恋文と童心 第一話・サボテン(9)

「ねえ、あんたたち」
 それと入れ替わるように、もう片方の当人が手芸部の部室から現れた。身長一七〇センチ近い長身の彼女は、ファッションショーのランウェイを歩くモデルのように真っ直ぐ俺たちのもとに向かってきた。
「は、はい」
 柳眉が吊り上った彼女の美貌に圧倒され、大介がしゃちほこばって応じた。
「他人の噂を言いふらすの、楽しくて仕方がない?」
 明らかに先輩は怒っていた。おそらくは廊下の話し声を耳にした誰かが、彼女にメッセージを送ったのだろう。
「いや、楽しいわけではなくてですね」
「ゲスい男ね。性格の悪さが顔に滲み出てるわ。あんたたちみたいなゴミがあたしは大っ嫌いなの」
「ゴミって酷いな……」
「他人の噂をあることないこと言いふらそうとしてるんでしょ? 他人の嫌がることを進んでやろうとする、そのモラルのなさがゲスだって言ってるの」

 普段から汚物のように女子生徒から避けられている俺たちであるが、面と向かって女子から罵詈雑言を浴びるのは初めてかも知れない。おまけにまったくの正論なので反論の余地もなく、矢面に立った大介はたじたじであった。

「よーく聞きなさいよ。あんたたち、これ以上変な噂を立てようとするなら、こっちも報復措置を取るから。あんたたちのことを無視するように女子全員に通達するわ。そんなことできないと思ってる? おあいにくさま。あんたたちを嫌ってる女子は大勢いるから。あんたたちにセクハラされたって噂を流せば、どうなるかは予想できるよね。あたしのことを面白おかしく言いふらそうとしてたんだから、おあいこでしょ? これから三年間、女子に相手にされず童貞のまま卒業すればいいわ」
 ぐさりと胸に突き刺さる一言だった。とりわけ大介と丈一のうろたえぶりが顕著である。自分たちが女子にモテず、女子と付き合えるチャンスが少ないと自覚しているからこそ、あるかも知れない最後の芽をも摘もうとする先輩の姿が悪鬼に見えているに違いない。

「お、鬼だ。この人、鬼だ」
「黙らっしゃい。因果応報ってやつよ」
 初狩先輩は腰に腕を当てて、俺たちを睥睨する。
「アネさん、どうする?」
「どうするって」
 お前らもう完全に逃げ腰ではないか。女子に嫌われるのがそんなに怖いのか。ああ、そうか。そりゃ怖いよな。分かったから、怯えたウサギのような目で俺を見るな。気持ち悪いから。
 俺は仕方なしに彼らの背中を押してやることにした。
「ひとまず撤退するか?」
「よしきた!」
「戦略的退散だ! お、覚えてやがれ!」
 丈一と大介の行動はトムソンガゼルのように素早かった。俺をその場に残して踵を返すと、あっという間に廊下の角を曲がって見えなくなった。階段を駆け下りる音が次第に小さくなってゆく。
「情けない」
 俺は盛大に溜息を付いた。この程度の駆け引きに簡単に屈してどうするのだ。彼女が強い態度に出るのは、それだけ彼女のほうも焦っている証拠ではないか。切り札の写真はまだこちらの手にあるのだから、迂闊な行動に出られないのはお互い一緒である。

「ねえ、君はどうするの?」
「先輩は勘違いしてますが、俺たち別に、この写真をバラ撒こうとは考えてませんよ」
 俺は先輩の顔にスマホ画面を突き付けた。
 すると彼女は真っ赤になって唇を震わせた。
「誰が、こんなの撮ったの?」
「一年C組の袴田って奴です。写真をバラまいてるのもそいつですから、誤解しないで下さい。俺たちはどういった状況になればこの写真が撮れるのかを検証しに来ただけです。先輩が説明してくれれば、納得して引き下がりますけど」
「じょ、冗談じゃないわ。こんな恥ずかしいこと。あなた、袴田って子にも言っておいてね。写真をバラ撒いたらタダじゃおかないからって」
「知りませんよ。こんな写真を撮られた先輩が悪いんでしょ」
 俺が忠告したところで、秘密など漏れる時は漏れるものだ。

「本当に性格悪いね、あんた。女にモテないのも納得だわ。あたしはあんたみたいなスカした男が一番嫌い。さっき逃げて行った二人のほうが、まだ可愛げがあるわ」
「すいません、こういう性格なもんで」
 俺は悪びれず言った。
「変に斜に構えて、自分は余裕がありますよって口調がイラつくのよ」
「申し訳ないです」
「あんたの魂胆はバレバレよ。残念でした。あたしを怒らせたって喋らないもんは喋らないよ。じゃあね、ブサイク君。袴田って子は実力行使で黙らせるから、残念でした」
 初狩先輩は俺に向かって中指を突き立てると、手芸部に帰ってゆく。
「あの、先輩」
「何よ?」
「制服の襟に、クッキーの食べかすが付いてますよ」
「あっそう。どうもありがと!」
 彼女は襟を手で払うと、進路を変更して女子トイレへと向かった。


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