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躁と鬱を発病した記憶 通院まで

こんばんわ、あやです。今日はやっと図書館が使えるようになったので、散歩がてら行ってきました。帰りはのんびりカフェで読書と思っていたら、うっかり隣の席で某マルチの勉強会が始まってしまいまして。メール見てるふりして聞いてましたね・・

今日は、私の昔話をしてみようと思います。どういう経緯で心療内科に行くことになったのか、特に一人暮らしの方についてはあまり情報がないように思うのです。私はわりといろいろ悪化してから病院に行って失敗したので、1つのダメなエピソードとしてご紹介しようと思います。(そりゃ鬱にもなるわ、みたいなアレは、今だから言えることなのでなしです)

学生時代(~22歳まで)

学生時代は実家です。私はもともと神経質で、イライラしやすいタイプの人間です。ですが、あまり他人に興味がなく、受験したりマンガ読んだり、一人で忙しくしていたので特に問題になることはありませんでした。大学生になってからは「すぐ怒る」のが若干友達関係にヒビをいれましたが、そんなに引きずるほどではなかったように思います。ちなみに学生時代の友達で、現在連絡をとっている人数は0です。

社会人(23歳頃)

九州で一人暮らしになりました。働きまくりました。車通勤だったので、深夜3時まで残業とかもありました。ですが、大学生活(片道2時間で実習めちゃくちゃある)よりラクだったので、何とも思っていませんでした。オタクだったので、夏冬は有給をフルに使ってコミケに通っていました。なんならオンリーイベントにも飛行機で行ってました。若いってすごい。

社会人、上京(25歳頃)過活動

転勤で関東に一人暮らしです。働きまくりました。そして土日はほとんどどこかに出かけていました。会社が傾いて給料が減り、仕方がないのでキャバ嬢をやりましたが、昼間普通に勤務して、夜から朝5時まで飲むのは無理でした。3日でぶったおれました。ですが、週末は格闘ゲームの大会とかに遊びに行っていました。いつ寝てたんだろう。この時確か40キロくらいまで痩せました。食べるものがなかったので・・

社会人、大企業(26歳頃?)境界性人格障害+躁→鬱?

貧乏すぎる私を見かねた知り合いが、東京の企業に推薦してくれました。この知り合いはこの後私を奴隷扱い(いろんな意味で)し、境界性人格障害と鬱の発出に関わりました。ちなみにここでも働きまくりました。初めて派閥のある会社に入り、「クチのキキカタ」がおかしいと指摘され、だいぶ暴力的な単語を吐いていたようです。覚えてませんが、多分「バカが!」「知るか!」「わからないなら黙ってろ」みたいなのだと思います。自分なら言いそうな感じ。境界性人格障害が障害として形成されたのはここだと思います。

その後、部署移動があったのですが、そこでの記憶があまりありません。どのくらいの期間働いていたのかもおぼろげ。働いていた記憶があまりありません。特に覚えているのは、たった4人程度の打ち合わせ中に寝ていたこと。あとは逆に、自宅の掃除、炊事、洗濯すべて一切をした記憶がないこと。言ってしまえば生活ほぼ記憶にないです。まだ通勤はしていたはずですが、私の状態を気にするような人はおらず、このまま放置です。ここで60キロくらいまで太りました

社会人、会社が分社化(28歳頃?)通院開始

最初は普通に通勤していたと思いますが、よくわかりません。趣味の知り合い→同じ社内の別部署の人→会社で会って仲良くなる→実はその人がうつ病で通院している、という奇跡の流れで、初めて通院することになりました。実は今でも当時うつ病でつらかった、とかいう記憶はありません。ですが、他の人から見ると、目つきがうつろ、しゃべり方(というか返事)が普通じゃない、動作が遅い、その他いろいろあったようです。

こうやって書き出してみると、通院遅いですね。私を古くから知る人のいない土地を転々としたのは、よくない方向へ向かう条件だったように思います。あとは私の性格が「完成するまでやらないと気が済まない」×「職種がSE(やりこみ系)」なので、まあ最悪の組み合わせです。ある意味最高の組み合わせでもあるのですが。

孤独が病気を生むのは本当なんだなあと感じています。こんな感じで、いろんなケースが蓄積されていったら、将来の精神医学はもっとましになるんだろうか・・。

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