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愛を知っているなんて驕りは捨てて


(この写真は撮影可能スペースのものです)


京都市京セラ美術館で開催中のルーヴル美術館展へ足を運んだ。

過去約3年ほど京都に勤めた私が断言するが、盆地である京都の夏は本当に暑いし冬は本当に寒い。そして京都のバスに乗るのは本当に難しい。
ひとつの停留所に6つも7つも別系統のバスが停るのだから、ずっと引っかけ問題を解かされている気分になる。


美術館に行くためのバスを早速1本逃がし汗をかく。
内心焦りながらも澄ました顔で並び続ける。
ふと隣を見ると、手に持ったスマホの画面とバス停の時刻表とを交互に見やる不安げな外国人が立っていた。
迷っているんだろうなと気づいていたのに、私も全く分からないからどうか声を掛けられませんようにと祈ってしまった。
無責任な返事をして、異国の地から来た人間を見ず知らずの土地へ飛ばす可能性に身が縮まる。それを忘れて絵画を楽しめるほど私の神経は太くないのだ。
数分後、外国人はもう片隣のおばあさんにあれこれ尋ねていて、まちがいさがしのまちがいのほうを選ばなかった外国人に心の中で拍手を送った。


どこに向かって走っていくのか検討もつかないバスたちを5.6本見送ったあと、ようやく正解のバスが来たので飛び乗る。

到着した京セラ美術館は、改装されたばかりで外観からかなり綺麗だった。
冷房の効いた涼しい館内に入る。美術館の天井ってどうしてどこもあんなに高いのだろう。自分の小ささを思い知らされる。
チケットを購入し入場ゲートを抜けるとすぐ、ポスターにも使用されている“アモレの標的”が目に入った。看板作品のひとつを出し惜しみしない潔さに惚れ惚れした。



ルーヴル美術館展、サブタイトルは愛を描く。
70余りの作品の幾多の種類・角度から描かれた愛を思う存分愉しむ。
母子の愛、父子の愛、純愛、略奪愛まであり、印象的だったのは愛の象徴として男性は暴力が、女性は露出度の高さや情事を想起させる色気などが挙げられており、大昔から人間は大して変わらないのだなと何だか残念な気を起こさないでもなかった。
でもそれらはきっと間違った方向に進んだ歪んだ愛なのだと信じている。相手の意を汲まない愛なんて、それはきっとただの暴力にちがいないから。



少し話が逸れるけれど、私は特別絵画の知識があるわけでもないし、ギリシャ神話も分からない。何故絵を鑑賞するのかというと、“これいいな”の感覚を求め続けているほかにない。

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という山口周さんの著書を読んだのがことの発端であった。
本書でいう美意識とは真善美が感じられる想像力のことで、組織の構成には数理的なサイエンス・過去の経験に基づくクラフト・直感力や感性であるアート的要素の3つのバランスが不可欠らしい。

iPodが例えとして挙げられていた。
かつて世界的大ヒット商品であった音楽プレイヤーは、試作品の時点では一蹴されていた。
数理的な予測や過去のデータからは売れる兆しは到底見えなかったという。
その数々の否定的な意見を吹き飛ばしたのは、代表陣一人の「それいいね」だった。

サイエンスやクラフト頼みばかりでは企業は一極化してしまい、今後差別化を図るには美的センスも必要になってくるという話として紹介されていた。



絵を見ることと服を買うことは似ている気がする。
この縫製がいいから・この生地がいいからよりもまずはデザインに目を向けるはずだ。見た目の良さ、自分が着用する想像。
その後に素材感であったりその服のこだわりや背景にも思いを馳せるかもしれない。

絵を見ているときも、それが何を表しているか分からなくとも十分に愉しめる。
人間の血管まで浮かび上がるような色使いやタッチの繊細さ、明暗の対比、躍動感を表すための構図、描かれた人間の視線の先。目は口ほどに物を言う。
知識があるほど理解が進みその真価により近づけるのは言うまでもないが、決して絵画は見る人を選ばないと思う。

以前『はじめての西洋絵画』という入門書を読み、惹かれていた作品を見ることができた。
知識が繋がるという感覚は恐ろしく快感である。
さらに知を蓄えたいので帰りに図録を購入した。
パラパラ中身を確認すると、全ての絵に解説が付されていて、美術展鑑賞中には知り得なかった莫大な情報に心が高鳴った。



かなり見応えのある展覧会で、すべてを鑑賞し終えるのに3時間掛かった。
でも愛がテーマの美術展に行ったからといって、愛を知った気になるのはよくないぞと自分を戒める。
同じ本を何度読んだって、同じ音楽を何度聴いたって、恋人と何度会話を繰り返したって。
血の繋がった家族ですら永久に自分のものにはならないように、なにかを全て理解することなど到底できやしない。
だからこそ何度も味わおうと思えるのだけれど。

味わい深い人間に少しでも近づけるようにと願いながら、帰路についた。





おわり

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