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イエスマンを辞めて気づいたこと

私はこれまで仕事上、なんでも「イエス」と引き受けることを大事にしてきた。
自分が一番下っ端だったということと、なんでも挑戦することで成長できると信じて疑わなかったから。

だけどそれは違っていた。
たしかにはじめは良かったのだけど、
いつの間にか人の顔色を伺うということも追加されて、
ただの都合のいい人になっていることに気がついた。

「断れない人」認定されてからは次第に無理難題を言われることが増えた。
「私そんなことまでしなきゃいけないの?」と疑問を持つこともあった。

自分のキャパを越えて仕事している私は、
果たして自分の事を大事にできているのだろうか?と考えた時に、
出た答えは「ノー」だった。

耐えきれなくなって上司に相談したところ、
「そんなこと思ってるなんて気づかなかった、もっと早く言えばよかったのに」と言われた。
私が好きでみんなのお世話をしていると思っていたみたいだ。
その時に「そうか。上司だろうとなんだろうと、声を上げないといけないんだ」と感じた。

自分と他者の境界線を曖昧にしてはいけない。
断ることは怖い。
だけど、自分の状況を俯瞰して断る勇気も必要。
自分の絶対領域を守ることができる。
そこに人の侵入を許してしまうと自分が自分でなくなり、
ただの都合のいい人になる。
難しいけれど時には主張することが大切なのだ。
そうやって一人一人成り立っているのだと思う。

もちろん「イエス」と言わなきゃならない状況もたくさんあると思うけど、
なんでもかんでも「イエス」は自分のためにならない。
周囲からは舐められるし、自分自身が自分の現在地を見失う。
社会の荒波に生き残っていくためには、「イエス」の使いどころを見誤ってはいけないと学んだ。

今私は、「自分の侵されたくない領域」を心がけて生きている。
前よりも働きやすくなったし、自分の仕事以外で抱えるストレスもなくなって快適になった。
「イエス」か「ノー」か選択することにも頭を使おう。


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