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祖母の雑記帳

長女が3歳になった年の5月、私の祖母が94歳で亡くなった。

実家に帰ったとき、形見として祖母の雑記帳をもらった。
亡くなったあと、祖母の部屋を片付けに行くという母に、「もし見つけたら持ってきて」と頼んでいたものだ。



ページをめくってみると、本当に色々なことが「雑記」されている。



2、3歳の頃の私のつぶやき

家族旅行の日記

気に入った歌の歌詞

植物の観察記録

お料理のレシピ

戦争への思いと憎しみ‥



小さい頃から慣れ親しんだ祖母の筆跡はあたたかく、雑記帳のセピア色が、祖母と一緒に刻んだ時を感じさせてくれて、じんわりと嬉しさがこみ上げてきた。

思い出すのは、産まれてから5歳になるまで一緒に暮らした祖母の家。

猫と一緒に寝ていたベッド

その壁にはカレンダーが飾られていて、赤ちゃんの私がハイハイをしながらきょとんと顔を上げている写真が印刷されていたっけ。
祖母はそのカレンダーを、カレンダーの役割を終えてからも色あせるまでずっと飾っていた。

陽のよく当たる部屋は、決して広くはない4畳半が二間には、猫のチイコがひっかいた傷だらけの柱があって、

足踏みミシンと、

祖父の写真が飾られた仏壇、

幼かった私が指を突っ込んでヤケドをした石油ストーブに、

祖母の編んだセーターが入ったタンスなど、

部屋は、それこそ雑多で、物でぎゅうぎゅうだった。

でも、その小さな空間に、祖母の暮らしや思いが詰まっていて、とても好きだった。

ごちゃごちゃした押し入れには、スケッチブックがしまわれていて、祖母はよくそこに、身近な草花や孫の横顔など、日常のちょっとしたものを、ささっと描いていた。

私も時々そこに絵を描かせてもらって、
『あやちゃんの描く顔は本当にかわいいねぇ。優しい気持ちの人が描いた顔は、優しいんだよ。』
と言ってくれる祖母のあたたかさに、包まれていた。

祖母の丸くなった背中におんぶされるのは、とても気持ちがよかったのを覚えている。



亡くなったとき、もう「おばあちゃん」って呼べないんだな、って思ったら、とても悲しかった。

おばあちゃんは、どこに行っちゃったんだろう?

死んだらどうなるんだろう?
そんなこと、本気で考えたのははじめてだった。

もう、あの部屋には、二度と会うことができないと思うとさびしいけれど、温かい思い出を残してくれた祖母には、感謝だ。



雑記帳とともに、10年前、私が祖母に送った誕生日カードも一緒に出てきた。

「私の夢は、おばあちゃんにひ孫を抱っこしてもらうことです」

娘が3歳になるまで生きててくれた祖母。

夢、叶えてくれてた。

ありがとうね、おばあちゃん。

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