんだ」と思った。まみさんがそう言ったわけじゃない。美しいフレンチを見て食べて「芸術だ」と思ったことはあるけど、それとは違う意味でだ。

まみさんはいつかわたしに、「子どもへの思いをそんなふうに文章にできるのがうらやましい」と言った。まみさんはわたしほどは自分の思いを言葉にできていないと思っているんだと思う。

だけどまみさんは、料理で自分の気持ちを表現してる、と思ったのだ。
おいしいの食べてね、元気になってね、という気持ちと工夫が、料理という形になっている。美味しいわけだよね。

それを毎日あたりまえのように食べてきた源ちゃんは、もっと小さい頃は「(自分の料理より)ジャンクなもののほうが喜んだりする。笑」と嘆かれていたけど、やっぱりちゃんと何かが伝わっていたんだな。自分の表現方法のひとつとして料理を、ということが受け継がれていくのだな、と、そのことにも感動した。

うちの子どもは、ひとくちだけ食べて、「おいしい!」と言ってから、やはり口の中が痛いとのことで、残りをお持ち帰りすることに。相方は「最高ですね」と言いながらぺろりと完食していた。おかわりしたいと言っていた。次回はおかわりシステムがあるとうれしい。

八月十一日(日) 晴れ

今日はカメラマンのキヨシくんのスタジオでケモノート(フリーペーパー)を折々する会。
睦子さん親子、ぐりちゃん、キヨシくん親子とわが家で久しぶりに集合する。キヨシくん、睦子さんとはそれぞれ最近会っているけど、ぐりちゃんとは数年ぶりに会える。

バタバタしながら、人数分のアイスコーヒーをドリップして、スタンレーの大きな水筒に入れて持っていった。(豆は先日スタバで買ったイタリアンロースト)

約束の時間をすこしすぎて、スタジオに到着するとすでにみんな集まっており、すぐに「お盆の親戚の集まり感」が溢れる会になった。
このメンバーで集うと、いつもどこでもこういう雰囲気になる。

持参したケモノートは500部とちょっと。これを大人5人で、夕方までにどれだけ折れるか。
おしゃべりしながら、時々おやつを食べながら、作業はサクサクと進み、4時すぎには完了。(ぐりちゃん、むつこさん、相方ありがとう)
大人5人、みんな同じようなテンション(低め)で、近況報告とも限らないおしゃべりをたくさんできてとても楽しかった。
子どもたちも、みんなでオセロをしたりマイクラをしたりして、あっという間に時間が経ったようす。

キヨシくんのスタジオを出て、うちの車でみんなで閉店間際のプレイズストアへ。

プレイズは、鳥飼に住んでいたころよく行っていた。高山くんとは桜坂で小さくお店をやっていた時にも一度会っているので、それ以前からの付き合いだ。
鳥飼にある小さな商店街のバス停のすぐそばにあったプレイズストアの雰囲気がとても好きだった。子どもからお年寄りにまで愛されていた。

高山くんはお店の近所に住んでいるわけでもないのに朝早くからプレイズを開けていて、その理由を「学校とか仕事に行く前に、『鉛筆削りに』みたいな感じで店に立ち寄ってもらいたい」と話していて、なんかめちゃくちゃいいな、と思った。そういうお店を実際に高山くんはつくっていて、そのことがすごいなと思っていた。

こういう場所をつくりたいと思ってつくるのは、誰にでもできることじゃない。だから、鳥飼店がなくなったのはとても寂しかった。
大楠もこの夏でなくなってしまう。けれどもこれからまた、高山くんがつくる場所を楽しみにしている。

(次回更新は未定です)


コロナ禍に書いた一ヶ月半の日記をZineにしました。

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東京の〈日記屋月日〉さんの店頭でもお買い求めいただけます。
下北沢へ行かれたら、是非ボーナストラックへお立ち寄りください。
とてもすてきな場所ですよ。(同じ敷地内にある『発酵デパートメント』のソフトクリームがめちゃおいしいです)

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