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出生前診断について思うこと

我が家のたー坊は、ダウン症だ。

そして本日5月9日に生後8ヶ月を迎えた。一言で言うと「しょえー」だ。この8ヶ月、本当にあっという間だった。

だから、と言っても全く関係ないが、あえてものすごーく書きにくいテーマを選んだ。今回の出生前診断、実はずっと書くか迷っていたテーマの一つ。

私たちには、たー坊が生まれて初めて「自分ごと」になったことがいくつかある。この検査もその一つだ。

たー坊が生まれる前は出生前診断を深く考えたことなんてなかった。何なら、事前に赤ちゃんに異常がないかを調べる検査、とかなんとか正式名称を言えないレベル。妊娠するまではその存在すら知らなかった。恥ずかしいことこの上ない(でも人ってそんなものかもしれない)。

上述のレベルだったので、たー坊がお腹にやってきた時、私たちは新型出生前診断を受けなかった。それは熟考の末というような尊いものではなく、そもそも、自分たちにもしダウン症の子が生まれたら・・なんて考えもしなかったからだ。

私は小中高とザ・体育会系の陸上部に所属しとにかく走りまくり、走りまくっていたせいで勉強が追いつかず1年浪人した。受験大学を全部落ちるまでそのことに気づかなかった。ちなみに、浪人したものの受かってしまえば辛かった浪人時代なんて対して記憶に残っていない。そして、希望した大学に入ったらテニスとお酒と語学に目覚め、日々テニスしては飲んで勉強し、海外留学を経て希望していた企業に就職し、海外駐在もできて・・という我が人生。自分で言うと、とてつもなく鼻について嫌な感じだが、本当に順風満帆だった。

もちろん節々で、ガラスに激突して救急車で運ばれたり、池に落ちて気付いたら保健室だったり、滑り台の鉄柱にぶつかって同じく気づいたら病院だったり、自転車に乗っている最中に倒れてこれまた気づいたら病院だったり(気づいたら○○だったシリーズが多い)、海外駐在中に強盗に襲われ拳銃を突きつけられたり、帰国後借りた高級賃貸をウリにした部屋がよりによって大晦日に雨漏りしたせいで新年早々神様へ「どうかこの3日間は晴天であってくれ」と社会、いやもはや生命の危機レベルの壮大なお願いを持ち込んだりした。大雪予報で交通機関が麻痺するからと早く帰宅したのに、鍵を入れたバックを会社に置き忘れてしまい、結局大混乱の中自宅と会社を往復する羽目になった、とか。確かに改めて思い返してみれば、それなりに大変なことはあった。かもしれないが、喉元過ぎればなんとやらで、大抵のことは忘却の彼方、大切な家族や友達と平和にごきげんに過ごしてきた。

そう、だからこうした性格もあってか、自分の子供がダウン症だったら、とか障がいを持っていたら、とか心底これっぽっちも考えていなかった。考えていたことといえば、生まれた後、如何に早く仕事に復帰するか。復帰後どうやって共働きの体制を整えるか、とか。寝室を子供と大人で分けるのか、送迎用の子供を乗せて走る自転車をどのタイミングで買おうか、とか。そんなことばかり。

その上、私が産んだのは総合病院ではなく、地元の産院。だから主治医の先生からは事前検査を受けるかどうか提案もなかった。それでも、妊娠が分かったときにネットか何かで検査の存在を知り、旦那さんとどうするか話したことは覚えている。

私:「生まれる前に胎児に異常があるかわかる検査があるらしいけど、受けた方が良いかなあ?」

旦那さん:「異常があったらどうするの?」

私:「え・・?えー、え、え、うーん・・」

私はこの時、旦那さんの「異常があったらどうするの?」の行間になぜか「異常があってもなくても関係なく産むでしょ」を感じとった。逆に私と言えば、全く自分ごとになってはいない中で、いわゆるたらればの話なので、

「え・・?えー、え、え、うーん・・そうなったら、はい、産みます!とは思えない。じゃあ生まないのか・・、生まないか私・・うんうん・・うーん・・?」

ということで、もし結果が出て異常と言われた時にどうするか、結論が出せなかった。今思えば、あの時の私はあまりにこれまで自分の人生において扱ってきたテーマと重厚感が桁違いすぎて、思考停止に陥った。そして、考えることを放棄したと思う。そう、「まあいいか、どちらにせよ自分の子供に異常があるなんてないだろうから。体力には自信があるし、健康だし。ないことを考えても仕方ない」と。

ちなみに、あとで旦那さんと話して驚愕したが、旦那さんビューは本当に全く違うものだった。旦那さん曰く、そもそも受けるかどうかは自分が言い出した(ウソッパチだって!)、羊水に針を刺すのはリスクだからやめた方が良い、検査の精度は100パーセントではない、云々を二人で話し合って「検査しても確定でなく、確信もないなら受けるメリットないよね」という結論に至ったよね、と。

えー!そんな記憶は全くございません。あまりのテーマの重たさに記憶を忘却の彼方に吹っ飛ばしたのか・・これほど今になって言った言わないを議論することが不毛なことはない。

つまり、出生前診断に関して、たー坊が生まれる前は他人事であまり覚えていないし、自分のところにダウン症の子は生まれないに違いない、と根拠なく思っていたということ。あー、なんて嫌なやつなんだ。言葉に書いてみると改めてなんてやつだ。そしてなんてノーテンキなんだ。

ダウン症のたー坊が生まれてからは、「出生前診断」と聞くやいなや、私の頭のアンテナはとてつもなく大きく伸びてピッコーン!と反応する。もはや「出生前」と聞いただけで、バチコイ、早押しクイズ並みの速さで全神経がそちらに集中する。

先輩パパママたちとの会話の中でもこの話題はしょっちゅう出てくる。「わかった方が事前に心の準備もできるし、受けた方がいい!」派の人もいれば、「受けたって意味がない。大体35才以上だからってやたらに勧めてくる病院ってなんなん!」派の憤慨この上ないパパママもいる。そして、「出生前診断で異常の可能性ありとわかったら産むことを諦める人が9割」という現実に、我が子は生まれてくるべきではなかったのか、我が子が生きていることを否定された、と心を深く痛める方も少なくない。生まれてくるいのちじゃなかった、とダウン症の子供たちを否定することであり、深く傷つけている、と。

私は「地図」がとてつもなく苦手だ。本当にもしこの世にグーグルマップ先生がいなければ、今頃私は信頼を失い、路頭に迷い、家を失い、友達を失い、自分を見失い、きっと今ここに存在していないんじゃないかとすら思う。ああ怖い。ちなみにまだ携帯にグーグルマップ先生が入る前は、どこに行くにも地図を印刷して持参していたが、それでも大抵迷子になり、よく歩道に固定設置されている地図を見ては、右左上下と頭や体を360度まわしながら地図を読み込もうとしていた。大抵それも徒労に終わると、半ば泣きべそをかきながらそこらじゅうの人に「ここに行きたいんですけど」と尋ねまくっていた。

最近思う。もし、「事前にお腹の中にいるときに生まれても地図が読めないことがわかったら、多くの人が産むことを諦め、9割の地図の読めない可能性がある子は生まれてくることがない」ってそんな世の中になったらどうか、と。地図を読めずに生まれた自分は、そんな自分をどう思うだろう。・・なんだかテーマが重たすぎて、そして大きすぎて私の手に負えない。と思考停止、放棄したい気持ちでいっぱいだ。だから後で旦那さんに聞いてみよう。極めてポジティブで、のほほんとした彼はなんと答えるだろう。

結局、出生前診断や、産む産まないの選択には正解も不正解もない。正しいも間違いもない。各自の価値観や倫理観が反映されて、パートナーや家族とたくさん話し合って決めていくことになるのだと思う。そしてどの選択をしても、たらればで自問自答する人生が続く。

私たちは、たー坊が生まれた直後NICUに緊急搬送され、1週間経った頃になんの前触れもなくダウン症だと告知された。

「もしたー坊がダウン症じゃなかったら」、「もしあの時出生前診断を受けていたら・・」何度も何度も自問自答してきた。特に告知後の不安定な時期、そして生後6ヶ月ごろの第二もやもや期には、もし出生前診断を受けていたらどうだったか、答えなんて出ないのに考えない日はなかった。そしてその無限ループにはもれなく、

「もしあの時出生前診断を受けて、ダウン症の可能性ありとなっていたら、たー坊を産んだのか、生まなかったのか」

の問いもついてくる。

結論、たー坊はもう生まれてしまっているので、今何と答えてもずるい気しかしない。でもぶっちゃけてしまえば、「もし事前に検査を受けていて、ダウン症の可能性ありとなっていたら、私は生まないことを選んだかもしれない」と思ったことは率直に言って何度もある。だって、一言でダウン症といってもそれがどう言うものなのか、事前に知識がなければわからないし、以前ブログに書いた通り、他人事だった私はダウン症に関して、とんでもない認識違いをしているわけだし。

告知直後の暗黒期なんて、現実をそのままスッとなんて受け入れられない。だから「生まない選択をしていたかも」なんて今や意味のないことを考えたり、考えまくったりもした。

ただ、たー坊も今日8ヶ月を迎え、少しずつ時間が解決してくれることもある。何より慣れてきたことも多い。たらればで言えば、

「今後、もし第二子を授かったとして私は出生前診断を受けるか」

この前、たー坊が離乳食を食べ終えて、スヤスヤと寝息をたててお昼寝している時にふと頭をよぎった。

結論、私は「受けない」を選ぶ。98%の確率で。

だって、ダウン症って、「ダウン症」と一言で括ることができないから。「地図が読めない」ってものすごくわかりやすいけれど、ダウン症はそうはいかない。当たり前だけど、一人ひとり性格も違う、発達スピードも、得意なことも苦手なことも、本当に100人100色で全然違う。書いてみて思ったけど、これ当たり前だ。そして何より私が声を大にして言いたいのは、「合併症」。合併症の内容や程度が一人ひとり本当に違いすぎる。

検査でダウン症とわかれば、事前に準備ができる、と言う考え方を否定したいわけではない。たー坊が生まれる前にダウン症の可能性がある、と言われても合併症の詳細ばかりは生まれてみなければわからない、ということ。何なら生まれた後もわからない。だって、年齢とともに症状が出てくるものもあれば、年齢とともに治っていくものもある。だからダウン症とわかっても、じゃあ具体的に何を準備すればいいのか、何が起こるのか、事前に全てを想定し、準備することは不可能だ。

たー坊の誕生後、おこがましいことこの上ないが私は「二度と子供は生まない、もし万が一授かったとしても検査を受けて異常があれば生まない選択をする」と手を固く握りしめて思った時期もあった。でも、今このブログを書いていて、98パーセント受けないって何じゃい、と思った(2パーセントは、あの時受けないって言ったじゃん!と責められることのないように保身のために保険として残しておこう)。検査は受けない、と思えるようになったのは、この8ヶ月という時間が少し心のわだかまりを溶かしてくれたこと、ダウン症のたー坊との生活に慣れてきたこと、そしてダウン症について理解が深まってきたことが大きい。

このテーマに正解はないし、この類の自問自答に終わりはない。でも他人事から当事者になってみて、気持ちの変化や移り変わりは確実にある。だからこそ、考えることも、考えることを放棄することも、やさぐれてみることも、どれも大切なことだと思う。

もしたー坊がスヤスヤ寝息を立ててお利口さんに寝ていなかったら、もしかしたらこうは思わなかったかもしれないことを付け加えておく。(最近、自己主張もご立派で、わー、ぎゃー、どすん、ギャンギャン、なたー坊なのである)

【超ごきげん】

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【両手におもちゃは親譲りか】

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【笑われて泣きべそ子】

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【意識ここにあらず系】

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