見出し画像

夫のありがたみ

毎年誕生日におめでとうと連絡をしてくれる男友達がいる。彼は大学時代の同級生で、学生時代はよく飲みに行ったり、キャンパスでたくさん語り合ったり、多くの時間を一緒に過ごした友人である。しかし男女としてのお付き合いに至ったことはなく、卒業後はずっと疎遠になっていた。

偶然共通の知人がいたことから、十数年ぶりに再会し、以後十数年、年賀状のやり取りと、何故かお互いの誕生日にLINEを送るのが定番となっている。

今年の誕生日にも彼から連絡があった。定番のおめでとうの言葉と一緒に、一言、「ケーキ作ったの?うまそう」と添えてあった。そういえば昨年のクリスマスに奮発して買った、有名店のケーキの写真をアイコンに使っていたのだ。

私はその一言を読み返しながら、数年前にも同じようなことがあったことを思い出した。ランチで訪れたフレンチのお店で盛り付けの美しさに感動し、その一皿の写真をアイコンにした。その後彼から、「うまそう。作ったの?」と一言あったのだ。

間違いない。彼の奥さんは相当な料理上手に違いない。いつもキラキラした料理の数々をインスタにアップしている系だろうか。おしゃれなエプロンを纏い、ホームパーティーを開いて友人を招いているのだろうか。私の想像は膨らみ、いつしか完全に人気料理研究家の姿とかぶってしまう。

一方私は料理が苦手だ。結婚して15年以上、特に子供が生まれてからは義務感から毎日頑張っているが、一向に手際が良くならない。世の中の奥様達のように、作りながら片付けるなど器用なことはできないし、映える盛り付けやキャラ弁とは無縁だ。私にとって料理とは、家族が健康に生きるための栄養と味を提供することであり、それだけで必死なのだ。

鍛え抜かれたプロが奏でる食材のハーモニーの写真を手づくりと思えるほどの料理上手な可愛い妻と、犬と二人の子供に囲まれて、庭付きの戸建てに住む彼は男としての勝ち組なのだろう。完全に私の頭の中には映画のように優雅なシーンが浮かび上がる。

私はふと夫が可哀そうになった。美しさとは無縁の「男の料理」のような盛り付けの料理を「おいしい」と毎日喜んで食べ、壮絶に散らかっている台所も黙って片付けてくれる。きっと夫はきれいな料理の写真を見ても、手づくりなどとは微塵も思わないだろう。

最近悪いところばかり目について不満を感じていた夫だったが、この些細な出来事によって急に愛おしく感じられた。
「やっぱり私にはこの人なのだろうな。」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?