LGBTQ事情#2 ひねくれた恋愛観。
好きな人が複数人いると言うと、けげんな顔をする人は多いと思う。
私は男の人を好きになることと女の人を好きになることがある。確率で言うと、女の人の方がちょっと高い。「LGBTQ」という言葉を知るまでは、女同士が恋人になることは、あり得ないと思っていた。だから、10代の頃、女の人を好きになってしまった時は、罪悪感に苛まれた。好きな人ができるたびに自分を責めた。
ある時、変なアイデアが頭の中を巡った。「本当に好きな人」を1人と、「少し好きな人」を何人かつくっておけば、傷つかずに済むのではないかー。
数人好きな人を見つけておくと、1人に想いが集中しない。だから、好きな女の子から好きな男の子の話をされても、普通に接することができる。その彼とうまくいったら、私は新しい相手を見つけて「好きな人ストック」を増やしていく。本当の気持ちにはふたをして、友達としてうまく付き合うことを選んだ。
小学5年生の頃、初めて男性を好きになった。その時は心から安心した。やっと自分の恋心を肯定できた。そして、高校生の時にその人と恋人関係に発展し、やっと家族や友達に、自分の恋愛の話を堂々とできるようになった。
だけど、「女にも男にも恋心を抱く自分って一体なんなんだろう」という悩みは尽きなかった。
高校生の時の恋が終わった後は「なんとなくいいな」と思う男の人と、恋人関係になることを繰り返した。ただ、女の人を好きになった時は思いを伝えることができない。そして、複数人に気持ちを分散させる。ひねくれた恋愛観が出来上がってしまった。簡単に言ってしまえば、浮気っぽいということで、その言い訳をしたいわけでもないけれど。
好きな人に「好き」と言えないのは苦しかった。だけど、もし想いを伝えていたらどうなっていたんだろう。私には、友達関係を崩してまで想いを伝えるという選択肢はなかった。
友達のままでいれば、好きな女の子と手を繋いだり、一緒にお泊まりをしたりできる。気持ちを伝えることができない代わりに、そばにいることは、許される。これは、同性を好きになる特権だ!と思っている。
じゃあ、もし同性に告白されたら、どんな対応をしたらいいんだろう。それは異性に告白された時と同じだと思う。好きなら好きと、好きじゃないなら好きじゃないと言えばいい。LGBTQだからと気にすることはない。むしろ、気にされることの方が私は嫌だ。
とはいいながら、これまで、同性の好きな人には告白ができなかった。LGBTQに対して偏見があるのは、LGBTQを自認している自分自身だったりするのかもしれないということに気づく。
2020年7月7日火曜日
山陰中央新報掲載分
写真 いしとびさおり