恋文と童心 第二話・カレー臭(8)

 その週末、木曜金曜と二日間に渡って、俺は購買の張り込みを行った。
 昔は学食として利用されていた第一校舎東側の講堂広間は、出入り業者であるパン屋のショーケースとレジカウンターが半分を占め、残りのスペースに丸いテーブル席が五つ並んでいる。入口付近の壁ぎわには、電子レンジが二台と、カップ麺を食べるための電気ポットが設置されている。

「だからって、僕たちまで付き合わせないで欲しいね」
 と、愚痴をこぼしたのはテーブルの向かいに座った大介である。丈一のほうは購買で毎日パンを買っているので、とりわけ文句は無いようだ。
「どうしてそこまで便所飯にこだわるのさ?」
「どこのどいつが便所でカレーを食っているのか突き止めたいからだ」
「どうだっていいよ、そんなこと」
「好奇心が疼くだろ。なぜそいつはカレーだけを便所で食うのか」
 俺はすでに一つの仮説を立てていた。だが、その仮説が当たっているとしたら、今日この場に犯人はやって来ないはずだ。

「孤独な美少女が男子便所でカレーを食べてるってことなら、非常に興味あるけどね」
 大介は相変わらずの変態っぷりである。
「ケロの脳内は九十五パーセントが女でできているんだな」
「何か問題でも?」
「いや、不憫だなあと思ってさ。そんだけ想いを募らせても、女からは一向に相手にされる気配がないんだから」
「人のこと言えるのかよ、アネさんは」
「同じ穴のムジナであることは認めよう」
 俺は雑談を交えながらも、行き交う生徒を余すことなくチェックしていた。

 昼時ともなると、さすがに人の出入りが激しい。通勤ラッシュ時の駅構内とまでは行かないまでも、最寄駅のデパ地下並みのにぎわいである。なにしろ常盤下学園の隣にある専門学校の生徒にも、この購買は解放されている。普段見かけない顔が多いのはそのせいだった。
 俺は電子レンジに並んでいる生徒の列を注視した。彼らは手に手に弁当箱を持参しているが、蓋が付いているため中身までは確認しようがない。もっとも最初から女子を数に入れなくていいので、他人の手を借りずとも片手間でできる作業ではある。

「アネさん、さっきから鬼の形相で俺たちを睨んでいる女子がいるんだが」
 ふいに丈一が言った。
「笑顔で手を振ってやれ」
 もちろん俺もそれには気が付いていた。斜め後ろのテーブルから殺気にも似た凶悪な気配が漂ってくるのだ。

 そのテーブルには一年D組の女子が四人腰掛けていた。鴻池恋文と親友の細野真愛、それから坂下と篠塚というバドミントン部に所属している女子だ。
 殺気を込めた視線を送ってくるのは細野真愛。おかっぱに近いボブヘアーで、ややぽっちゃりした金太郎を女子にした感じの女だった。こいつは人間拡声器で、とにかく男子の悪口をところ構わず撒き散らす陰険な性格をしている。一体何の恨みがあって男をそこまで毛嫌いするのか知らないが、過去にこっ酷いフラれ方でもしたのだろう。うっとおしいのは、この女が恋文のSPを気取ってコバンザメのように始終まとわり付いていることである。こいつがいるおかげで色気づいた男子たち(俺を含めて)はお姫様の半径三メートル以内に近付くことさえできずにいる。

「あの熱い視線は間違いない。俺たち三人のうち、誰かに惚れているんだ」
 俺は冗談めかして言った。
「そうか? 今にも懐から果物ナイフを取り出しそうな目つきだぞ」
 丈一は巨体を委縮させ、本気で怖がっている。
「それだけ強烈に自分の存在を認めて欲しいんだよ」
「普段の細野の言動からしても考えられんのだが」
「バカだな。童貞のお前が女心の何を知ってるというのだ。いいから、手を振ってやれ。きっと頬を染めて俯くぞ」
「お、俺なのか?」
「ケロかも知れん。俺じゃないことは確かだな」

 俺はさり気なく自分を蚊帳の外に置いた。そしてテーブルの下では、二人に気付かれないようにスマホをいじり、恋文あてにLINEメッセージを送信した。内容は『岩淵が細野のことが好きらしい。協力してくれ』というデマであった。

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