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6月5日水曜日〜6月11日火曜日の日記

わたし、体調不良。
子どもも、体調不良。
でも原稿完成。(やった!)

などなどあった一週間でした。
元気って、なによりの宝物。

六月五日(水) 晴れ

生理で朝から体が重い。気分も重い。
運動をする気になれない。子どもの支度をするのでせいいっぱい。

座っているのもしんどく、今日はほとんど使いものにならなかった。

六月六日(木) 曇りのち雨

軽い運動ができる程度には体調回復。ウォーキングはまだやめておいた。

昼食をたべて、近所のスタバで二時間作業。集中できたけれど、作業中は一人でぶつぶつ言ったり時々空を見つめたりしているから、近くにいた人を気味悪がらせてしまったかもしれない。

ピアノ教室に向かう車の中で、子どもが
「今日ね、きょうしつでかってるカエルがはじめてないたよ!」といった。
なんというかわいらしい報告だろうと思いながら、「何匹いるの?」ときくと「10ぴき」という。

思ったより多い。
わたしは、「ケロ」という小さくかわいい声を想像していたのだが。

実際は10匹のカエルがいっせいに鳴き出して、とてつもなくうるさかったらしい。

教室でとつぜん始まるカエルたちの大合唱。
想像して笑ってしまった。

六月七日(金) 曇り

朝起きたとき、子どもが「まま、ままはどうしてそんなにかわいいの」といって、両手でわたしの顔を包んだ。
今日は機嫌が良いほうの日なのだな、と思った。
機嫌が悪いほうの日はというと、起きた瞬間から怒っている。

朝のトレーニングを終え、ウォーキングから帰宅しシャワーを浴びる。
それから仕事を始める。

ここまではいつも通りだった。

11時過ぎ。学校から電話があった。
聞き慣れない声の主は、保健室の先生だ。
「しいさんが38度3分の熱を出しまして、お迎えにきていただきたいのですが」

仕事が中途半端だし(外で作業をしようと考えていた)、給食まで食べてきてもらえたら…などと思ってしまった。しかたがない。

20分後に学校に到着。
保健室に行くと5~6人の子どもが椅子に腰かけていて、うちの子どもはベッドに横になっていた。
保健室というのは、あたりまえだけどとても保健室っぽい。
日本人の脳内に刷り込まれた「保健室」という感じの保健室がそこにあった。学校は時が止まっているみたいだ。

先生に「何か流行ってたりしますか」と訊くと「溶連菌が」とのことだった。

子どもはすこし熱はあるが歩けるし、ふつうに話もできる。
荷物は先生が保健室まで持ってきてくれていたので、下駄箱まで靴を一緒に取りにゆき、車で帰った。
途中のコンビニで昼食を買う。

帰ると、心配していたのか相方が庭まで出てきていた。
子どもはちょっと気分が悪いといい、すぐにリビングのソファに横になった。

おなかがすいてから食べたらいいよ、と子どもに声をかけ、自分は昼食をとる。
昼休みの相方が、りんごジュースを買ってきてくれた。体調が悪い時はりんごジュースと、わが家では決まっている。

すこしして、子どもが「はきそう、べろがきもちわるいの」と言い、咳こむようにして吐いた。胃の中に食べものがなかったのか、ほとんど透明の吐瀉物。仰向けに寝ていたので、顔や服にもかかってしまっている。

相方が、子どもを抱いて二階の寝室につれてあがった。
濡れタオルで顔を拭い、服を着替えさせる。
子どもはよほどつらいのか、「しにたくない」と言って泣いている。
だいじょうぶだよ、と添い寝して抱っこし、背中をさする。
「びょういんいきたい」というので、すぐに小児科の混み具合を調べたりしていたのだけれど(昼だから休診のタイミングだ)、とつぜん「ねる」と言って眠ってしまった。

14時頃目をさまし、また病院へいきたいという。調べてみると、現在は8人待ち。いつもよりマシだ。すぐに予約を入れ、保険証と医療証を持ち、子どもをパジャマのまま車にのせていく。相方も行けるというので、運転してもらった。
車の揺れが気持ち悪かったのか、子どもはまた吐いてしまった。

到着したとき、順番はあと二人のところだった。
すぐに呼ばれる。来る途中で吐いたことを伝えると、ベッドに横になって診察しましょう、と奥の処置室へ通された。

顔なじみの先生が、「溶連菌の検査をします」といった。
「それから、点滴もしたほうがいいね」といったとき、子どもが「いやだ」という反応を示し、わたしはそれを受けて「以前、この病院で針を刺し間違えられてから、トラウマになっています」と伝えた。

先生は「それは…」といって、カルテを確認すると、「ちょうど一年前だったんですね。そしたら、点滴はやめて、吐き気止めの坐薬を入れましょう」と。子どもは坐薬も嫌がっていたが、点滴よりはいいでしょと、なんとか納得させる。

看護師さんが一瞬にして坐薬を入れてくれた。そのときに、子どものおしりのかぶれを見つけて、「塗り薬をお出ししましょうか?」と言ってくれた。

驚きつつ、お願いする。一度汗でかぶれて、その後、どうしてもかいてしまうみたいでなかなか治らなかったのだ。
坐薬になってよかったなと思う。

検査の結果、陽性であった。
溶連菌は嘔吐発熱で発覚することが多いそう。知らなかった。喉がいたいとか、咳からくるものだと思っていた。

熱が下がれば月曜日には学校へ行って大丈夫だが、熱が下がらなければかならず再受診すること、ぶり返すことがあるため抗生剤を一日三回、10日間飲みきること、を申しつけられる。

帰宅してからはずっとソファで横になっていて、夜にはずいぶん調子がよくなったのか、パンを食べ、昼に買っていたおにぎりセットも食べていた。

7時半くらいに就寝。わたしもやけに眠く、一緒に眠った。
夜の間は熱があり、添い寝している体が、いつも以上にあたたかかった。

六月八日(土) 曇りのち雨

朝食後、筋トレをしてウォーキング。
連日の筋トレとウォーキングでうっすらとした筋肉痛。下半身が重くてだるい。ウォーキング無理かな…と思ったのに、いつもの流れで出かける準備をしてしまった。

ウォーキングを続けられている理由の一つに、歩きながら聴いている『コテンラジオ』がある気がしている。

大人気のポッドキャスト番組で、わたしのまわりにもファンが多い。
毎回、歴史を独自視点で切り取り、解説してくれる。自分の気になる回を再生しながら歩くのだが、つづきが気になって翌日も歩いてしまう。

もちろん家で聴くことはできるのだけれど、家だと他の「やること」があるのでながら聴きになってしまう。
歩いている時の方が、歴史の世界に没頭できる。

最近聴いているのは、やなせたかしの話。
めちゃくちゃおもしろくて、時々、涙ぐみながら歩いている。

アンパンマンというヒーローはなぜ、「おなかがすいた人を助ける」のか。
なぜ、自分の体の一部をわけあたえるのか。なぜ、人を助けることで弱ってしまうようなヒーローを、やなせたかしはつくったのか。

多くの謎を解くには、やなせたかしが生きてきた中で、なにを見て、なにを感じてきたのかを知らなければならない。『コテンラジオ』の掘り下げかた、話の組みたて方に夢中になっている。

子どもは昨日とはうってかわって元気である。食欲もある。
「きのうは、めいわくかけたね…」とかいっている。

そういいながら、原稿を書いているわたしの、椅子の背もたれとわたしの背のあいだに入り込み、首のあたりのにおいを嗅ぎ「まま、いいにおい~」と言ってきたりする。(すごく邪魔だ)

体調を崩すのはあなたのせいではないし、誰にでもあること。そういうのは迷惑とは言わないんだよ、と伝える。
でも原稿を書いているときには放っておいてほしい。

午後、濃いコーヒーをいれて飲んだら、スイッチが入って原稿がざざざと進んだ。

後半は集中しすぎて何も耳に入っておらず、気づいたときには相方が子どもに夕食を食べさせてくれていた。(わたしは食事制限で夕飯なし)
とてもありがたかった。

六月九日(日) 曇りときどき雨

足が重いというと、子どもが、朝からマッサージをしてくれた。
昔からなのだけれど、この子はマッサージセンスが良い。

もっと小さい頃は、あたたかくふわふわの手のひらで、体をさする程度で、それでもきもちがよかったのだが、最近は力がついてきて、ふくらはぎや太もものポイントをぎゅっぎゅっとしっかりマッサージしてくれる。
両方ともくまなく同じように、ということはまだできないのだが、なぜか妙に気持ちがよくて、朝から疲れが癒えた。

朝食(オートミールリゾット)をとり、朝トレ、その後、ウォーキング。
少しだけランニングをやってみる。1分がとても長く感じる。走ってみると、たった1分でもぐんぐん先に進む。

時々、雨の水滴がほんのすこし体にかかるのを感じた。
涼しくて気持ちがよかった。

家にもどったらシャワーを浴び、スーパーへ買いものに行く。
卵ってこんなに高かったかな。いつも買っていた卵、300円ちょっとだった気がするが、380円になっている。

昼はお寿司。その後、猛烈な眠気におそわれて昼寝。
その後、コーヒーをいれ、机に向かう。
なんとか、ようやく、原稿が完成した。

書けない時は、取材が足りていない時なのだ。
書けない時には、文章の中に入れないとしても前提知識を増やすこと。
忘れないようにメモしておく。

ここから、磨く作業。

いま書いている原稿の中に、「これは神様に納める仕事なんだ」という言葉がある。
どんな仕事であってもそんなふうに考えてやりつづければ、良いものになっていくのではないか、きっとそうに違いない、と思った。

子ども、すっかり元気。よかった。
お医者さんに「1日3回、10日間、かならず飲ませてください」
と言われた薬を、わたしはかならず忘れ、相方はかならず憶えている。
とても助かっている。

六月十日(月) 晴れ

今朝も、『コテンラジオ』のやなせたかし回を聴きながらウォーキング。
「小さな親切を惜しげもなく行うことこそが正義」という言葉に胸打たれる。

巨悪に立ち向かったり、凄いことを成し遂げなくてもできる、目の前の人に親切にするという正義がある。

やなせたかしが問いかけるのは、「その正義は、立場によって変わるものではないのですか?」ということだ。そして彼は、どんな状況でもひっくりかえることのない正義を探した。そうして見つけたのが、「お腹をすかせた人に食べものをわけあたえる」ことだった。

また涙ぐみながら歩いてしまった。

うちの前に、しばらく人の住んでいない家がある。
引っ越してすぐの時には、おばあちゃんが一人で暮らしていたと思う。
その家を、建て壊す工事が始まった。単身(学生)向けのアパートになるらしい。

ウォーキングからもどったとき、家の中が見えた。
家具や荷物などがそのまま取り残されていた。
キッチンの上の吊り戸棚の食器。
テーブルの上には花瓶などの雑貨。

この家の中にのこされたもの、誰かがのこしたもの。
この家にたしかにあった暮らしが想像できてすこし哀しくなった。

スタバで日記(金曜日の分)を書いた後、読書。
古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』
原稿の推敲を行う前に、「推敲」の箇所から最後までを読みきった。

この本の各項目を、取材するたび、執筆するたび、推敲するたびに読み返して実践していけば、ずっと書き続けていけるのではないか。
そんな勇気がわいてくる。
筆者の古賀さんにお中元を贈りたくなった。

六月十一日(火) 曇り

毎朝子どもの宿題の丸つけやサインを行うのだけれど、今日は子どものランドセルに丸つけ後の宿題を入れ忘れた。

気づいた時、子どもと相方が出てから10分近く経っていた。
車で追いかけて、窓から宿題を渡す。間に合ってよかった。

そんなこんなで、ウォーキングに出るのが遅くなってしまい、暑くていつも以上に汗だくになった。

虎に翼。
昨日の轟の「どこで祈ろうと届くだろう。骨がある場所じゃなきゃ届かないなんて、死んでいった仲間たちが浮かばれない」
というセリフや、
自分は徴兵されても花岡が兵に取られずに済むと思ったら嬉しかった。花岡が待つ日本に生きて帰りたいと思えた、という言葉を反芻していた。
轟ってどこまで素敵な男なんだろう。

それから、昼休みに「アンメット」を観たのだが。
大泣きというより嗚咽して、化粧がぼろぼろになってしまった。

ラスト10分が凄いことになっている、と観た人のあいだで話題になっていた。本当に凄かった。

このドラマ、初回から、作品の主題が伝わるようにと非常に繊細でチャレンジングな演出をやっている。それをまだ超えてくるか、という驚き。

二人(杉咲花と若葉竜也)の芝居の間合い、セリフの言葉選び、カメラワーク……「渾身の」としか言いようがないラスト10分。
思い出しただけで泣ける。

三瓶先生は、「あの人は本当に幸せだったんだろうか、自分に何かできたんじゃないか、光をあててやれたんじゃないか」とずっと考えてきたんだろう。
けれどもミヤビは、「光はその人の中にあればいい」と言う。誰かにあててもらうのではなくて、その人自身の中に光があれば、暗闇でも明るく見えると。

陰に光をあてることもきっと大切で、光をあてると陰ができてしまうと悩むことも必要で、だけど自分の中に光があれば。それを持てる状態がきっといちばん大切。

そのために、何ができるのかと。
「こうすれば、陰は消えます」というセリフ以降、ずっと考えさせられている。

(次回は  6月 27日木曜日 に更新予定です)


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