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先日9日、たー坊が生後6ヶ月のハーフバースディを迎えた。

ハーフバースディ・・なんて気取った感じで書いたが、このお洒落な「ハーフバースディ」を祝ってくれたのは私の会社だった。朝9:00突然のピンポン。黒猫さんが花束を持って現れた。「またネットで買い物したでしょ!」と旦那さんに言われそうだったので慌てて受け取ってこっそり送り主をみて驚いた。私の会社からだった。「たー坊君、ハーフバースディおめでとうございます」というメッセージが添えられた花束。こんな嬉しいサプライズったらない。その時、もはや覚えてもいないくらいたわいもないことで小競り合いをしていた夫婦間に温かい空気が流れ、二人して改めてたー坊に「おめでとう!」を心から伝えた。この半年、よく頑張ってきたね。

この半年を振り返ると本当にあっという間で色んな思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていく。

産休に入って暇すぎる!と調子に乗った瞬間、たー坊が生まれて即日緊急搬送。1週間の母子分離後、感動のご対面がかなった次の瞬間、個室での先生との面談で突然ダウン症の疑いあり。そして診断の結果、ダウン症の告知を受けるなどなどなど。

「私の人生もう終わった」、「私にちゃんと育てられるのか」、「仕事なんて続けられない」、「毎日きっと日の当たらない所で髪をボサボサにしながら24時間365日たー坊とひっそりこっそり暮らすんだ」、「私の子供は医者弁護士にはなれない」、「学歴がない子になるんだ」とかとか、本当にくだらないことまで考えては色々黒いドロドロとしたものがこぼれ出たりした。そうした黒々としたことを思う自分を目の当たりにしては、そういう私って母親として、人としてどうなの?と思ってさらに自己嫌悪。誰かに聞いてほしいけど、そもそもダウン症って言ってないし、誰かに話してどう思われるか、そもそも状況を説明しなきゃ、とか考え始めると全てが面倒になって一人ズドーンとする。でも同時に目の前には純粋無垢なたー坊がいて、一生懸命に頑張って生きている。それはそれで全く別次元で心底尊いし愛くるしい。そう、なんだか心がずーっとちぐはぐで、バランスが取れない日が続いた。告知を受け入れることができたつもりになって冷静になった後も、「たー坊はダウン症なんだ」とふと思っては何だか無性に涙が溢れ出てメソメソ(これ以上泣くまい、と決めてブログで宣言してからもそう簡単に気持ちは切り替わらない)。

そういう時は大抵明確な理由なんてなくて、なんで泣いてるのかなんてわからないし、説明できない。ただ、「自分の子供がダウン症」ということが時にはストンと心の中で落ち着いて居場所が出来たり、でもふと些細なことで急に落ち着かなくなって上の方まで浮上してきて苦ーい感じで喉のあたりに残ったり。そんなことを今まで繰り返してきた。

ただ、そんな激動な心の荒ぶれも、たー坊が生後4−5ヶ月を迎えた頃から少しずつ落ち着いてきた。流石に毎日24時間このアンバランスと付き合っていて耐性ができて慣れてきたこともあるとおもうが、何よりも主な理由は、

①たー坊が何より可愛い

これはダウン症云々ではない。たー坊と一緒に必死で生きているうちにたー坊がどんどん益々尊い存在になっていく。たー坊は笑顔も増えた。自我が出来てきて眉間にシワを寄せる表情や、ありえない、と驚愕する顔、だめかなーと思ってこっそりこちらを見る顔。褒めるとドヤッとして満面の笑み。どれもこれも本当にたまらない。自分で自分を引っ掻いたり、自分の髪の毛を掴んだりしてギャン泣きする姿にさえクスリとする(これをもし旦那さんがやったとしたら、と想像すると全く笑えない。何やっとんの!となる)。たー坊の予期せぬリアクションに驚きと発見があったり、たー坊の私利私欲のない(というかある意味、三大欲という究極の欲まみれの)汚れのない無垢な存在に自分の心も洗われる・・ような気がする。私は子供が大好きだったわけでも、たー坊が最初から可愛くてしょうがなかったわけでもない(母子分離だったためそこまですぐに至らなかった)。そんな私でも共に過ごすうちにたー坊という懸命に生きる存在に触れて、心底可愛く思えるようになっていったのだ(もちろん上手くいかずイライラ、勘弁してー!と思うこともある)。私の母のチコさんがよく「子供を育てるのは子育て(こそだて)ではなく、子供に親として育ててもらう子育ち(こそだち)なのよ」と言っているが本当にそう。

②自分の家族や周囲がたー坊を可愛がってくれる

特に私の両親のチコさんとヤスや姉夫婦はこれでもかというほどたー坊を溺愛、無性の愛情を注いでくれている。たー坊の成長・些細なことに一緒に喜びを感じてくれている。この前、朝病院にいくために駅までの道を歩いていたら「たー坊くん!!」と声をかけられた。驚いて声のする方向を見たら、初めて参加した療育センターのコーディネーターの方だった。センターに出勤する道すがらだったようで、満面の笑みで「おはよう!」と声をかけてくださった。センターに行くと一番月齢が小さいこともあって色んな方々が本当によく声をかけて可愛がってくれる。本人も満更ではなさそうだが、今はたー坊より誰よりも私がセンターに行く日を楽しみにしている。本当に些細なことかもしれないけど、家族以外の人にたー坊を受け入れてもらえた、そんな気がした。

③ダウン症の世界は広く深く、そして明るい

言葉を選ばずに言えば、正直言ってダウン症の世界はもっと狭くて陰鬱として暗い世界だと思っていた。障がいを持った子、と後ろ指をさされたり、誰にも目立たぬようコソコソと生活しなければいけないんじゃないか、何か発言したり声をあげることは憚れるんじゃないか、上記に記載の通りたー坊と2人きりでボサボサの髪の毛でやつれた顔をしながら365日24時間つききりなんじゃないか、と。完全に私の間違ったイメージだ。

たー坊が生まれる前から戸建ての家を買いたいとずっと旦那さんと計画をしてきた。芝生が生えたお庭で子供と遊びながら家庭菜園もしたりして・・なんて。でもたー坊が生まれて事態は一変。戸建てを買う計画を一旦は白紙にした。障がいを持った子供がいるくせに家なんて建てて、と後ろ指をさされるんじゃないかと疑心暗鬼したから。でも実際はそんなことはなく、先日ついに念願の一軒家に引越しをした。そのくらい、私のダウン症の世界へのイメージは悪かった、というか全くもって間違っていた。

今やSNSが発達し、日本中のダウン症の子供を持つママさんパパさんと交流することができる(コロナ禍でなかなかリアルでの場面でご一緒することはできないが)。そして気づいた、ダウン症の子達ってなんて多いんだろう!もっともっと少ないと思っていた。この半年で20名以上の先輩達との繋がりができた。間接的な繋がりに至っては遥かに多い。そして、そうした先輩ママさんパパさんに助けて!とSOSを発信すると、本当に親身になってこれでもかと色んなアドバイスや経験、情報をシェアしてくれる。自分の子供が同じ月齢の時にどうだったか、どんな療育サービスがいいか、どんな教材がおすすめか、この月齢の時にどんなことをしておくといいか、今やっておけばよかったと思うこと、おすすめの病院、脱走や怪我などの珍事件やハプニングなどなど。ダウン症の世界に限らないかもしれないが、インスタやClubhouseでの「ダウン症」の繋がりは良い意味でとても強くそして深い。20年前に子育てをしていた先輩ママさんの話を聞くと、今は情報に溢れて繋がりもありなんて恵まれているのだろう。

そしてさらにますます驚いたのが、悲しみも苦労もそして喜びも深く強く経験しているからこそ、そうした先輩パパさんママさん達は底抜けに明るく、熱量が高くて、本当にチャーミングだということ。喜怒哀楽をちゃんと表現し、綺麗ごとやうわべだけで語らない。嬉しいことは嬉しい、悔しいことは悔しい、そして困っていることは困っていると表現する。凹む時はめちゃくちゃ凹むし、自慢したいことは堂々と自慢する。おかしな建前と本音はなく、正直に飾らぬ姿でいることが素敵だ。そうやっていられるのはとても大切なことだけど、同時にとても難しいことなのに。

もちろん、たー坊がダウン症であることは、今まで書いたような良いこと(?)ばかりではない。何が一番辛いかというと、

①合併症の心配。

これはやはり何よりも不安で心配で頭を悩ませている。いくつか経過観察中だが、今後かかりやすい症状を聞いて今日1日元気に過ごせるか、明日はどうか、明後日は、1年後は将来は・・肝機能、甲状腺、ウエスト症候群、白内障、遠視乱視斜視、中耳炎などなど・・考えただけでも吐きそう。でも、病気にかかったり怪我をしたり、ということはダウン症の子もダウン症じゃない子の親も同じように心配なこと。ダウン症に特徴的な症状がいくつか見えやすいだけに気に病むタイミングは多いのかもしれない。たー坊が生まれて、私たちにとっての「幸せ」は研ぎ澄まされてより本質的なものになった。「みんなで今日1日をごきげんに過ごせますように」と。

②発達障がいの問題。

ここまでの生後半年間、新生児から乳幼児の間は発達が遅れているということを実感する機会はとても少なかった。しかし、生後半年を迎えた今、たー坊にはすでにできていないことが出てきている。首は座らないし、座らないから離乳食に移行できない。寝返りもいまいちしない。早い子だと4ヶ月から首が座り、寝返りを前後で始めて、5ヶ月目から離乳食。そんな発達プロセスを横目につい「たー坊、急げ急げ」と思ってしまう。無駄が嫌い、最短距離で物事を進めたいセッカチママにはこれはなかなかしんどい。試されているんだ、きっと。

先日初めて療育の見学をした。ダウン症の男の子が5名。月齢は皆同じくらいだろうか、先生の前に椅子にちょこんと座っていた。このお年頃であれば普通は騒いだり、チャンバラしたり、暴れたり、踊ったりきっとすごく騒がしいだろうに、5人の子は皆大人しい。ちょこんと座ってニコッと先生をみる。名前を呼ばれて返事ができる子もいればそうじゃない子もいる。中には最近視力が改善してよく見えるようになったため人見知り、モノミしりをするという子もいた。皆で歌を歌って体を動かすのだけれど、その出来はそれぞれ。楽しい雰囲気ですごく素敵なグループ。だけど、私が想像していた健常児の子供達とは異なる雰囲気・世界観に正直衝撃を隠せず、凹んだ。発達の遅れという現実を突きつけられた気がして、帰り道は療育に通える嬉しさと、なんとも言えない悲しさ半分でトボトボ帰宅した。他の子ができるのにたー坊ができない事、これからわんさかと増えていくんだろうな。自分が何かできないことよりも、たー坊が他の人と比べて何かをできないことの方が悲しい。「比べることにいったい何の意味があるんだ、たー坊はたー坊だ。」再び自分の心の中でアンバランスがこんにちはする。

それでも、そんなこんなの激動の半年を経てたー坊がハーフバースディを迎えた今、6ヶ月前の当時の私に心から言いたいこと。それは、

「大丈夫。一歩前に進んで大丈夫。」

大丈夫に立派な根拠なんて何もないけれど、悩みも不安も尽きないけれど、時間が解決してくれることもある。何よりたー坊の笑顔があり、たくさんの喜びに溢れ、助けてくれる人たちがいる。信頼できるお医者さんもいる。

たー坊が生まれてきて、私たちの生活は激変した。もれなくダウン症という新しい世界がついてきた。想像していたよりも広く深くそして明るい素敵な世界が。

同じような環境で今まさに悩んでいる人や、出生前診断でダウン症の可能性があると言われた方々にとって何か参考になればと思う。知りたいこと、気になる事があれば、是非気軽にインスタやClubhouseなどメッセージください。

インスタ:ta_bo.gokigen

【喜怒哀楽のたー坊】

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