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期待の先にある絶望だか失望だか

私は結構人に期待をしてしまう。「ああしてほしい」、「こうしてほしい」、「こんな風であってほしい」、「これをしてくれたら」。

この期待が時に自分を苦しめるということが最近よくよくわかってきた。たー坊先生が生まれてから、生活は一変した。たー坊先生がダウン症ということが分かって価値観も一変した。健康なら万々歳、健康でなかったとしても生きてくれているだけで万々歳。そんな人として大切なことをたー坊先生から身をもって学んだはず・・なんだけど。
生きていれば日々こまごまいろいろあるわけで。そういう色々が積もり積もってこういう「人として大切な学び」を時に覆い隠してしまったりする。そういうとき、大抵コンディションが最悪なときなので、自分の人への期待が高すぎる事案がさらに人をも巻き込んで、双方のコンディションをかき乱す。

この「人に期待をしてしまう」癖は、特に身内に強く出る。その一番がやはり旦那さん。のほほんとしていて、たー坊先生とも仲良しこよしでとっても良い人なのだが、コンディション悪い時にはこののほほんさが心底カチンとくる。お願いしたことをやってくれなかったとき(明日朝のたー坊先生用の朝食のパンがないから作っておいてね)、やれなかった言い訳を並べて自分を正当化しようとする魂胆が見え見えのとき(電気つけっぱなしを指摘したら、「えー消したけどなぁ」とああいえばこういう)、何度注意しても改善が全くされないとき(たー坊先生の服を脱がすときにちゃんと表にして脱がせてね、洗って干すときに大変だからとおねがいしても数日後にはまた裏にもぞもぞっ、くちゃくちゃっと抜いだまま洗濯籠に入っている)とかとか。自分にも余裕があって、仕事も家事も、子育ても順風満帆だったり時間もあってうまくできてるじゃーん私(何てこと一度もない)みたいな時があったりすれば、きっと「あーまたね。かわいいじゃないの」とやれやれとやり過ごせるのだろうけれど、こちらのコンディションが良くないもしくは悪いときは、いちいち相手の行動ひとつひとつにカチンコチンが止まらない。

今回のコンディションの悪さは完全に私の体調不良が原因。先々週、たー坊先生が原因不明の発疹と発熱に見舞われて、看病しつつ、その後治ってからは急に寒くなってなりして、たー坊先生は鼻水垂れ小僧となってしまった。大丈夫かな、と戦々恐々としながらすごしてようやく連休に入った週末。その手前くらいから今度は私まで喉が痛い。昔からお世話になっている大好きな先輩に、「風邪は気合次第」と教わってから、風邪をひきそうになったら「私ごときは風邪になんてかからないのよ、ふふん」と言葉にしてから慌てて早く寝る。でも隣に鼻垂れちゃんが寝ているので、寒くないかなとか、またケットを剥いでる!ちゃんとかけてあげねば!、とか、たまには母らしいことを思いついては夜中にハッと起きて、爆睡しているわが子の呼吸確認をしながらケットをかけて差し上げる(なぜか決まってその数秒後にはケットを堂々また剥ぐという攻防戦の繰り返し。。)。

たー坊先生が誕生してからのこの2年、熟睡できたなーという実感と記憶は一度たりともない。それでもこうして元気なので、本当は熟睡しているのか、熟睡しなくても元気なのか、のどちらかということ。で、ついに先輩の教えもよそに、ちょっと体調が傾きかけたこの週末。コンディションがあまりよくなかった。
だから木曜の夜から気のおけない仲間たちと中国語研修という名の中国流遊戯をよなよなオンラインで興じる旦那さんに度肝を抜かれた。せめてばれないでやってほしい。しかも朝6時ごろに寝室にやってきてここから就寝されようとした。その物音のせいで我が眠れる獅子はピッカーンと起きてしまった朝6時。wifi抜いたろかと、心の中で思いつつ、責任とりやがれ!と鬼の形相で旦那さんに迫り、何とか起きてもらって旦那さんには寝室でたー坊先生のお相手をしてもらいつつ、私は急いで1階と2階を掃除して、換気して、そして坊ちゃんの朝ごはんの準備をする。いつもなら大抵「あっパンがない」となるので最寄りのコンビニにダッシュするのだが、その日は珍しく超レアな100回に1回がやってきたのか、パン焼いてから寝てね、という恐妻からの指令を守って旦那さんがパンを焼いておいてくれたらしい。コンビニに行かないで済むと、その間に止まってしまうタスクの2つや3つができてだいぶ時短になる。それで調子にのってさらにもう1品、もう2品とたー坊先生の作り置きを作り始めたりして、後になって時間に追われて後悔することになったりする。

で、よく土曜日は家族3人でお隣埼玉までおいしいと聞いたピザを食べにいった。朝10時からたー坊先生は療育を習っていて、それは旦那さんタスクなので旦那さんが送迎とクラス同席をされるのだが、この日は雨だったので車でいかれたそうで。帰ってくる道中(ものの3-4分)で坊ちゃんが眠りこけてしまい、起こすのはかわいそうだからそれならそのままご飯を食べに行こう、となって、なぜかはるか遠くの埼玉の農園併設の野菜がおいしいイタリアンに行ってきた。楽しく過ごしながらも帰ってきて爆睡のたー坊先生。からの翌日曜日。よし今日もゆっくりまったりだ、とおもっていた矢先、前日に旦那さんがいきなり、「明日バスケの試合だった」といいやがられた。「午前中いっぱいはかかるけどお昼には戻ってくる」と。中国研修といい、バスケといい、なぜ彼だけはこんなにも自分がやりたいことを愉しめているんだ!?不公平じゃないか?そもそも平日はほぼ母のワンオペで、仕事に家事に育児にと自分の時間なんて一ミリもない生活をしている私に対して、気が利くいたわりの一言があってもいいんじゃなかろうか?しかも体調があまりよくない奥さんに対して、行っていい?の一言もなければ、断ろうか?代ろうか?の提案があってもよくないか?と相手へのこうあるべし論がムクムクムク。体調悪いのもありあまって、沸点は限界点に到着。

これで終わればギリギリ良かったものの、そうは終わらない連休最終日。お昼になっても旦那さんはいっこうに帰ってこなかった。お昼にかえってくるとばかり思っていたので、「お昼お弁当買ってきてー」と何とものんびりしたLINEを入れたが最後。旦那さんからは「16時くらいになります」という返事がきた。しかも本当に帰ってきたのは17:00過ぎだった。時間のルーズさを問い詰めたら、「16時に帰る」というのは、会場を出る時間であってうんぬんと言い訳をお始めになられた。意味不明な言い訳をたれてきて、こちとらいよいよいよいよ堪忍袋の緒がブッチブチと音を立てて切れたのでした。八つ裂き状態の完成。どこで試合してるかなんて、知らんがな。家に帰ってくる時間何時?と奥さんに聞かれたら、それは紛れもなく到着時間であって、現地出発時間なんてことがあるわけない。
仕事でアポの時間が、実はアポ開始時間ではなく、移動のスタート時間だったなんてことはこれまでの社会人人生で記憶にない。
その頭の思考回路そもそもが、育児・家事をなめてる証拠だぜよ、と沸点を超えた怒りは留まるところを知らずに、カッカカッカした頭から溢れて漏れて止まらない。こんなときに罵詈雑言の思いつくことといったら。普段noteを書いていて全然筆が進まない私に教えてあげたい。私はこんなに語彙が豊富なのよ、安心しなさいよ、と。
でも30うん数年生きてきて私だって完全なアホじゃない。このままの怒りに任せたテンションでLINEをしたとて、今まで良いことが起きたためしなんて一度もなかった。かろうじてそれだけは理解できたので、ぎりぎり歯を食いしばって、いろんな罵詈雑言も飲み込み、ふぅと深呼吸して、空を見上げてそれからようやくLINEに載せた一言。

「育児なめんなよ」

そして、このまま家にいるのはよくないと思い、たー坊先生を連れて公園へ。キャッキャ二人で遊んで、ふうと一息ついてから、最近はまっている近くのデニーズへゴー。このデニーズ、一人で来ると本当にしんどい。入り口が2階にあって、手段は階段のみ。バリアフリーどこいった!?ベビーカーじゃ上がれない。右手に9キロ超のたー坊先生をかかえ、左手に6キロのベビーカーをもって無事に2階入り口に到着できたのは、火事場のバカじからならぬ、怒り力だったに違いない。
一息ついて、たー坊先生とメニューを左から右まで隅々眺め、たー坊先生が大好きそうな子供用コーンスープと、ずっと食べたくてねらっていたシャインマスカットパフェを頼み、二人で仲良くつっついてようやくイライラが収まってきた。大抵、怒ったときは糖分が癒してくれる。これ、あとで大好きな先輩に共有しておこっと。

きっと、LINE上で堰を切ったかのように暴れ狂う私を想定していたのか、全く想像だにしなかったこの一言に旦那さんは恐れおののいた・・のか、ようやく一言返ってきた返信は、

「早く帰っておいでよ」

だった。これはどうとらえるべきか・・きっといろいろ探したけど言葉が見つからなかった、という風に前向きにとらえよう。
私の言葉に集約された思いをどうか汲み取ってほしいと願うばかり。と、またしても相手への期待が高すぎて、その期待の先には何も建設的なものは生まれない、と身に染みた週末なのでした。

相手に期待をしないようになれる眼鏡とか、相手にいい感じに動いてもらえるこんやくとか、出先からすぐ戻れるドアとか、ちょっと気が利く目薬とか、そういう道具ってないものだろうか・・・

最近立ち上がろうとするので、ベットを下げて同じ目線に
指まで柔らかい!
言葉練習のオノマトペカード。「あ」と「お」が得意。
我が家の救世主のうちの一つ







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