まず丁寧に珈琲を入れることから 【不登校母】
せかせかした気持ちではなく 朝から「自分のため」思って珈琲淹れてみた。
「丁寧に自分を扱う」
「自分を大切にする」
こういうことを少しずつ大事だなと思えてる。
いつも食事もあわただしく食べてきたな。
子ども達が小さな頃からやらなければいけないと思い込んでいたことが多すぎて、自分の力量や、心身の限界を超えてやることを詰め込んでいたなと思う。
習い事もあんなにしなくて良かったのになと今は思う。
自分に余裕が無いと子どもだって吸収できないだろう。
私もあんなに忙しくて、触れると危険なナイフみたいだった。
余裕が無いから
時間通りにやらないといけないと躍起になり子どもをコントロール。
苛立ちや私の雰囲気や表情が与えた悪影響のほうが遥かに多いと思う。
ほんと何をやっていたんだろうね…。
私がずっと戦闘モードだったんだろうな。
何とかしないとと躍起になってた。
でも次男のいじめからの不登校に続き、三男が不登校になって、絶望的になってしまって、いろいろできなくなっていた。
現実逃避していた時期もある。
バンタンに癒され少しずつ回復していった。
でもそこで息子たちの力になりたいと猛勉強を始め、読書や講座で学ぶことに躍起になっていた。
また戦闘モード。
最近やっとそれも傷つきからの反応だったんだなと思う。
まだなかなかやめられず、すぐ駆り立てられるようにやってしまったり、できていないことで落ち込むけど、それも私が何とかしたいという思いからきていて、ちょっと行き過ぎだよなと思ってる。
一方で息子たちに良くないエネルギーを向かわせない為にも、自分の無力を感じ、絶望しないためにも必要だったとも思う。
最近少しだけ無理し過ぎている、不安から反応している自分に気づき、身体の力を抜くこと、深呼吸すること、自分が幸せを感じる自然を感じることなどを取り入れている。
X(Twitter)のヘッダーにもカフェラテが癒しと書いてるのに、珈琲を丁寧に入れて、じっくり味わうが出来ていなかったな。
気づいた時に丁寧に今を感じよう。
たぶん今の私にはそういうことが大事なんだ。
すぐ戦闘(警戒)モードになって、神経が過敏になり、対処に躍起になりやすい自分。
そのことを理解し、本当にゆった~り自分を感じる時間を大切にしよう。