悟りと滅びという視点の嘘

悟る=欲がなくなる、これがまず嘘です。

悟ると欲がなくなるのではなく、フラットな状態になります。
フラットとは、可もなく不可もない状態の様な感じです。

つまりは、必要であれば必要とし、必要なければ必要としない、という状態です。私達は常日頃色んなものを必要としています。それは悟っていないものの欲がある以上仕方のない事です。

また全人類が一度に全員悟る事は絶対に在りえません。絶対です。ですが目指すべき一つの指標はそこにあります。ただそれだけのことです。なので人類全員が悟って滅びるなんて事は在りえません。そもそも前提が間違っています。悟り=滅び、は間違っているからです。

また仏教=悟り、も間違いです。別に仏教に携わらなくても悟りは得られます。たまたま仏教で悟りという一つの術を扱っているに過ぎません。他の宗教でも、どこの国でも、たった一人の個人でも、悟りという術は扱えます。

悟り、とは単なる術に過ぎません。刃物や火や言葉や、その他全てのあらゆる術と本質的には同じものです。

では人類全員が悟って滅びる、みたいなものが生まれるのは何故かといえば、それは人類に限ったことではなく、その存在が自分中心で物事を考える基準を作っている自己中心的な存在だからに過ぎません。つまりは、自分を優先するあまり、ベストな選択肢である術が、自らを滅ぼす術になってしまっているからです。

ある意味、自業自得ですが、結局どういう考え方を持ち、どういう選択をし、どういう結果を選ぶかは個人個人の勝手です。自由ではなく勝手です。その後の自身に返ってくる全てに自分自身で責任を負い自分自身で乗り越えられるならそれでいいのではないでしょうか。その時になって気付いても手遅れかもしれませんが、本人が選んだのなら後悔はないのかもしれません。

真の自由を拒み、身勝手という我を行く先に、本人の望むものがあるのならばそれはそれでよしかもしれません。しかしその先にあるのは孤立です。真の孤立です。どういう意味かは深く考えれば分かりますし、自分で経験すれば分かるかもしれません。

この世界で新たな命が産まれてくる限りは、悟ったものは悟っていないものの為に生きる事となります。滅びない理由がこれになります。

これが出来ないものは、悟りという術を己が欲を満たす為に用いるから滅びる事となります。

ただ単に、これだけの事です。

要は自分次第です。

自分自信と向き合い、反省すべきところは反省し、改めるべきところを改め、全てを想い全てと対等平等に向かい合えば、そこにある道は道ではない事に気付けます。つまりは道に縛られない本当の意味での自由に向かう第一歩であるスタート地点に立てる事と成ります。そこからどうするかは貴方次第です。

ちなみにこれは私の言葉です。

あなたはこれを自分で導き出せるよう理解し自分の言葉で教え説ける様に成らなくては成りません。

そう成らずに私の言葉を用いれば、それ相応の報いを受ける事になるでしょう。ご注意ください。

あなたは、どう生きますか。

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