ショートショート018『とも白髪』

「きゃあ!」
私はドレッサーの前で、思わず声を上げました。
とってもビックリしたんですもの。
その声を聞きつけてか、夫が小走りで寝室へやって来ました。
「どうした?」
私より10歳年上の夫。
わりとスマートな体型とロマンスグレーの髪型。
歳をとっても、なかなかイケメンです。
「あなた~、見て~」
私は夫に右のこめかみあたりを指さしました。
夫は首を傾げています。
「うーん、何かな?」
「もう!  白髪ですよ」
夫は私の横顔をのぞき込みました。
ふわっとミントハーブティーの香りがします。

ロマンスグレーの男性がハーブティーってどうなのかしら?
こういうときは、コーヒーかしら?
コーヒー?
珈琲?
どっちがカッコイイ?

夫からは、ほのかにコーヒーの香りがしました。
「ああ、人生初の白髪だね。だけどキミは若いよ。50歳すぎるまで白髪がなかったなんて」
ぼくは羨ましいよ、と言って笑いました。
私は若いと言われたことが嬉しくて、うふふと口許をおさえて微笑みました。

うぅん、なんだか解り易く喜んでしまったわ。
いけない、いけない。

「特製のコーヒーを入れるから、早くおいで」
そう言いながら、背中越しに手を振って、寝室から去っていきました。
私は、もう一度鏡に向かいます。
そして、30年前の結婚式のことを思い出しました。
ーーともに白髪が生えるまで、仲良く笑って過ごしていこうね。
そう約束したのです。
私の髪にも白いものが出て、本当にそうなったのだな、と感慨深く思いました。
私は、この白髪を抜くか切るかするつもりでしたが、このままにすることにしました。

ああ、理想的なダンナ様だわ~。

その翌日。
夫が亡くなりました。
お医者様の話によると、夫の年齢くらいの人たちに多い病があるのだそうです。
お医者様から、旦那さんと何か約束しませんでしたか、と問われました。
私はすぐさま思い出しました。

ーーともに白髪が生えるまで、仲良く笑って過ごしていこうね。

まさか、そんな。
「ごめんなさい、あなた!  私に白髪が生えてしまったから……!!」
私は夫の身体にすがって泣きました。
いつまでも涙は枯れることがありませんでした。

「ただいまー」
あらやだ、帰ってきちゃった。もう少しでラストだったのに。
「うわ、びっくりした。お前、もう夕方なんだから電気くらい点けろよ」
まったくもーと言いながら、ダンナがパチンとスイッチを入れる。
いつの間にこんなに暗くなってたのかしら。
夢中になると忘れちゃうのよね。
「おい、飯は?」
はぁーーー。

私は仕方なく、お米を研ぎながら続きを考える。
じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ、ジョリショリ。
やだわー。理想の夫婦5000字ホラー大賞に出す小説に、生活感が出ちゃうじゃない。
「ぶふっ!」
ダンナがなにか吹き出した。本当にもう汚いんだからー。

私は布巾を持って、キッチンを出た。
「お前、またけったいな夢物語書いて!」
あはあはとお腹を抱えて笑っている。
しまった、パソコン閉じるの忘れてた!
いやー!  やめて、見ないでー!!
「とも白髪がオチって、お前!  あーっは、いひー、なんだこれ」

私はバンと音を立てて、あわててノートパソコンを閉じた。焦りながらも、さっきのは保存したかしらどうかしらと考えている。
「人の唯一の趣味にケチつけないでよ」
「いひひひ……いひひー」
まーだ笑ってからにー、こんにゃろー。
私は開き直って言った。
「私とお父さんは、こんなことには絶対ならなくて良かったわね!」
私は、涙を拭きながら何か言っているダンナの頭を叩(はた)いた。
毛のないそれは、パチン、といい音がした。

<了>

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