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ブラジルの"jeitinho"と沖縄の「なんくるないさ」

沖縄と私

ところで私は沖縄ファンで
しょっちゅう沖縄に行っていますが(2年間で13回)
ウチナーンチュ(沖縄県民)の気質も
ブラジル人に似ているところがあると感じています。

一応、バスの時刻表はありますが(以前の記事を参照)
あってないようなものです。笑
最大で15分は遅れますし、それでも想定の範囲内だと皆さんおっしゃいます。

東京人の思考のクセ(沖縄でのエピソード)

バスは始発で既に遅れていますし笑、
何度もバスに待たされましたし、
「もう行っちゃったのかな…」とバス停を変えようと歩き出した時に限ってバスが通り過ぎて
置いていかれたことも何度もあります。
(これは東京人の思考のクセが敗因だと認識しています。)

マラソン大会の参加証のハガキが
大会3日前になっても到着していませんでした。
(平均で10〜7日前には届いておくもの)
それを発送するのもギリギリな沖縄県民のゆったりさに
ブラジル人を重ねましたが、
私はハガキを持たずに沖縄入りしてしまいました。
ハガキがないと参加できないため、
焦って電話したら
担当の方はとても落ち着いてゆったりとしていて
「(私の話、ちゃんと通じてる!?)」と不安になりました。
でもきちんと話は通じていて
「ハガキの写メでオッケー」の一言で
一瞬で解決しました。笑
そんなのでいいんだと拍子抜けしました。
(これも東京人の思考のクセです。)

私はブラジルで鍛えられてきたので
このようなことが起こってもあまり動揺しませんが笑、
「腐っても東京人だ」ということを痛感させられますし、
こういったエピソードを日本人の友人に話すと
「時刻表通りにバスが来ないのは困るね」と
まずその感想をもらいます。
(これも東京人の思考のクセです。)

“jeitinho“と「なんくるないさ」

ブラジルにはjeitinhoという言葉があります。
(jeitoは「手段」「コツ」という男性名詞です。)
「なんとかなる(する)」みたいな意味合いですが、
例えば、時間を短縮するためにちょっとした交通違反をしてしまうことも
jeitinhoと言われます。
「賢い知恵」も「悪い知恵」も含んだ
「生活の知恵(手段)」みたいなニュアンスでしょうか。
(補足やエピソードがあればコメントくださると大変ありがたいです。)

一方、沖縄には「なんくるないさ」という言葉があります。
こちらも「なんとかなる」という感じですが
実は
「まくとぅそーけーなんくるないさ」
という言葉からきていて
「人として正しいことをしていれば、あるべき結果に自然と行き着く」
というのが本来の意味だそうです。

jeitinhoも「なんくるないさ」も
どちらも国民性を表現しています。

歴史的背景が似ているから
国民性も似ているし
その土地の人々の性質を表す言葉も似たようなニュアンスになったのではないかと考えます。

歴史的背景

沖縄は長い間
「琉球王国」として独立した国家を形成していました。
それが、1609年の薩摩の侵略から始まり、
1879年に強引に琉球王国が廃止されて沖縄県が置かれたことで日本国に取り込まれ、
1952年から正式にアメリカに統治されることになってしまいました。
1972年の日本復帰(本土復帰、祖国復帰)に際して、当時の県知事・屋良朝苗さんのメッセージの中に
「沖縄が歴史上、常に手段として利用されてきた」
「(日本復帰は)沖縄県民にとって、みずからの運命を開拓し、歴史を創造する世紀の大事業」
という文言がありました。
「手段として利用されてきた」という言葉から、彼がらこれまで、どのような運命を辿ってきてのか考えさせられますし、
「運命を開拓」「歴史を創造する」という言葉を引き出すまでに至るほどの感情がDNAに刻まれているのかなぁと感じました。

一方ブラジルですが、
1500年にポルトガルに発見されたところから歴史が始まります。
長らく植民地でしたが、
1808年にポルトガルの連合王国となります。
そして1822年9月7日に独立を宣言して、ブラジルとしての第一歩を踏み出します。
軍事政権、独裁政治などを経て、
1980年代から90年代のブラジルの経済状況はとても不安定になります。
インフレ率が3000%になった時もあったそうです。
1986年から1994年の8年間だけでも2兆75億分の1のデノミネーション(古い通貨の価値が新しい通貨の価値に置き換えられる)が行われ、
1942年から1994年の52年間だと275京分の1のデノミネーションが行われました。
それだけの価値の0が切り捨てられてきました。

嘘か誠か、
「朝と夜でスーパーの野菜の値段が変わる」という事態まで発生しています。

これらのことから考えてみると、
ブラジルも沖縄も
のんびりと生きていたのに
自らの力ではどうしようもないほど
外部の者たちからの大きな力で押さえつけられ
生活や人生を支配されてきたのかなぁと考えます。

だから「なんとかなるさ」

大学時代の教授がおっしゃっていました。
「ブラジルは、色んな政治的・経済的困難に幾度も見舞われ、
明日の生活もどうなるか分からない状況を体験してきた。
だから些細な出来事はどうってことないし、
そうしないと生きていけなかった」

とても腑に落ちました。
52年間で8回も通貨が変わったことを鑑みると、国民は相当混乱しただろうな(そして慣れてしまっただろうな)と想像できます。

沖縄も
琉球王国としてずっと独立していた国家だったのに、
突然日本に「支配」される形になてしまいました。
アメリカ統治時代にはB円という独自の通貨が発行され、27年間で5回も通貨の変更があったそうです。
ある日を境に生活が変わった出来事も体験しています。
1972年5月15日に、米ドルから日本円へと完全に切り替わりました。
1978年7月30日は、一晩で道路を右側→左側通行に切り替えました(「730(ナナサンマル)」と呼ばれます)。


ブラジル人とウチナーンチュ。
両者の気質が似ているのは
「暖かいところに住んでいるから」という理由だけではなさそうです。

余談(沖縄の発音について)

沖縄のことを「ウチナー」と言いますが、
沖縄のことばは「ア」「イ」「ウ」の3母音で成り立っているそうです。
そして本土方言の「エ」は「イ」に、「オ」は「ウ」になるそうです。
また、「キ」は「チ」に口蓋化(発音する位置が変わる)するそうです。

なのでオキナワは
「オ」→「ウ」
「キ」→「チ」
オキナワ→ウチナヮ→ウチナー
となったようです。

私が作った観光案内動画のAmerican Villageは
北谷(ちゃたん)という地域にありますが
谷→「たん」と読む
きたたん→ちゃたん
となったそうです。

この本で沖縄の発音の勉強も少しだけしていますが、
とても難しいです。

♡ ••┈いいね♡コメントいつもありがとうございます┈•• ♡
私のレッスンでは、
・発音矯正
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꧁愛マリアンジェラ꧂

著書
『日常ポルトガル語会話ネイティブ表現』(出版: 語研)
※共著

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