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衣食足りて礼節を知る

恥ずかしながら初めて知った言葉である。
物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。
常々思うことがあることだが、まさにそれを的確に表している。
こういうことわざみたいな言葉をたくさん知っている男はモテる。
必ずモテる。モテタイ!めで鯛!

自分を犠牲にしてまでも人のために頑張ってしまう人がいる。
ただそれが本当にその人のためなのか問われた時、それは否である。
受け取り手はその人の「頑張っている感」を即座に察知し、
幸せハッピーな気分にはならないはずなのだ。

自分のこともままならないのに、相手を思った行動はできない。
ワイはそう思う。

難しいのは、「不自由がなくなる」というジャッジは主観であることだ。
物質的であっても、精神的であっても、
「不自由がない状態」これは人によって違う。

そう言った意味で、「金を稼ぐ」ということは全く悪いことではない。
日本でこんなことを言うと、「金にがめつい」なんて言われそうなのだが、
「不自由ない金」の金額は人によって違うのだから、
それはただの個性なのである。

「一人の時間が欲しい」なんて輪を乱す様な発言。
これだって全く悪いことではない。
心を整えることで「不自由ない精神」を手に入れることができるとしたら、
それはその人にとって必要なことなのである。

とはいえ生きている中で自由にできることは少ないことも事実だ。
金を稼ごうと思っても思う様に稼げない。
一人になりたくてもそうさせてくれない環境がある。

世のため人のために自らの価値を役立てたいのであれば、
「不自由がなくなるための自分の作法」これは貫き通すべきではないかと思う。
それによって自らが良い状態となり、周りに良い影響を与えることができる。

わがままによってでも得た自由を独り占めしない限り、
大切な人達はそのわがままを受け入れてくれるはずなのだ。

なんてな!

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