恋文と童心 第一話・サボテン(6)

「お前はこういうことだけは、伊能忠敬並みにマメなのな」
 俺は半ば感動し、半ば呆れながら言った。
 LS研究会の初会合からわずか三日。視聴覚準備室の長テーブルの上には、赤と金のマジックでマーキングされた常盤下学園の案内図が広げられていた。
 赤いマークは六ヶ所。金色のマークが二ヶ所。どうやらこれが、大介の調べ上げた『常盤下学園パンチラスポット』らしかった。

「日頃から学園内の徘徊に余念が無いからね。案外、楽勝だったよ」
 それは自慢すべきことなのだろうか。
「金色は特別枠か?」
 と、丈一が訊ねる。
「まず鉄板だね。中庭のここは、第二校舎から部室棟への二階渡り廊下を下から覗き見られるスポット。ちょっと距離があるけどその分バレ難いし、オペラグラスを使えば問題ない。花壇の茂みの裏に身を隠せるのも好都合だ」
「こっちは?」
「テニスコートの横にある雑木林ね。ここはテニス部一年生女子の生着替えが見られる」
「おい、本当かよ?」
 俺は勢いよく食いついた。
「運次第だけどね。彼女たちは先輩が来るまでにコートの整備とか部活の準備をしなくちゃならないから、いちいち部室で着替えている時間がない。だから人目を忍んでコート横の林で着替えをする。だから時間帯は限られていて……そうだな、帰りのホームルームが終わる三時から三時半頃で、もちろん毎日じゃない」
「いや、それでも十分だろう。テニス部ということはようするに、アンダースコートを履いたり脱いだり……」
 想像力が働き過ぎて、丈一はじゅるりと涎をすすった。

「テニス部の一年って可愛い子いたっけ?」
 俺は少しばかり冷静だった。着替えが見られるといっても、セイウチやトドの日光浴では仕方ないのだ。
「アネさん、情報弱者にも程があるよ。テニス部といったら、A組の嶽本秋穂(たけもとあきほ)がいるじゃん。うちのクラスの鴻池恋文と学年の人気を二分する美少女だろ?」
「あ、ああ。そうだったな」
 俺は相槌を打ったものの、名前と顔がまったく一致しなかった。他の男どもが噂しているのを聞いた気がしなくもないが、何しろクラスが別だし、この半年間は恋文にフラれたショックから立ち直るのに必死で他の女子に目を向ける余裕がなかった。
「それと、同じくA組の坂本美紀(さかもとみき)。嶽本さんの親友で美少女コンビだね。その二人以外はまあ、ぼちぼちって感じ」
「す、すげえ。た、嶽本の着替えも見れるのかよ?」
 丈一は感極まって今にも卒倒しそうだ。
「残念ながら、そこまで確認は取れてない。僕自身もこの目で確かめたわけじゃないからね。でも、テニス部男子からの情報だから間違いはないと思う」

「実地検証するしかないな」
 俺は言った。
「そうなんだけどさ、問題はうちのクラスのホームルームがやたらと長いんだよ。梨花先生、ほんとに話好きだからなあ」
「ホームルームに出てたら間に合わないのなら、サボるしかあるまい」
「三人でか? いや、それはまずい。一人ずつローテーションだ。明日は俺、明後日がブッチ、次がケロでどうだ。着替えが見られるかどうかは運次第で公平だろ」
 俺の提案に丈一と大介は渋々頷いた。
「いいよ。部長だしね。アネさんに初日は譲るよ」
「こっちはそれで決まりとして、もう一ヵ所はどうすんだ? これから行ってみっか?」
「いや、さすがに放課後の中庭で野郎三人がたむろしていたら怪しまれるだろ。それにオペラグラスもない。明日の昼休みはどうだ? 弁当を食いながらなら自然に覗けるんじゃないか?」
「うん、いい案だと思う」
「よし、じゃあ明日の昼、オペラグラスを持参で中庭集合な」
 俺たちはわけも分からず高揚していた。狭い視聴覚準備室の湿度が二十パーセント上昇するくらいの熱気とやる気だった。

 俺がこいつらと仲良くなって良かったと感じるのは、この二人が自分はモテない人間だと自覚しつつも、まだ完全には諦め切れないでいる点である。鏡に映った自分の顔を見ればイケメンか不細工かは自明の理なのだけれど、それに納得せず、この角度だったら割とイケてるんじゃないか、眉毛の形の良さだけなら負けてないような、などと根拠のない自信で悦に入り、ひょっとしたら俺のことを好きな女が一人くらいいてもおかしく無くはないぞ、とあてのない希望に胸を焦がすことができる。客観的に見ればただの勘違いバカなのだが、実際に女にフラれた経験がない──つまり大きな挫折を知らないため、寛大な自己評価を捨て切れていないのだ。
 俺はそういうバカが好きである。少なくとも最初から自分を諦めて、二次元の世界に引き篭もって狭い価値観のなかで自己完結してしまう奴よりも一緒にいて楽しい。こいつらと友達になれたおかげで、俺も高校入学当初よりは随分と活力が湧いてきたと思うのだ。

「残りのポイントはどうしようか?」
「金色と赤ではどう違うんだ?」
 俺が問うと、大介は難しい顔で答えた。
「条件がね、厳しいんだよ。例えば風速五メートルくらい強風が吹いてないとダメだったり、この階段のポイントは膝上十五センチより短いスカートを穿いた女子が十段目から上にいる時に一番下から腰を屈めて上を見上げなくちゃいけない」
「パンチラ一つにえらい苦労だな、おい」
 俺は思わず突っ込みを入れた。
「でも運が良ければ見えるんだよ。だからマップは間違いじゃない。但し書きで条件を添えておけばいいと思う」
「一目で見やすくしないとな。やっぱり携帯の写メだけってより、アプリ形式にしたほうがいいんだろうか」
「どっちでもいいと思うな。何ならPDFだって構わないというか、全部で十ヵ所もないんだから一度読めば覚えられるでしょ」
「金を取るんだから、それなりのものにしたいんだ。後でクレーム入るのも面倒だしさ。なあ……」
 俺が丈一に話を向けようとすると、彼は一心不乱にスマホの画面を注視していた。瞳孔を開いて、目の端を血走らせていたりする。
「どうした、ブッチ」
「今さっきLINEが送られてきたんだが、これ、ちょっと見てくれ」
 丈一は自分のスマホを長テーブルに置いた。

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