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テレビを見ないことは選択だと思ってた

 我が家にはテレビがありません。
 まあ、もう十数年見ない習慣がついてしまっていてなくても困らないし、NHKの受信料も払わなくてもいいし、ということで我が家にはPS4専用モニターしかありません。PCにもチューナーはついてないし、スマホのテレビアプリもアンインストールしてるので徹底してテレビを見ない生活をしてます。
 親の仇のように排除してる、とかそういうわけではないです。その証拠に病院の待合室のテレビはついつい目が行くことが多いです。見たい番組があればサブスクでも見られますし、ただめっきりドラマの類は見なくなりました。お笑いも見ませんね。
 テレビを見なくなったきっかけは結婚してた時にチャンネル選択権が全くなかったので見るのを諦めた、という感じで。帰宅した元旦那は人が何をみてようが自分が見たいものを見る人でしたから、ドラマの終了10分前にチャンネルを変えられてからテレビを見るのを諦めました。
 まあでも、なかったらないなりに慣れていくもので、NHK代も浮くし、テレビはなくてもいいやーと。テレビを持たないことは私自身の選択だと思っていました。

 思ってましたって言うことは、実はそうじゃなかったということで。最近通ってる整骨院で何の気なしにテレビを見てまして。その時流れてきていたはちょっと個人的にあまり好きではない話題でしてね。
 目をそらして「あ、チャンネル変えるかテレビ消したいな」と思ったんです。公共の場でのことなのでそういうことはできないのは理解できてるのでスマホを弄って気をそらそうとしたんですけど。
 その瞬間、体がぞわっと総毛立つ嫌悪感を感じたんですよね。
 その時はなぜそんなことになったかわからなくて一瞬パニックに陥ったんですけど、落ち着こうとして深呼吸をしてたら最初に帰ってくるなりチャンネルを変えて、戻そうとした私をすごい顔でにらみつけて怒鳴った元旦那の顔を思い出してしまったんです。
 もう、20年以上も前の出来事です。
 なんで今更って自分でも思います。
 ただ思うのはあの時に離婚しておくべきだったということと、あれが恐怖として残るから私はテレビを必要としていないと思い込もうとしてたのかと。
 自己暗示のようなものですよね。自分を守ろうとして、自然とそれを避けてしまう。仮にテレビを所有したとしても、見たいものが邪魔されることはないというのに。

 心の傷が見えればいいのに、と最近思うのです。
 そうすれば、いつまでも治らないことで人に責められることもなければ自分を責めなくてもいいのに、と。

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