不登校の子どもへの支援 子どもの気持ちを置いてけぼりにしていないか?
登校したくない子どもに対して、登校するための「環境調整や理由を聞いて対処する」ことは親が登校して欲しいという願いを叶えるだけになってしまうのではないか。
それは子ども自身を置き去りにし、蔑ろにしていることになると思う。
ではどうしたら良いのか?
何よりまず子どもの「登校したくない」気持ちを受け止めることが子どもの力や自分を信じる気持ちを奪わないために大切だと思う。
子どもの気持ちを受け止め、寄り添うこと。
それが今後どんな道ややり方が子どもの願いに合うのかを話し合うために必要なんだと痛感している。
私は散々自分の登校して欲しいという願いを叶える為に頑張り、それが子ども達を傷つけ、自分は何かだめなのではないかと思わせてきてしまったと思っていて、とても後悔している。
今子どもたちが自分の力や願いにつながれていないのはそのせいだと思っている。
子どもが感じてきたことを受容的に聞くことが最優先
子どもが登校するとどんなことを感じるのか。
正しさではなく、ありのまま受け止める。
息苦しくなる
身体が強張る
動悸がある
不確かで心もとない
漠然とした不安
自分が自分のままで在っていいと思えない感覚
など身体感覚も含め感じていることを受け止める。
その子が感じているとしたらそれは存在して、真実だから。
そして言動選択の元になっているから。
それを親子で理解し、解きほぐしていくことが大事だと思う。
大人も受容できない気持ちが在る。それを受容する
でも一方で大人は「正当な理由があって、納得できないと受け入れられない。」または「正当な理由があっても正しさがあればそちらに合わせなければいけない」と教えられて従ってきた場合も多い。
だから最初から冷静に「子どもの感じていることをそのまま受容する」ことは難しいなと感じる。
ココが本当に、とても難関だなと感じてきた。
私には私の守り方、生き方が在って、大切にしたいことも在る。
ここを自分でどれだけ受容できるかにかかっているなと感じる。
子どもを受容できないことや自分が違う価値観だということを否定したり、それは自分がダメなんだと責めると子どもを受容することが更に難しくなるなと感じてきた。
自分を押し殺し、正しさや誰かの快に合わせようとすることが受容することを難しくさせている。
これが今までのパターンだ。
社会や周りに合わせてきた。
対象が子どもになっただけ。
これでは力が発揮できない。
自己受容が他者受容することにつながる
それぞれの正しさや選択が在るんだと理解し、自分にも許可することが人の気持ちや意見を聞く土台を作る。
子どもの話しを聞いてもらって、受容されたと感じること。
安心を感じること。
それが子どものもっと深いところで感じていることに触れられるようになると思う。
息子たちと対話をしてきて、息子たちだけでなく自分にもこうあるべきがたくさんあって、それができないと罪悪感を感じたり、自分はダメなんだとかんじていることがわかってきた。
そのせいで自分のままで居ることが怖いと感じたり、自分を偽ることもあった。
また求められることに無理して応えたり、そのせいで疲弊したり、もう頑張れないと思ったりしてきた。
それが自分を苦しめてきたんだねと息子たちと話している。
息子たちや自分がそれぞれ感じてきたことを丁寧に見ていくこと。
もう一度丁寧に感じていくこと。
今3人の息子たちとそれを続けているところ。
こうあるべきや信念に対して、どうやったらいいと行動をアドバイスしたところでそれが怖さや傷の痛みからきている場合、歯が立たない。
またそれどころか怖さや痛みを越えられない自分がダメなんだという評価や否定になってしまったら、また同じように自分を信頼する力やエネルギーが奪われてしまう。
結局同じパターンになる。
誰かの求めることに応えたり、合わせる。
それができなければ自己否定する。
このパターンから抜け出すことが大事だ。
その為にもまずはしっかり受容することが大事だと思う。
本当は何ができるのか。
何を大切にしたいのかを考えていく為に自己理解と自己受容がとても大事だと思う。
親はすぐ解決したくなってしまう。
目の前で傷つき、落ち込んでいる子どもがいたら
また将来への不安や焦りがあったら
アドバイスや説得して変えたくなってしまう。
その気持ちはとってもわかる。
私はこの気持ちは無くなることは無いのかもしれないとさえ思っている。
大切な人だから守りたい。
救いたいと思ってしまう。
でもそれが守ることや救うことにはつながらない。
かえって子どもが自分を信じられなくなってしまう可能性があって、内省や挑戦するエネルギーを奪ってしまうと散々痛感してきた。
だからまず自分で心底納得して受容できてから、何か違う選択をしていくのだろうと感じる。
実際息子たちといろいろな対話をしてきて、自分お意見を表現したり、Noを冷静に表現できるようになってきた。
それはこの先息子たちを助ける大きな力になるなと感じている。
親が良かれと思うことを押しつけたり、コントロールしたり、
子どもの問題を聞き出し、親が望むようになるために対処する。
そのやり方では子どもが自分の大切にしたいことに気づいたり、それを選択し、どんなやり方や内容だとできるのかを創造する力につながりにくいと感じる。