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写真って楽しいね。

取材から帰ると、ポストに幡野広志さんの新刊『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』が届いていた。
幡野さんのワークショップに参加した友人たちが「おもしろかったよ!」「写真を撮るのが楽しくなった」と言っていて、わたしもいつか参加したいと思っていたタイミングで発売され、読むのを楽しみにしていたのだ。

子どもをお迎えに行くまでの間に読み始めた。

幡野さんはまず書く文章がいいなと思う。幡野さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』という本も読んだ。(この本も良かった。)
いい文章を書くには、たくさんのことを考えた(知る、経験するも含め)上で、自分の考えに近い言葉を見つけなければならない。幡野さんの文章にはその過程が見える。そのことが「いい写真を撮る」とことと繋がっているのだと思った。

そして読み進めていくうち、この本は本当に写真の話をしているのだろうか…「書くこと」について話しているのではないか…と思えてきた。
たとえば、本に出てくる文章の、この部分。

うまいから……で?

「いい写真とは」より

この前後の文章なんて、まさに「書くこと」について考えることと同じ。
「いい写真ってなんだろうか?」は「いい文章ってなんだろうか?」に置き換えられる。写真の撮り方を読んでいるはずが、仕事について考えさせられて、すんごくおもしろい。

わたしがこの本を「いい本だ」と確信したのは、この本を読んでいたら写真を撮りたくてうずうずしてきて、読み終えないうちにカメラを持ってお迎えに出てしまったから。
わたしは「いいもの」(文章も、絵も、写真も、音楽も)って、人を動かす力があると思っている。

カメラは2台、自分用と子ども用を持って出た。いつもなら、寒いし、仕事で疲れていて気だるい時間が、ちょっとわくわくする時間に変わる。
カメラを渡すと、子どもの表情もぱっと明るくなった。

学童の教室を出た瞬間に「つきだ!」と言っていた。(子ども撮影)
植物や花を撮っていることが多かった。好きなのかな。
気になるものにはぐいぐい近づく。(子ども撮影)

草や花、マンホール、わたしも何枚か撮られた。「ママ、あそこにたって」と指定をし、道の向こうから撮ろうとしていたりして、その距離感に成長を感じる。いつも手を繋いでいたから。

二人で写真を撮りながら歩いた時間。ふつうの、いつもどおりの帰り道が、カメラを持つと思い出になる。「ママ、またカメラもっておむかえにきてね」と子ども。写真って楽しいね。

帰宅して、子どもが撮った写真をクラウドに保存しておこうとカードを読み取ると、明らかにわたしが撮ったのではない写真がたくさん出てきた。
去年持ち歩き用にGRデジタルを買った時に、子どもに撮り方を教えていたら、わたしの知らないうちに撮っていたらしい。

昼寝しているねこの背中とか(子ども撮影)
遊んでいるおもちゃとか(子ども撮影)

プライベートすぎたり、ぼけぼけすぎてここには載せないけれど、わたしの仕事部屋や仕事している横顔、夫の部屋、自分が組み立てたレゴ、買ってもらったトミカ、保護した子猫…決してうまくはないのに、子どもの小さな世界がいっぱいつまっていて、よくわからない感情にウワッと襲われ泣いてしまった。
10年後、20年後にはどう感じるんだろう。

幡野さんが、この本が発売された数日後にこんな言葉をポストされていた。

他人の目を意識しないで自分の好きな写真が撮れて、20年後に誰かの宝物になるような写真をみんなが撮れればしあわせだと思う。そういう人が増えるといいなと願って書きました。

2023年11月15日の幡野さんのポストより

子どもが撮った写真は、ぼけぼけの写真でも、まちがいなくわたしの宝物になる。わたしが撮った写真も、いつか子どもにとって宝物になるといいな。

はじめは「仕事について書かれた本だ」と思いながら読み進めていたけれど、後半にはしっかりと写真のことが書かれていて、大満足の一冊でした。
この本を予習として、チャンスがあれば幡野さんのワークショップに参加したい。その日が待ち遠しい。

その日が来るまで、楽しんで撮るぞ。のびしろしかない!

忘れものをとりに戻った子を待つ靴たち。

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