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プロの基準

タイトルを
「プロの基準」にしようか
「基準は父」にしようか、迷いました。笑

自己紹介への「スキ」をいただきありがとうございます!
久々に自分のことを書いているので
興味を持っていただけると嬉しいです^^

鮨屋の娘として生まれたと書きましたが、
私にとって一番身近な「プロ」は父でした。

働きながら夜間の高校に通い、
祖母が好きだった寿司職人になると決めて
西の方から出てきて両国で修業をしたそうです。
私は父の親方夫婦にも孫のように可愛いがってもらってました。

父は、私が生まれた時には暖簾分けで自分の店を出していました。
(今はもう店は閉じてます)
私は生まれた時から「鮨屋の彩ちゃん」で、
赤ちゃんの時は座敷の座布団で寝かされ、
休みのなかった両親の代わりに
バイトのお兄ちゃんやお客さんに
いろんな場所に連れて行ってもらいました。

生意気な小学生兄妹(兄がいます)を連れて
海やらディズニーやらによく連れて行ってくれたなと感謝しています。

でも、大人になってから聞いたら、
飲食代とは別にバイト代として数万もらっていた上に
「肉」を要望した兄にハンバーガーで手を打たせたと言ってたので、
1日3万くらいのバイトだったようでした。
30年前の3万って、大学生には結構価値ありますよね。
きっとwin-winだったんだと思います。笑

前置きが長くなりましたが、
私の父は「the寿司屋のオヤジ」です。
頑固でせっかちでワガママ。

でも私には甘々だったようで、
「彩ちゃんがいるとオヤジさんの機嫌が良い」とよく言われました。

とはいえ、人としての礼儀は厳しくしつけられました。
理由は忘れたんですけど、
反抗した私を包丁を手に追いかけてきたこともあります。
慌てて店から逃げ出した私は、
隣の家との隙間に隠れ、
怒り心頭で包丁を持って道を歩く父を眺めていました。

そんな父の忘れられない姿。

ある日、一人で来られた男性。
カウンターに座り、特に父と会話をすることもなく、
淡々と注文をされていました。

注文が半分くらい過ぎた頃、
「だいぶ前に来られたことありますか?」と父。

お客さんはびっくりしながら
「実は10年くらい前この辺りに住んでいて、1回だけ来た」と
嬉しそうに答えていました。

父は、注文の仕方から記憶が繋がったようでした。

たまたま当たっただけかもしれません。
でも私は、プロの仕事を見た気がしました。

ちなみに一般的に「すし」の漢字は「寿司」ですが、
我が家の屋号は「鮨」という字を使っていました。

理由を忘れてしまったので父に電話で聞いてみたところ

  関東は鮨、関西は鮓。
  全国統一として「寿司、すし」と言うようになった。

と言っていました。

ググってみたらそれっぽいことを書いてあったりなかったり。

私が父に教わってきたことと、
一時期流行った「まずは玉子から」は違ったりといろいろありますが、
私にとっての寿司は鮨で、
どんな名店よりも、父が作ってくれた
納豆とイクラが半分ずつになった巻物を食べるのが一番好きで、
プロの基準は父なのです。

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