恋文と童心 第一話・サボテン(2)

 俺──姉崎童心(あねさきどうしん)が長々としたレポートを読み終えると、薄暗い室内から二種類のまばらな拍手が起こった。
 LS研究会という名の同好会、活動初日である。担任の山際梨花(やまぎわりか)先生に無理をいってようやく手に入れた部室には、俺以外に胡乱な顔つきをした二名の男子生徒がいた。俺と同じ一年D組のクラスメイトである毛呂大介(もろだいすけ)と、岩淵丈一(いわぶちじょういち)だ。
 メンバーはこの三人。人数が足りないため正式な部活動とは認めてもらえなかった。部室も視聴覚室の隣にある準備室を間借りしているだけで、午後六時には施錠して鍵を職員室に返さなければいけないという条件付き。
 前向きに考えれば、女子生徒に同好会の存在を気付かれずひっそりと活動をするには好条件ととれなくもない。なにしろLS研究会は女子禁制。学校への届け出には「LS(ライフスタイル)研究会」とあるが、もう一つの隠された意味、というかこちらがそもそもの本分なのであるが「LS(ラッキースケベ)研究会」の正体が露見することは非常にまずいのである。

 ラッキースケベとは何か。

 簡単に言えば、自然なハプニングを装って女子の体に触ることである。あるいは女子の下着や裸体を覗き見ることである。
 例えば廊下の角で出会いがしらに女子とぶつかって、その時偶然にも女子の胸を揉んでしまったとする。これは明らかに不可抗力である。自分の意志とは何の関係もなく、手のひらが胸に当たってしまったのだから仕方がない。触られた女子だって文句は言えないはずだ。いや、罵詈雑言を浴びせられてビンタの一発も貰うかもしれないが、こちらだって故意ではなかったと釈明できる。犯罪ではないと言い訳が立つ。ここが重要なのだ。
 何も知らずに開けてしまったドアの向こうで女子が着替えをしていて、こちらが望んだわけでもなく、彼女たちのあられもない姿が視界に映り込んでしまう。強風の日、短いスカートを穿いた女子生徒の下着がたまさか目に飛び込んでくる。図書室で本を取ろうと手を伸ばしたら、隣にいた女子も同じ本が読みたかったらしく、二人の指先が軽く触れあってしまう。
 そういったもろもろの偶発的な異性間接触が起こり得る状況を微細にわたって研究し、その空間に自らの身を置くことで、女子とお近付きになる機会を増やして行こうというのが、我がLS研究会の活動趣旨なのであった。

「いいね。分かり易くまとまってるよ」
 俺が一晩かけて作成したレポートに対し、大介が賞賛の意を表した。
「来年以降、後輩が入部しても、これを読めばLS研究会の目的がよく伝わると思うよ」
 彼は俺からコピー用紙を受け取り、それをスマホのカメラで撮影した。後でデータに起こしてフラッシュメモリーに保管し、各自に配る手筈になっている。いわばこのフラッシュメモリーがLS同好会の会員証である。
 毛呂大介は、眼鏡を掛けた痩せぎす男だ。どんなに大飯を食らっても太らない体質で、それどころか普通の食生活をしているとどんどん痩せてゆくという、女子にとってはある意味羨ましい体質をしている。ただ本人は筋肉の足りない骨と皮ばかりの肉体にコンプレックスを感じているようで、男女問わず、スタイルの良い人を恨めしそうに凝視する癖がある。非常に気持ち悪い男だ。趣味・特技はカメラ撮影。学校には内緒で、ミラーレスの一眼レフカメラをバッグに入れて持ち歩いている。

「うむ、異議なし」
 一方、椅子に深く腰掛け腕組みをし、大仰に頷いたのが岩淵丈一。
 この男は極度の文盲で、漢字の多い文章に関しては三行以上は理解できない。俺が書いたレポートも本当に理解しているかはなはだ怪しいところである。よくそれで県内でも指折りの進学校である『常盤下学園』に入学できたなと思うのだが、マークシート方式の入学試験で稀に起こり得るマジックという他はない。実際、この前の中間試験の結果、この男は学年で断トツ最下位の成績を叩き出していた。
 岩淵という名が体を表すのか、まさに断崖絶壁のようなゴツゴツした顔面をしている。体格は小太りだが筋肉もそこそこあって、ラグビーのFWが務まりそうな感じだ。もっとも性格が運動に不向きで、自分には甘く他人にはいい加減、何をやらせても三日と長続きしないという困った奴だった。そんな彼の唯一はまった趣味が、アイドルの追っかけ。地方で活動するマイナーな地下アイドルまでくまなくチェックしているらしく、豊富な知識量ではこいつの右に出る者はいない。

「肝に銘じて欲しいのは、我々はただのナンパサークルではないということだ。ストイックにラッキースケベを追及し、あわよくば女子と深い仲になって一線を越えることを真剣に考えてゆく部活である」
 俺は厳かな口調で同好会設立の挨拶を締めくくった。

 校舎の北側にある薄暗い部室に、石をひっくり返すと見つかる気持ち悪い虫のように集まった三名の男子生徒であるが、この俺──姉崎童心だけは他の二人と立場を異にしている部分がある。
 実は過去にある女子と付き合った経験があるのだ。
 おまけにその彼女とは初体験を済ませている。中学三年の冬だった。
 嘘をつけ、どうせ脳内の疑似彼女だろうと俺を知る人間ならば即座に思うであろう。だが、これだけは紛れもない事実。家に帰れば彼女とデートした時の写真もたくさん残っているし、彼女がプレゼントしてくれた地縛霊が憑いていそうな怖い日本人形だってタンスの上に飾ってある。呪われるのが怖くて捨てられないだけだが、とにかく飾ってあるのだ。
 もっとも、彼女には高校合格と同時にこっぴどい振られ方をした。
 だから今現在、異性に縁のない生活を送っているのは目の前にいる童貞二名と何ら変わらない事実である。そしてこれまでの人生で女にモテた経験など、あの中学三年の一度きりということも認めざるを得ない。


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