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【私の履歴書①】新卒からアクシスウェア社員として働くまでの14年

はじめに

新卒でIT業界に入社して早14年。年齢はお察しください。
インフラ基盤事業部の前田です。
 
今回は、私の学生時代の就活からアクシスウェア社員として過ごすまでについて記したいと思います。昔の話もあるのでそんな時代もあったのね、という軽い気持ちでお楽しみください。

就職氷河期が身近にあった時代

私が大学生の頃は就職氷河期という言葉が身近に存在していました。自己実現や社会貢献は二の次であり、「就職できるだけ有難い」という意識が全体的にあったように記憶しています。
 
一方、当時からブラック企業という言葉もありました。いくら「就職できるだけ有難い」とはいえ、ブラック企業には行きたい人はいません。周りの仲間たちは大学推薦の企業に向けて就職活動をしたり、教職課程を経て教員を目指したり……、だいたいその二つでした。
 
さて私はどうしたかというと、どうも会社員になることに気乗りがしませんでした。というのも大学2年の時に懸賞小説企画で佳作になったことがきっかけで「小説家になりたい」とぼんやり思っていました。
当時はスマートフォンもなく、ようやくYouTubeなるものが登場してきた時代であり、今よりも情報が少ない状態でした。そういう背景もあってか、会社員という職業にあまり良い意識が持てなかったのです。
 
とはいえですよ、卒業後の進路は考えないといけません。
小説家になりたいけど商業的に成功するまでは実質無職のようなものだし、とはいえサラリーマンもどうだろう、という考えをぐるぐる巡らし、出した答えはというと・・・。
 
「小説家になるならネタがないと書けないから、ネタが多そうな業界に行こう」
 
かなり捨て身な考えなのですが、当時はこれしかないと思いました。だから一番馴染みのないIT業界に就職しようと考えたのです。よく考えての行動なのか考えてないのかよく分からないですね(笑)
 
未経験でも採用してもらえそうなIT企業に何社かエントリーし、内定をもらいました。その企業をネット検索するとあまり良い噂はなかったので、「おそらくブラック企業ではないか?」と予想しました。
ただ、その時の私は「小説家になるならネタがないと書けないから、ネタが多そうな業界に行こう」マインドだったので、ブラック企業はネタだらけに違いない、と好奇心いっぱいでそのまま入社しました。

新卒入社 ~IT人材派遣会社~

最初に入社したのは従業員2000人規模のIT人材派遣会社、新卒入社の同期は200人近くいました。今でも覚えていますが、入社初日の研修内容は退職の手続き方法でした。淡々とこの部署のこの担当に連絡してください、という事務的な説明があり、ドライな印象を受けた記憶がまざまざと残っています。

翌日からは本格的に研修に入りましたが「ハンカチ忘れるやつは人間失格」と言われたり、三ヶ月経っても派遣先が見つからない社員は給料から3万円マイナスされるなどの仕組みのあることが徐々に判明し、研修途中で退職手続きに入る同期も少なくありませんでした。

「面白いネタ探し」という目的で入社している私にとっては望み通りでしたが、派遣先が見つからずに3万円マイナスは生活が苦しいのも事実。
気づけばインフラ研修を受けていましたが、まずは派遣先を見つけることを目標にして研修期間を過ごしました。幸か不幸か、入社一ヶ月過ぎには派遣先が見つかりました。
 
最初の現場は夜間運用監視のオペレータであり、18時から6時のシフト夜間勤務。だいたい月に15日ぐらいシフト勤務に入る生活が始まりました。
メイン業務は障害対応であり、それがある日は忙しいのですが、そうではない日は暇。そういうときは勉強しても良いと言われたので、オフィスに転がっているサーバやスイッチを組み立てたり設定して時間を過ごしていました。

一年も過ぎると夜間業務にも飽きてきたので、「派遣先の変更」を会社に要望しましたが、「派遣先はない」と言われ、さらにもう一年過ごすことに。このままやってもしょうがないと退職を考え出した頃、タイミングよく知り合いの会社に誘われたので、そのままそこに入社して、一社目のIT人材派遣会社の日々は終わりました。

中途入社 ~ゲーム会社~

二社目はゲーム会社でした。その当時はソーシャルゲームが流行り出した頃で、一発ゲームを当てれば一気に儲かるといった雰囲気があり、とにかくゲームをリリースして、外れたらすぐにサービス終了して、また新しいゲームをリリースするという方針でした。

私はインフラチームで入社したので、ゲームを配信する基盤を作る仕事をやっていました。サーバやスイッチの構築、テストプレーヤーとして業務中にゲームもやることもありましたよ。
 
社風は良くも悪くも自由な一方で、コミュニケーションは希薄でした。出社しても基本会話は全てチャットであり、隣にいても口頭で会話することはあまりなかったです。先鋭的なこともあり2013年頃にはすでにリモートワークができる環境だったことは特筆することでしょう。
 
業務内容は悪くもなかった気がしますが、コミュニケーションがほぼない環境にも不満がありました。レクリエーション企画を考えてやってみたりしましたが、社風に合わないところもあり、無理だなと諦めました。
さらに給料はほぼ上がらない時期が続き、結婚も考えていた私は環境の変化と年収アップを希望して2回目の転職活動を始めました。

三社目  ~アクシスウェア~

2015年、縁あってアクシスウェアに入社しました。一社目の夜間勤務、二社目のコミュニケーションが希薄な環境からすると、アクシスウェアは輝いてみえました。社員同士の飲み会も頻繁に開催されるわ、社員旅行もあるわ、毎年新卒入社もあるわ、なんだか別世界に来たようです。何か仕事をすれば、それに対するレビューやフィードバックがあり、遂にまともな会社に入社したなという印象です(笑)

前職の二社は停滞感というものを感じる時期も多かったのですが、アクシスウェアは良くも悪くも毎年刺激が多く、業務に飽きることがありませんでした。
 
さて、耳障りの良いことばかり言っても嘘くさいので、大変だったことも紹介したいと思います。最初にアサインされた案件は金融系システム構築でした。前二社では経験したことのない規模であり、また案件の性質上、ドキュメントや設計において細かさを求められました。

また、前二社は良くも悪くも個人の裁量に任せられる部分が多かったのですが、この案件は周囲と連携して仕事を進めることが必須でした。このぐらいで伝わるだろうという感覚で仕事を進めると、後々大きなギャップとなってプロジェクト進行に影響を与えることもあります。そのあたりは丁寧に進めることが大事だということを学びました。同じインフラエンジニアの仕事でも、こうも違うのかと驚いたのをよく覚えていますね。
 
とまぁ、このようにいろいろ大変だったわけですが、その後は違う案件もいくつか経て、2022年でアクシスウェア生活8年目を迎えています。

最後に

さて、ここまでお読みいただいた皆さんは、「おいおい、小説家になるんじゃなかったのか」とお思いかもしれません。別に小説家も諦めたわけじゃないのですが、別に今じゃなくてもいいかなと思っています。こうして仕事で文章も書けますしね(笑)。
 
時は流れ2022年11月。元号も平成から令和に変わりました。
若い社員と話すと「社会貢献したい」という言葉をよく耳にします。令和は「就職できるだけ有難い」の時代ではないのだなあと思い、新しい刺激と知識をアップデートできる喜びを感じています。
 
昔の話もありましたが、ここまで読んでいただき有難うございます。
こんな私ですが何か役に立てるかもしれませんので、社員の皆様や、これから入社するかもしれない皆様もよかったら話しかけてください。
自己実現、社会貢献、どんな思いがあっても前向きに一緒に考えていきたいなと思っております。また拙著でお会いしましょう。

株式会社アクシスウェア
アクシスウェアは、お客様の経営戦略・IT戦略の実現の為のコンサルティング/ITアーキテクトファームです。 情報システム及び業務アプリケーションのトータルコンサルティングと致しまして 人的リソース整備や教育ソリューションをご提供し、お客様の新しい価値創造をご支援しています。 多くのお客様より、ご信頼・お声かけいただけるよう日々邁進してまいります。

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