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哺乳瓶は卒業できるのか問題

初心者ながらに子育てを始めて早5ヶ月。育児の中で見えてきたのが、どれほど自分の30うん数年の経験をもとにあらゆることを緻密かつ精巧に想定してもその想定の斜め右上をいく、何じゃそりゃ事案が日々勃発しては溜まり、溜まっては倍増し、進行し、そして突然消えたりする。

なので現在の我が家には、主に21トリソミーのたー坊を筆頭に(プラス旦那さん)様々な想定外のトピックスが潤沢に沸き起こっている。その中でも直近ホットなのが、哺乳瓶を卒業できるか問題。

他にも、う○ちブリブリできるか問題やゲップが出ないと首を蛇のように前後左右動かす問題、生後半年で保育園ってどうなの問題、首は本当に座るのか問題から、自分で自分の髪を引っ張ってギャン泣きするのはやめてくれ問題とか、ベビー用品への散財問題や痛さに鈍くて数秒遅れて号泣する問題、一回寝たらてこでも起きない問題などなどがある。その中でも特に今回の哺乳瓶卒業できるか問題はこれまで長いこと我が家を悩ませてきた問題だった。

以前ブログに書いたとおり、たー坊は産後わずか数時間で都内の総合病院に救急搬送された(これを「たー坊のドナドナ事件」と呼んでいる)。

だから、通常経験する「初乳」(ママから初めて出る母乳の最初の一滴)なるものをたー坊は飲んでおらず、恐らくその存在すら知らない。もちろん初乳を飲む我が子を見て私は母なのだ、と胸キュンする経験を母も知らない。

しかも救急搬送された後、21トリソミーということが判明し、哺乳力が弱いということで約1ヶ月半、病院のNICU(新生児集中治療室)そしてGCU(回復治療室)で大層お世話にそしてヌクヌクと育ったたー坊は、滞在期間中、母親から直接母乳をもらうといういわゆるママ用語でいう「ちょくぼ」(直接母乳もらうの略?)ができなかった。

ほぼ生まれた瞬間から母子分離だったため、飲むミルクも母乳はあげられず、たー坊は生後2週間は人工栄養のミルクを飲ませてもらっていた。母は産後退院しても想像以上の満身創痍と生まれたての小鹿のようなプルプルする全身に耐えかねて、茨城の実家に子なし里帰りを強行。ただ、母乳は滝のように湧き出て止まらない。出さなければ乳腺炎になって我が身が危ない。それなら遠く離れた我が子に届けよう、ということで茨城から冷凍母乳を病院に直送することにした。が、高速で1時間ちょっとでも保冷剤では溶けてしまった。すると、父がドライアイス専門店を調べ上げてくれて、前日に購入し翌朝ドライアイスとともに母乳を運ぶことが実現した。コロナ禍で面会は両親のみだったため、私は父の運転する車に乗ってプルプルしながら母乳オンザドライアイスの運び屋となった。

ということで、涙がちょちょぎれんばかりの努力によってたー坊に母乳を確保することはできた。たー坊は看護師さんから1日8回決まった時間に冷凍母乳を溶かしたものを哺乳瓶でもらいはじめた。ちなみに、今思えば恐ろしいことに、最初のうちは超哺乳力が弱かったので、看護師さんから哺乳瓶で1日8回ミルクをもらうのだが、1回に飲める量はわずか5ミリとか10ミリ程度。飲んですぐに(というか飲みながら)寝てしまってギブアップ。とは言え、飲まないと大きくなれないので、1回の規定量に対して飲めない分は鼻から胃へチューブを通し、鼻から直接胃に入れてもらっていた。哺乳力が弱ければ飲み方もヘタッピだったたー坊だったが、流石に1日8回のトレーニングを経て、日を追うごとに調子は右肩上がり。1回45ミリくらいまで安定して飲めるように成長した。

10月18日、病院を退院する日には飲みムラはあるものの、ついに大抵は90ミリまで飲めるようになった。ただ、生まれてこのかたちょくぼを経験したことがなく、1日8回×1ヶ月半の間、みっちり哺乳瓶で母乳をもらっていたたー坊は、病院卒業間近に看護師さん指導のもと母子でちょくぼトレーニングをするも、全くできず、そのまま卒業を迎えた。母といえば、たー坊不在の期間中も1日7回みっちり搾乳を続けた結果、母乳はさらに俄然出るようになった。たー坊に何度もちょくぼを試みるが、何度試してもどうにも出来ない。そもそもおっぱいをくわえられず、すぐに離して嫌がった。しまいには「病院の時のように哺乳瓶からおくれ!」とギャン泣きする始末だった。

哺乳力が弱いというたー坊の元来の特徴に加えて、哺乳瓶だと咥えれば簡単に口にミルクが入ってくるのに対して、直接ママからもらうとなると咥えて下を巻きつけて引っ張るという能力が求められるそうだ。かくして、私はたー坊がちょくぼできない問題に直面した。どうしたか。

結論はシンプルで、「ちょくぼができないなら、やらない」。

元々母乳育児にこだわっていたわけではないし、母乳がすこぶる出るのでそれならば母乳でいけるとこまで育てようと思っていた。21トリソミーが発覚し、その9割が残念ながらこの世に生まれることができない(流産・死産など)と主治医の先生から聞いた我々は、良い意味で幸せのハードルがすこぶる低い。たー坊は生きて存在さえしてくれたら、元気でご機嫌にいてくれたら大喜び。それに対して、ちょくぼかどうかは大したことではない。ちょくぼだろうと哺乳瓶だろうと、人工栄養だろうと母乳だろうと、たー坊が飲むことができる手段でご機嫌であれば何でもいい。助産師さんによっては、ちょくぼで目と目を合わせないと愛着形成が・・と言われたこともあるが、別の方法で愛情を表現していけばいいだけのこと。

そう思うと、やることはシンプルで、搾乳機と哺乳瓶、哺乳瓶につけるニップル(てっぺんのシリコンのやつ)を5セットずつ買い込み、消毒用のミルトン容器とミルトン液を用意。トングとバットも準備して1日7回、3じかんおきに搾乳するために携帯のアラームをセット。せっせせっせと搾乳しては、眠り魔のたー坊を起こして飲ませるを繰り返した(たー坊が起きられない問題はこれまた日常茶飯事)。だが、搾乳&哺乳瓶生活が軌道に乗ったころ想定外のことが起きた。

夕方になって突然私は寒気がして関節が痛み始めた。頭も痛くてとにかくだるい。座っていられないくらいでその日は嫌な予感がして早々に寝た。よく朝起きても良くならず熱を測ったら、38.9。発熱以外、喉の痛みも咳も味覚障害も何もない。家に篭って誰とも会っていない。そしてただ、ひたすら胸が痛かった。元々張りやすい方だったが、とてつもなく激痛がして家で様子を見たが結局次の日も熱は下がらず、39.2度まで上がった。産後退院直前にも同様の症状があり、その時は時節柄抗原検査をしてコロナは陰性だった。2回目のその時は母親に乳腺炎では、と言われて、地元の総合病院の乳腺外来に行ったが直近は予約がいっぱいと言われた。乳腺専門のクリニックで何とか見てもらったところ、「古い母乳が溜まっているようだ、搾乳をすれば熱は下がるでしょう」と言われて薬はもらえなかった。2、3日して熱は引いてきたものの、胸の痛みは変わらず搾乳をしても激痛が走り、悶絶しながら搾乳を続けた。そんな時母の知人から、おすすめの母乳相談室を教えてもらった。とにかく笑を持つかむ思いで相談に行った。そしてこの出会いが私の母乳育児を大きく変えた。

相談室は個人で開かれていて、桶谷式という有名な手法を用いた相談室だった。とにかくすごかった。

まず胸をマッサージしてもらい、溜まった古い母乳を出してもらうのだが、そのマッサージが全く痛くない。最近別の件で他のクリニックにも行ったのだが、マッサージは超絶痛くて(普通は古い溜まった母乳を出すので痛くて当たり前)悶絶した。助産師さんがマッサージしながら様々な情報を教えてくれて質問をしてくれるのだが、痛すぎで何も入ってこない。後で自分の両手を見たら掌に爪痕がついていた。一方で桶谷式の母乳相談室では、マッサージを受けた後カチコチだった両胸が驚くほどフワッフワになった。そしてこの柔らかさをキープするように、と食事指導を受け、正しい搾乳方法を教えてもらった。

そして乳腺炎を防ぐために一番不可欠なのが、「ちょくぼ」だといわれた。赤ちゃんは搾乳機よりも優秀で、ちゃんと残っている母乳をうまく吸い取ってくれるとのこと。だから搾乳ではなく、ちょくぼをしなさい、と(以来、たー坊をゴミバスターと呼んでいる)。21トリソミーで病院にいて哺乳瓶にすっかりなれた事情を説明してちょくぼをやめたことを伝えところ、

「ちょくぼできない赤ちゃんはない」

と言われて仰天した。もちろん先天性の疾患など個別の赤ちゃん事情はあるが、赤ちゃんはちゃんと母乳を吸って飲む力を持っているのでトレーニング次第だそう。たー坊は特訓したけどできなかったことを伝えたが、出来ると言い張られ、その場で試してみることになった。そして試したら、なんと「何の問題もないですよ、いつも飲んでますから」みたいな顔をしてコクコクと飲んだ。これにはただただ仰天するばかり。慌てて助産師さんに本当にできなかったんですよ、と何度も説明をした。

ちょくぼができるようになるには、ある程度成長していなければならないし、おっぱいもちゃんとフワフワ状態をキープしていないといけないそう。結局、その場では外面良くけろっとした顔でコクコクと飲んだたー坊だったが、翌日には再びできなくなってしまい、改善が見られないので再び相談室に駆け込んだ。試行錯誤でちょくぼトレーニングを継続しつつ、搾乳&哺乳瓶もフォローで行ったこの時期は心底大変だった。

実家から東京に戻ってきた後も同じ系列の相談室に通い、生後5ヶ月目の昨日、初めて一度も搾乳機とミルトン消毒を使わずに1日過ごすことができた。ちょくぼにこだわっていたわけではないが、ちょくぼができると何より搾乳機・哺乳瓶の消毒・乾燥等が不要になって本当にらく。何より哺乳瓶を卒業してもちゃんと飲めていてご機嫌に育っているたー坊を見ていると、こちらも上機嫌になる(唯一、朝晩の哺乳瓶担当だった旦那さんは、たー坊との時間を奪われて心なしかしょんぼりしているが)。

定期的に通院している病院先では「外ではまだちょくぼできませんから」と頑なにちょくぼを嫌がるので、哺乳瓶フル卒業まではまだしばらくかかりそうだ。

【哺乳瓶を介した父子の時間〜寝落ち寸前〜】

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