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不可能を可能にしたヴィルヌーヴ版『DUNE』

ホドロフスキーが錚々たるメンバーを集めたにも関わらず制作を諦め、デヴィッドリンチの自他共に認める黒歴史。その後も紆余曲折あって、「映像化不可能」とさえ言われた『DUNE』。そのヴィルヌーヴ版が満を辞してついに公開!ということで、先日ようやく『DUNE』を観に行ってきた。

ここまできて流石に失敗はできないだろうけど、まあどんなものかヴィルヌーヴのお手並を拝見しようじゃないの…なんて気持ちで観たことを謝りたい。失敗どころの騒ぎじゃない、想像を遥かに凌駕する壮大で重厚な映像にただただ圧倒されて、もはや言葉を失った。こんな没入感、久しぶりに感じた。『DUNE』の足跡を僅かながら知っているが故に、このヴィルヌーヴ版にはもう「すごい」以外の感想がない。

シャラメの綺麗なお顔目当てで観た人や、ヴィルヌーヴのファンだから観たという人も、今回初めて『DUNE』に触れたという方々に、このヴィルヌーヴ版をより楽しんでいただくためにぜひ観ていただきたい映画が2本ある。

今回はその映画の紹介とともにヴィルヌーヴ版の宣伝をしようと思う。

ホドロフスキーのDUNE

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SF超大作、『DUNE』の映像化の構想はホドロフスキーに始まる。ホドロフスキーは『エル・トポ』などでカルト的な支持を得た愉快なおじいちゃんである。
このおじいちゃんと壮大な『DUNE』映像化の計画は、同タイトルのドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』で詳しく知ることができる。

『DUNE』の製作には、ホドロフスキーが絶対に映画化したいと意気込んでいただけに、とんでもないメンバーを揃えている。

サルバドール・ダリを皇帝役(ヴィルヌーヴ版では皇帝は未登場)、オーソン・ウェルズをハルコネン男爵役に起用しようとしていたことが明かされ、さらに音楽はピンクフロイドが担当する予定だったという。そんなのもう観たいに決まってるじゃない!ちなみに、ポール役には自身の息子を起用しようとしていたらしく。ホドロフスキーの親バカっぷりも垣間見える。

『ホドロフスキーのDUNE』の見どころは、それだけではない。漫画家メビウスが書いた伝説の絵コンテを一部アニメーション化して、ホドロフスキーの構想を少しだけ映像として実現しているのだ。緻密に描きこまれた白黒のイラストが動くだけで、映画のワンシーンを観ているような気持ちになり、そのアイデアのすごさに引き込まれる。それだけ、この「幻」とも言われるホドロフスキーのアートブックは完成度が高いのだ。(先日、このアートブックは3.5億円で落札されたらしい)

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『DUNE』がスターウォーズを始めとするSFの原点と呼ばれる理由はここにあって、ホドロフスキーの絵コンテやアートブックでの構想に影響されて、後のSF作品が生まれたと言っても過言ではないのだ。実現しなかった映画のアイデアが後世のSFを形作っていたなんて、このホドロフスキー版『DUNE』がいかに壮大な大作となるはずだったかが伺える。そんな『DUNE』映像化計画は、結局上映時間の長さと予算不足により頓挫してしまう。もしこの映画の制作が実現していたら、SFというジャンルは今とは全く違うものになっていたのかもしれない。

愉快なおじいちゃんが時に悔しさと怒りを滲ませながら、豪華ゲストとともに実現しなかった『DUNE』への思いを語る。ホドロフスキーの構想がいかにすごいものであったかを伺い知ることができるので、ぜひ観ていただきたい1本だ。

リンチ版DUNE

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さて我らがリンチの『DUNE』は、残念ながら自他共に認める黒歴史であり、正直映画を観たら「駄作」という評価をせざるを得ない。しかしこれは当時のスタジオ側がリンチにファイナルカット権を与えなかったり、映画館の回転数を維持するために作品を2時間の枠に収めることを強要したりと、製作側とのアレコレがかなり影響しているので、リンチの力不足だけが問題ではないようだ

実際、当時長編経験が2本のみの新人監督だったリンチがDUNEを撮ると聞いたホドロフスキーはこんなコメントを残している。(『ホドロフスキーのDUNE』より)

デヴィッド・リンチが監督すると聞かされた。ショックだった。彼なら成功させるとね。あの映画を作れる才能を持つ唯一の監督だ。私の夢だった映画を他の監督が作るなんて。

しかしリンチ版は、ボイスオーバーでの説明を多用して駆け足で物語が進んでいき、原作の壮大なダイジェストのようになってしまっている。後半の展開は特にひどく、ファスト映画の方がまだマシなんじゃないかという勢いで話が進んでいくので観客は完全に置いてけぼりをくらう。どこにも感情移入できないまま終わってしまい、映画作品としては確かに失敗作だったのかもしれない。

リンチ版の公開を聞いて、泣きそうになりながら映画館に足を運んだというホドロフスキーは、映画が進むに連れて段々元気になっていったというから笑ってしまう。それでも、「リンチほどの才能のある人物があんな駄作を撮るわけがない」とも言っているので、やはりホドロフスキーの目にもリンチのせいではないと映ったようだ。これは私も同意見で、「夢」と「心理描写」を描かせたら右に出るものはいない(と思っている)リンチがあんなひどいポールの夢を撮るとは思えないし、そもそもリンチの映画はゆっくり進むのが特徴の一つでもあるので、ユニバーサル的な「手に汗握る!」みたいな方向に持っていこうとしたのも相性が悪かったのかもしれない。

それでも、数々のデザインにリンチらしさが溢れていて、映画作品というよりリンチ作品として私は好きである。

ギルドナビゲーターなんてどう考えてもスパイスを摂取した「宇宙版スパイク」だし(またこれも衝撃のキモさなのである)、

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クソポリゴンのシールドで真面目な顔してチャースカ言ってるカイルも滑稽すぎてもはやコメディ。

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アトレイデス家ではなぜかパグを飼っており、膝にパグを抱えるカイルの絵面が可愛すぎてどう頑張っても緊迫感のないシークエンス、しれっと出演しているジャック・ナンスなど、ツッコミどころ満載のリンチ的キャラデザを楽しむだけでも、リンチ版DUNEは観る価値がある。(なんとリンチ自信もカメオ出演しています!)

ちなみに、この『DUNE』で大手映画会社との制作に懲りたリンチが、これからは自分の撮りたい映画を撮る!と決めて撮ったのが『ブルーベルベット』である。『DUNE』の撮影で出会ったカイルを主演に起用し、「リンチスタイル」を確立したとも言えるので、『DUNE』がなければ後のリンチ作品は生まれなかったと言っても過言ではないだろう。
さらにちなむと、カイルとスティルガー役だったエヴェレット・マッギルは『ツインピークス』で再度共演を果たしている。
黒歴史ではあるものの、リンチ映画史の中では『DUNE』もなくてはならない作品なのだ。
「駄作」と批判せずに、ぜひリンチ作品を楽しむという気持ちで観ていただきたい。

ヴィルヌーヴ版DUNE

とにかく迫力のある映像にただただ圧倒され、もう言うことが見つからないと思ったヴィルヌーヴ版の1番の功績は、物語の視点を変えたことにあると思う。

DUNEはとにかく聴き慣れない固有名詞が多く、その上登場人物も多いからリンチ版を見た時はまず名前とそれが差すものを理解することに時間がかかった(というかついていけなかった)。しかしヴィルヌーヴ版では、あくまでポールの視点に物語を絞ることで、"part 1" の大枠は「アトレイデス家とハルコネン家のアラキスの支配権をめぐる争い」という構図にとどめ、まだポールの興味の範疇外である皇帝とギルドについてはまだ触れられていない。これにより、かなり物語がわかりやすくなる。

それでいて、展開はほとんどリンチ版と同じであり、リンチ版をそのまま登用したようなシークエンスも多い。スティルスーツのデザインもほとんど同じだ。
リンチ版が「駄作」であるなら、完全に前作を忘れてオリジナリティを出してもいいはずのところを、かつて『DUNE』を観た人のイメージを大幅に変えることなく、圧倒的な映像美でアップデートするという方法を選んだことも、ヴィルヌーヴの真面目さをよく表しているのだと思う。それでいて、リンチ版よりキャラクターを丁寧に描きこんでおり、役者の特徴と相まって登場人物たちのそれぞれが生きている。

こうして、ヴィルヌーヴ版は誰もが納得する素晴らしい作品に仕上がった。
第2部は、第1部の売り上げで制作をする予定だったそうだが、早くも資金が集まり、制作が決まったようだ。
まだ公開は続いているので、ぜひこの世紀の大作を観に、映画館へ足を運んでもらいたい。

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