恋文と童心 第一話・サボテン(7)

 画面にはメッセージに添付された一枚の写真が表示されている。場所は常盤下学園の校内で、おそらくは部活棟の廊下である。そこには一組の制服を着た男女がいた。
 問題はその体勢なのだった。彼らは人目を忍ぶように、その廊下で組体操をしていたのである。抱き合うでもなく、キスをするでもなく、なぜか組体操。

「何これ?」
 大介が怪訝な面持ちで訊ねるのも、もっともだろう。
「知らんよ。袴田からもらった。今から十分前に撮影したものらしいぞ」
 袴田というのは一Dのクラスメイトである。
「組体操だな。写ってるのは誰だ?」
「男のほうは一Cの住谷君だね。僕と同じ中学だったから知ってる。女子のほうの名前は分からないけど、多分三年生だよ。ほら、胸のリボンの色が緑だし」
 と、大介が説明した。
 常盤下の制服や上履きの色は、学年ごとに緑、青、えんじ色をローテーションしている。現在は三年が緑、二年が青、俺たち一年はえんじだ。

「しかし、なんちゅう際どい体勢だ」
 丈一はゴクリと喉を鳴らす。
「サボテンだな。組体操の技でそういうのがあるんだ。俺も中学の体育祭でこれをやらされた。もちろん相手は男だぞ。上に乗ったのが八十キロを超えるデブで、俺は危うく圧死するところだった」
 嫌な思い出である。サボテンという技について詳しく解説すると、中腰になった支える側の人間の両足に、もう一人の人間が足を乗せて立ち、両手を水平に広げる。下で支える人間は上の人間の太腿あたりに手を回して、思い切り体重を後ろに掛けてバランスを保たなければならない。

 送られてきた写真では、住谷の上に三年の女子が乗っていた。その先輩は女子にしては背が高く、腰の位置も高く、ようするに短いスカートを穿いた尻が住谷の顔からほんの十センチ前にあるのである。おまけに住谷は自分の両手で、先輩の太腿をしっかりと支えている。女子高生の生足を素手で触っているのだ。

「極刑だ。これは極刑ものだな」
 丈一は羨ましくて仕方ないらしい。三年生の先輩が、アイドル顔の美人なのが癪に触っているのだろう。
「この二人は付き合ってるんだろうか」
 俺は至極当然の疑問を口にした。
「それはない。絶対ない。僕の知ってる住谷君は、年上のお姉さんを彼女にできるようなバイタリティの持ち主じゃない。どっちかというと、僕たちに近い側の人間だよ」
 大介が断言するからには間違いないのだろう。確かに、写真の彼はいかにも文科系の内気な男子といった風体で、女子にモテる要素を微塵も感じさせなかった。
「ならばこの写真はコラ?」
「袴田に確かめてみる」
 と、丈一がさっそく携帯を耳に当てた。こういうことは写真を撮影した本人に確認するのが手っ取り早い。

 そして数分後。通話の結果から分かったことと言えば、この写真の光景はコラージュではなく、実際に袴田が遭遇したものだった。場所は部室棟の三階廊下である。囲碁将棋カード部に所属している彼が部活に出ようと西側階段から三階に上っていったところ、人気のない廊下で二人が組体操をやっていた。何だかいけないものを見てしまった気がして、彼は手に持っていたスマホで無意識のうちに写真を一枚撮ったのだという。
 幸いにもシャッター音は二人に気付かれず、袴田はしばらく二階のトイレに隠れて時間を潰したという。丈一にLINEを送って寄越したのはその時だ。およそ五分後、再び三階に上って行ったが、すでに二人の姿は見当たらなかった。
 袴田に写真の女子は誰かと訊ねたところ、三Cの初狩亜衣先輩だと判明した。彼女は手芸部に所属していて、囲碁将棋カード部や、住谷が入部している天文部ともども三階に部室があるのだった。

「……間違いないのだな? ……よし、分かった。ではいったん切るぞ」
 通話を切った丈一は、俺たちに向き直って言った。「やはりこの二人が付き合ってる事実はないようだ。囲碁部の連中の証言だが、二人が過去に接触しているところを見た人間は誰もいない。初狩先輩はこの通り美人で有名だから、誰かと付き合ってればすぐに噂になってるはずだ。大学生の彼氏がいるという一部情報もある」
「他人の彼女を奪うなんて、ますます住谷君のキャラじゃないね」
「ではこの写真は何だ? どうしてこういうことになってる。ある日突然、人気のない廊下で、組体操をしませんかとお願いしたら、先輩がオーケイしてくれたのか?」
 俺は鼻先で笑った。
「高いところに手が届かんから、踏み台になれと言われたとか」
「隣に部室があり、椅子も机もあるのに? 仮にそうだとしても普通はサボテンではなく肩車を選ぶだろう。そっちのほうが、けしからんが」
 俺は自分の頭が先輩のむっちりした太腿で挟まれる感触を想像した。

「何かのパフォーマンスなのかもね」
 と、大介。「ほら、写真だと窓に正対してるよね。ということは、窓の向こうに何かのサインを送っていたのかも知れない」
「ジェスチャーか」
 二人が顔を向けているのは中庭に面した窓の方向だった。窓は開いており、中庭を挟んだ向かいにある第二校舎が目に入るはずだ。
「そうじゃなくて、想像してみてよ。この体勢ってさ、第二校舎から見ると住谷君の姿が隠れてまるで先輩が宙に浮いてるように見えないかな」
「おお、そう言われれば確かに」
 丈一が大袈裟に頷いた。
「なるほど、空中浮遊を演じたってわけか。……んで、なぜ?」
「知らないよ。そういうトリック写真を撮りたかったんじゃないの? 誰かに見せて驚かせる目的でさ」
「だとしても、住谷を土台にする理由にはならないな。たまたま通りかかったから頼まれたのか?」
「まあ、頼まれれば断れない性格だよ、彼は」
「羨まし過ぎるだろ」
 美人の先輩の太腿を触れる機会など、滅多やたらに転がっているものではない。ある意味、胸を揉むよりも難易度が高いとさえ言える。

「さて、我々としてはだ」
 俺は厳かに告げた。「我々LS研究会としては、この事態を黙って見過ごすわけにはいかないよな」
「当然だ」
 丈一は鼻息を荒くした。
 もしこの二人に個人的な関係がなく、偶然にもこのような事態に陥ったのだとしたら、ラッキースケベの範疇である。しかもかなりレベルが高いスケベだ。女子の太腿を合法的に触るためにどうすればいいのか、参考までにそのメカニズムだけは解明しておかなければならない。ひょっとしたら実践に役立つヒントが得られるかも知れないのだから。
「今ならまだ住谷は部室にいるだろう。聞き込みを敢行する」
 俺が宣言するまでもなく、大介と丈一は同時に椅子から立ち上がっていた。


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