恋文と童心 第二話・カレー臭(7)

「足立先生、ちょっといいですか?」
 俺が職員室の入口で手招きすると、自分の机で愛妻弁当を食っていた足立先生が箸を置いてやって来た。今日の献立は、チキン南蛮に温野菜と何かのゼリー寄せのようだ。青ひげが目立つ口の横に、ご飯粒がついている。全身から新婚ほやほやの幸福オーラを発散して周囲の顰蹙を買っているのは、職員室においても同じだった。本人は平静を演じているつもりが、口元がだらしなく緩みっぱなしである。未だ独身の教師からは憎々しく思われているに違いない。

「何だあ、姉崎。腹痛で早退か?」
「違いますよ。確か職員室に電子レンジが一台ありましたよね。あれって生徒も使っていいんですか?」
「おう、弁当温めたいのか? 別に構わないんじゃないか。しかし、それだったら購買の電子レンジがあるだろう。あっちのは壊れたのか?」
 足立先生はご飯粒を器用に舌先で舐め取った。

 確かに、購買でパンを売っている横に、生徒が自由に使ってよい電子レンジが二台設置されている。並ぶのに多少時間がかかるけれど、普通はそちらで事足りるのだ。
 だから俺は最初に購買で聞き込みを行った。パン屋のおばちゃんに電子レンジでカレーを温める生徒はいないかと訊ねてみたところ、「いるかも知れないけど、いちいち見てないよ」と素っ気ない返事であった。それもそうだろう。昼休みといえば、おばちゃんたちの戦場である。パンを買う生徒に掛かりきりでそれどころではないだろう。おまけに蓋を閉めたまま温められる弁当箱が主流とあっては、中身を覗くことも困難である。

「壊れてないですけど、こっちのほうが空いてるのかなって」
 俺は曖昧に言葉を濁した。
「横着せずに、あっちのを使え。職員室のレンジは、教師専用だ」
「生徒が使ってるとこ、見たことないですか?」
「少なくとも、俺はな。何でそんなことを聞く?」
「いえ、俺以外に目の付けどころが違う生徒はいないのかなって」
「お前くらいのもんだ。第一な、一Dの教室からだと、職員室まで来る手間を考えれば、購買で温めるのと時間的に大差ないだろうに」
「それはそうですけど。じゃあ、調理実習室のレンジは?」
「ダメだ。特別教室は昼休み使用禁止」
 取りつく島もなかった。

 なぜ俺が電子レンジに拘るかといえば、便所飯のカレーをどこで温めているのかを突き止めたかったからである。犯人が冷たいままカレーを食べているとは思えない。冷たいカレーは美味しくないし、温かくなければあれほど臭いは拡散しないものだ。
 校内で電子レンジがあるのは三か所。一つは購買、一つは職員室、一つは調理実習室。そのうち調理実習室が施錠されていて、職員室が使えないとなると、やはり購買が怪しいかも知れない。
 むろん電子レンジを使わなくても、保温状態を保つことはできる。例えば熱湯を入れた水筒を用意し、そこにジップロックなどに入れたカレーを入れておけばよい。ただ、カレーを食べるためにそこまで労力を費やすかといえば、現実的ではないと思う。

「残念だな。名案だと思ったのに」
 今週末、俺は購買の電子レンジに的を絞って張り込んでみようと決めた。うまくすれば犯人の正体が掴めるはずだ。

「なあ姉崎よ、俺はお前の積極性については感心してるんだ。最近もほら、新たに同好会を立ち上げたりな。そうやって学園生活を楽しめる環境に変えて行こうとする姿勢は、先生も大いに支持する。何に対しても無気力でだらだらと青春を無為にしている奴よりはよっぽど見込みがあるさ」
 足立先生は、なぜか軽い説教モードに入っていた。「だがな、お前たち……毛呂や岩淵にも言えることだが、お前たちはやる気の方向性が少し間違ってないか? もっとまっとうな青春を送っていいんだぞ。わざと日陰者になって、女子から嫌われずとも、お互い助け合って仲良くやって行けばいいじゃないか。いやな、クラスの女子からお前たちをどうにかしてくれって苦情が相次いでるんだよ。陰で盗撮されてるんじゃないかとか、いやらしい目で見られるのが我慢ならないとか、クラスの雰囲気を悪くしてるとか」
「ちょっと待って下さいよ。完全な濡れ衣でしょそれ」
 俺は抗議しつつも、背中にじんわりと汗を浮かべた。当たらずとも遠からず。校内パンチラスポットなるマップデータを男子に売っている(一部二百円で、六部売れた)のは事実だし、大介が持ち歩いているデジタルカメラにどんな写真データが記録されているか、あばかれたら一巻の終わりだ。

「俺はお前たちを信用してるよ。だが、クラスの女子の信用は得られていない。その現実を踏まえて、日頃の生活態度を改めてみろ」
「ちなみに、誰がそんなこと言ってるんです?」
「それは守秘義務だ」
「ズルいなあ。鴻池恋文じゃないですか?」
「違うな」
「なら、細野真愛あたりでしょ」
「だから言わんて。ほら、さっさと教室戻って飯を食え」
 足立先生はシッシと手を振って、俺を追い払った。

 言葉では誤魔化したようだが、細野の名前を出した瞬間、先生の目尻がわずかに痙攣したのを見逃しはしなかった。思った通り、俺たちの悪評を振り撒いている主犯格は細野真愛か。細野は恋文のそばにコバンザメのようにくっついている女子で、なぜか俺を目の敵にしているのだった。

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