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ギフテッドと普通級と支援級

更新が開いてしまいました! 毎日が慌ただしく過ぎていきます笑 親であるわたしの方が、あれやこれやと新学期に使う持ち物を準備したり予定を把握したりとバタバタしています。

わたし達の住む地域でも夏休みが明け、こども達は学校へと戻っています。外を見ればコロナの話題や台風で持ちきりだけれど、わたし達の地域の学校生活というところだけを見ると(マスクをしている、給食は前をむいてなどの制約はあるけれど)、通常通り行われている実感があります。

さて我が家の娘は、大変嫌々ながら学校に戻っています(笑) 帰ってきた直後は楽しかった!と言って帰ってきますが、夕飯をたべ、寝る前になると元気がなくなり、朝学校へ行く時は渋々...という状態です。 娘にとって学校とは「嫌だけど行かなくてはいけないもの」という場所であり、親のわたしとしてはつくづく、わたし達が住む地域にもっとたくさんの「学校」というオプションがあればいいのに...と思わざるを得ません。娘が学校に行きたくないと感じる原因は、話してみたところ色々とあるようですが、それが勉強であれシステムであれ、はたまた友人関係であれ、この世の中にはきっと彼女に合う別の「組織」や「システム」があるはずであり、そのオプションを選べる仕組みがあればいいのになぁと感じています。大都市のみに限らず日本全国どの地域でも、例えばですが、この学校はこういうタイプ、この学校はこういうタイプ、我が子はこういう性格だから、この学校へ...という選択肢が増えることを祈らずにはいられません。 

それと連動して、先日こどもを遊ばせていたお母さんのお話をシェアしたいと思います。娘のお友達の男の子は、幼稚園の頃に、ある発達障害という診断を受け、現在は近くの公立小学校の支援級に所属しています。娘と遊ぶ時には特に困った様子もなくいつも楽しく遊んで終わるので、わたし達が特に彼の行動で何か迷惑を被ったりということはありません。お勉強は娘と同等に可能です。でも注意が逸れてしまう、お友達の中に入ることが苦手、といった彼の性質は、「普通級」には属せないもののようだ、ということでした。現在彼は来年以降に「普通級」に入れるようその練習をしながら学習しているそうです。

支援級と普通級についての理解ということからほとんどできないわたしは、話をしながらいろいろなことを感じ、学ばせてもらっていたのですが、その彼が所属する支援級に、とても「天才的」な男の子がいるのだそうです。その男の子は、幼稚園の時から大人が読む新聞を読みこなし、平仮名カタカナ、漢字にアルファベット、どれも親が教えたことは一度もないにもかかわらず、なぜかその意味までもわかってしまうのだそうです。自宅ではタブレットを使いこなし学習し、大人が驚くような問題を解いたりもできる。けれど、一点、字を書くことが苦手なのだと。ほおー! 友達のお母さんからの話を又聞きするだけでも、彼はギフテッドなのだということが推測できました。 このようなこども達は、ある才能を持つ代わりに、一般的にこどもが出来るであろうことができないこともある。ただしその与えられた才を上手に生かすことができれば、常識を打ち破り、社会に多大な貢献をする可能性がある。 日本でも最近は盛んに議論されるようになっているようですが、海外では(ギフテッドに限らずとも)他より何か秀でているようなことがあれば飛び級ができる地域が多く、特にギフテッドと呼ばれるような、天才的な資質を持って生まれてきたこども達は、それを近い将来国や社会に還元してもらうべく、国家が一丸となって彼らの特性をサポートしているケースが多くあります。

しかし残念ながら日本の公立小学校のシステムでは、彼は飛び級ができるわけでもなく、彼の才能は支援級の枠に閉じ込められることとなりました。なぜなら、「タブレットを使っての学習が認められるのは、支援級のみでだから」。 支援級と普通級という括り自体にも疑問を持っているわたしですが、こういう話を聞くと、そもそも支援級って何なんだろう、という疑問でいっぱいになります(わたしの娘は普通級に所属していますが、長い休み時間は支援級に遊びに行かせてもらっているそうです)。支援が必要なこども達の枠ってとても広くて、なんなら普通級に所属している子だって支援が必要なときはあり、それを少しの先生で対応しているということ自体が間違っているのではないか、と思うのです。

そしてこのような話をすると、「公立学校ではルールがより厳しく決まっているからそうかもしれないけれど、私立では違うのではないか、より対応が柔軟な学校に入れたらどうだろうか」という意見が出てきます。それは、確かにその通りだと思います。 その「選択」が容易にできるのであれば、その男の子の家族でもおそらくそちらを取っていらっしゃることでしょう。でも、先にも述べたとおり、わたし達の地域では、その選択肢自体がとても少ないのです(中規模地方都市です)。 こどものことを考えての引っ越しにしても、一人っ子でなければ必然的に兄弟姉妹の対応や、家計をどうするか、老いた親はなど保護者が背負う問題は山積みで、そう簡単に決められることではありません。 けれど、もし、全国にある公立小学校がそのルールを緩め、もっと自由に教育ができたら。先生や、校長先生、教頭先生達にもう少し自由をあげてこども達個々の特性を把握し、各自が社会や将来の自分に希望を持てるような教育体制を創ることことができたら。そうしたら、、、、、、このギフテッドのこどもは将来、どこか他の国の「資産」になることはないだろうなぁ、、、と思ったのでした。

さて、次こそは、語学学習に特化した記事を書けたらと思います!教育の話に情熱があり過ぎて、本業をすっかりと忘れている今日この頃です(笑)

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