言葉の重み


何も考えず人を判断し、物を言う人とは今後もあまり関わりたくないし、私もそうならない、決してなりたくない。


雨が一日強く降っていたその日、カフェで一人働いていた。営業時間後、コーヒー豆を届けに業者さんが来た。そしてその方から「…あんたは韓国人なのか?」と言葉を投げかけられた。

閉店後は必ずドアに鍵をかける。不審者が入って来ないよう、突然のトラブルに巻き込まれないよう、自分の身を守るためだ。片付けの作業をしていると、その業者さんがものすごい勢いでお店のドアを叩いた。私は少し驚いた。最初はお客さんかと思ったので、「もう終わりだよ、ごめんなさい」という風にジェスチャーをした。だが、相手は何か叫んでいる。「コーヒー‥$%#」と聞こえた。雨の音もあって少し聞こえにくく、コーヒーをお願いされているのかと思ったのでもう一度ジェスチャーをした。だが何か違うようなので、恐る恐るドアの近くに寄った。そしたら「コーヒー豆を届けにきた!…」とようやく相手が言っていることを理解した。

だけど、その瞬間少し引っかかった言葉があった。

「コーヒー豆を届けにきた!って言ってるのに…あんたは韓国人なのか?」と私を指差しながらその人が言ったのを聞こえた。

その方が私に対してそう言った考えられる理由は置いといて、言葉の重みはどこにいっても同じだ。日本語、英語、何語であっても関係ない。

何も考えずに見た目で人を判断し、物事を言う人の心は何か違うよ、悲しいね、枯れてるねってことだけは言いたい。


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