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介護と命とお金

今の時代、高齢化社会で介護をする人が増えている。介護はものすごく大変だ。労力も使うしお金もかかる。だけど、私が介護をしている母を見て一番思うのは、精神的な辛さだ。

終わりの見えない介護、命に関わる選択、いつ何があるかわからない恐怖。実際には祖母は介護が必要な方が多く暮らしているホームで世話をしてもらっている。それでも本当に大変だと思う。

私の祖母は4年前に脳出血で倒れた。

なんとか一命をとりとめたものの、右半身が麻痺してしまい、意識はあるものの、意思の疎通はかなり難しくなってしまった。

始めはリハビリをしたり、大声で騒ぐほどの元気があった祖母も1年のうちに口数が減り、元気がない日が増えた。

高3の夏、地方のリハビリホームにいた祖母は、これ以上そのホームにはいられなくなり、私の家の近くのホームに移動することになった。

母は暇さえあればほぼ毎日ホームに行くようになった。私もよく付いて行って、一所懸命話しかけるようにしていた。祖母は機嫌のいいときはよく話しにうなずいてくれたり、外にも出たことがあったなあ。最初は回復を望んでいた私たちも、次第に現状維持を目標とするようになっていった。

介護には介護認定のレベルというものがあり、レベルが上がるとできないことが増えたことを意味し、月々の値段も上がる。認定のレベルを上げないように必死で、、、下がると喜んで。いつの間にか、会話の半分くらいが祖母の話だったかな。

一年前、祖母がご飯を食べられなくなった。ホームからは胃ろうにするか、このまま命が尽きるのを見守るかの選択を迫られた。

ホームの人は胃ろうに良い顔をしなかった。でも、少しでも生きていてほしいという願いで母は胃ろうの決意をした。きっとこれには多くの意見があるだろう。でも、ここで祖母を失ったら、母もどうなってしまうかわからない。そう考えると私は賛成するしかなかった。

母は今、ホームに払うお金を稼ぐために働いている。稼いだお金はほとんど祖母のホームのお金に流される。「自分は何のために働いているのだろう。」何度聞かされた言葉かわからない。

「自分の選択は正しかったのか。」「自分のエゴではないのか。」元気な祖母が見られるなら、母も頑張れるだろう。しかし、ただ生かされて、ただ過ぎていく毎日を見ている祖母を見ると、そのために働いている母が辛そうで、母はホームではなく祖母の命にお金を払っているのではないか、と思う。

もちろん祖母の命は大切だ。でも、私はそれ以上に母が大切だ。始めは生きていてくれればと思って出していたお金も、期間が長くなるにつれて家計を圧迫する。私たちは祖母がこんなに長い期間生きると思わなかったと思ってしまう。

長生きして欲しい。しかし、いつ亡くなってしまうかわからない人にどれくらいのお金を、どれくらいの期間、出し続けることができるだろう。これはお金をドブに捨てていることになるのだろうか。そのために働かなければいけないのか。

私には何もできない。無力であることを痛切に感じさせられる。

これからの世の中、そんな思いの人が増えていくのかな。もっと介護にやさしい国になればいいなんて思うけど、何がやさしいのだろう。結局は自分たちで決めなければいけないのに。

私にできることはせめて、笑顔で母の決断を信じてあげることだけかもしれない。

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写真は春に撮ったサクラです。少しでも明るい気持ちになれるように頑張らなくっちゃ。

今まで、暗めな内容しかなかったから、次からは明るめにしたいな~なんて。元がネガティブだから明るい話書けるかな、、、





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