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あのね帳(日記の宿題)について考える②

前回の続き


前の記事で書いたように、あのね帳の宿題をやるとき、娘は一人だとなかなか筆が進まず、私に泣きつくことがよくある。

まだ1年生だし、気長に成長を見守るしかないと思ってはいるが、娘がノートを開いたものの、ぐずぐずいつまでも書き出さずにいると、せっかちな私は

「なんでもいいから、もうちゃちゃっと書いちゃいなよ!それはママの宿題じゃなくてあなたの宿題なんだから、本来は自分ひとりでやるものだよ?」

とイライラしてしまうことが、時々ある。


しかし夫に言わせると、私ほ子どもに求めるハードルが高いとのこと。

彼は
「おれも昔は作文の宿題が出るたびにめちゃくちゃ憂鬱だったから、娘の気持ちがよくわかる。
自分で自主的にあのね帳を開いて、取り組もうという姿勢があるだけでえらいじゃないか!
まだ1年生なんだから、書いてる文章の内容やレベルなんてなんでもいいんだよ。
頑張って自力で何かしら書いたというだけで十分立派なのに、あやさんは文章がワンパターンとか言って評価が厳しすぎるんだよ。」
と言うのだ。

これを聞いたとき、彼はなんて優しい父親なんだろう、こんなに寄り添ってくれるお父さんがいて娘は幸せ者だなぁと私は思った。


私の両親は中国人という国民性もあり、二人ともスパルタなエリート思考、テストは100点が当たり前、成績はトップじゃないと、という教育スタイルだったので。

たいした結果も出てないのに、何かに取り組んだだけでえらいなんて褒められたような記憶がない。

もちろん私の両親も彼らなりに愛情をかけて、私を鼓舞し、支え、導いてくれたのは確かで、そのおかげで医学部にも合格できたのは感謝している。

ただ、私は子どもの頃からずっと、自分は優秀でなければ親に存在価値を認めてもらえないだろう、という思いを心のどこかに抱いていたような気がする。

だから夫の、成果なんてなくても十分えらいじゃん!と娘の存在をまるごと認める大きな愛情を、まぶしいなぁと思ってしまった。


娘が私と別の人間であるというのは頭ではわかっているのだが、私自身の幼少時から体にしみ込んだ「優秀でなければならない」という価値観がちょくちょく出てきては、ついつい自分の物差しを子どもにも当てはめてしまうという事がよくある。

私は自分の親の厳しい教育がイヤだったから、娘達にはもっと子どもらしくのびのび育ってほしいと願っているのに、なかなか「優秀であるべき」という呪いを解くのは難しく、自分の親のやり方を無意識レベルでやってしまうんだな~。

だからこそ、夫のように私と全然異なる価値観や考え方をもった人がパートナーでいてくれて、極端な方向にいきそうな私を引き戻してくれるので、彼と一緒に子育てできてよかったとホッとする。
(私のためにも、子どものためにも)

パパに抱っこされて、ごきげんな娘



話をまた、あのね帳に戻すと。

一応1年生全員に最低週1回は書くことが課せられているが、もちろん書きたい子はもっとたくさん書いても構わない。

うちの娘はそこまで書く意欲がないようなので、基本的には週末土日のどちらかで起きたイベント1つに関して1-2ページと、最低限しか書いていないが。

書くのが好きな子は、土曜と日曜それぞれの出来事をわけて書き、さらに週末だけでなく平日も書いて提出しているようだ。

昨年12月の冬休みに入る前に、
「もうあのね帳が書き終わりそうな子もいるので、必要な子には追加のノートを買ってあげてください。」
と先生から連絡がきたが、娘はまだ1/3くらいしかノートを使ってなかったので、たくさん書く子とはずいぶん差があるなと思った。


ちなみに、あのね帳を提出すると、先生からコメントがつくのだが。

娘のクラスの担任である若手の先生は、とても熱心にコメントを書いてくれる。

いつもテンプレ的なものでなく、子どもの書いた文章に対しての丁寧な感想や疑問を3-4文くらい書いてくれるので、娘の本文より先生のコメントの方がボリュームあるのでは?という時もあるくらいだ。

個人懇談の時にこの件に触れたら、先生は少しでも生徒たちの書くモチベーションをを上げるために、意識的に頑張ってコメントしてると言っていた。

確かにママ友に聞いたら、子どもは先生のコメントがうれしくて、それを励みによく書くようになった、という話もあった。

ただ残念ながら、我が娘にとっては先生のコメントは、モチベーションアップする程には響いていないらしい。



そもそも文章とは、誰かに何かを伝えたいとか、何かを表現したいとか、内発的に生まれてくるものだと思う。

先生に伝えたい何かがある子は、自ら進んで、熱心にあのね帳を書くのだろう。

私もこのnoteは、誰かに伝えたいとあふれてくる思いや、頭の外に出したい考えなどがあるから、好きで書いてるわけで。

そう考えると、たいして先生に伝えたい事もない娘に、義務として何でもいいから書け、という宿題って意味があるのかな…と疑問に思わなくもない。

しかしそれと同時に、文章の内容はともかく、低学年の子どもにとってはシンプルに文章を書くという練習が大事で、しかもある程度の量をアウトプットすることが必要だろうなとも思う。


上級生ママに宿題について尋ねたら、学年が上がると、あのね帳のような作文タイプの宿題はなくなるとのことだったので。

娘が書くことをサポートできるのも今のうちだけかと思うと、できる限り辛抱強く丁寧にフォローしてあげたいなと思えてきた。

まぁ短気な私に、どこまで実行できるかはわからないが…(笑)


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