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淡い色の風が吹き、静かな心地よい声が私の耳を伝った。


『来年も一緒に見に来ようね。』


ひらひらと舞う桜の中でそう言って穏やかに笑った彼の横顔は、今まで見たどんなものよりも綺麗だった。私は適当に相槌を打ちながら、その美しい映像を必死に瞼の裏に焼き付けていた。


『来年だけじゃなくて、再来年も、その先も何年も、僕らがおじいちゃんになっても、ずっと』


そして見つめ合って柔らかく笑い合う。


嗚呼、私も春の淡くて白い陽射しに溶けてしまいそうだ。どうしようもなく温かく愛おしい。





けれど、私はどこかでわかっている。



これは夢なのだ。何度も見た夢なのだ。



きっと起きたら7時過ぎで、私は自分の部屋のベッドの上にいて、枕元の目覚ましがけたたましく鳴り響いていて、目をこすりながらそれを止め、濡れる手の感触で自分が泣いていることに気がつく。

そしてとうの昔に君は私の隣に居ないことを、冷めきった珈琲を飲みながら思い出すのだ。もう丁寧に豆を挽いて一緒に珈琲を飲むこともないんだなぁ、なんてことを思いながら珈琲の苦さで気持ちを誤魔化す。



もう何百回もみた、あの日、5年前の夢。



あの言葉が、あの残像が、私の夢が全て詰まっていた瞬間だった。今でも。いつまででも君を見ていたかった。
目蓋の裏に焼き付けたあの人は、いつでも鮮やかなはずなのに君はどこ。私はどこ。どれくらい時間が経っているの。
私だけがあの日に取り残されたままで、君は他の素敵な人と幸せに暮らしていると風の噂で聞いた。


ねぇ、このまま夢の中で桜色に溶けてしまってもいいかしら。私の中の時計は、もうこの先動くことはないもの。

そうしたら来年はきっと美しく散ってみせるから。

どうかお願い、またあの日みたいに優しく微笑んでみせて。



散りゆく春が私だと気付かなくてもいいから。

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