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98 繰り延べられる町

 一方の端がどこにあるのかもわからない長大な城塞の、もう一方の端は今なお繰り延べられている。勅令を与えた当の皇帝はすでに世を去って久しいが、その履行者たる「町」の者は幾世代を経てなお建設を続けている。
 気の長いこの作業の終着点は、未だにその影も見えない遠方の山脈のふもとと言われており、また向こう岸も見えない大河のほとりとも言われており、また底が見えないほど深く刻まれた谷の端とも言われており、「町」の者にとってなかば伝説のように扱われている。

 工期に制限はないが年に一度、「町」の者の誰もその実在を知りえない「都」から派遣された官吏による視察を受け、これにより翌年の報酬が決定される。
 一年の労働の成果をお上に示すこの機会に、「町」は総出で官吏をもてなす。当然のことながら「町」の者は、自分たちの仕事のどういった点が評価され、したがって今後どういった点に留意して作業を行うべきなのかを毎年のように官吏に聞くのだが、あまりに毎年のように聞くものだから長い時のなかで幾度も繰り返され、今となっては形式ばった口調でお互いが同じ台詞を謡いあげる儀式と化している。
 作業の進捗はもちろんだが、その堅牢性、日干し煉瓦そのものの硬度、表面の凹凸から全体の美観にいたるまで、評価の軸は多岐にわたる――これらの旨が独特の節回しで朗々と官吏の口から発せられるのを、列席の者たちは神妙な面持ちで聴き入るのが常となる。

 報酬は現物支給であり、食料品のみを見ても稗、麦、米といった穀類や芋類のほか、酒、干肉、干魚、肉醤、魚醤、蘇、蜂蜜、棗椰子、干葡萄など多岐にわたる。年によってその量は上下するものの、報酬について「町」の者が不平不満を述べることはほとんどない。
「町」の者のあいだにおいて上下貴賤の別はなく、女子供はもとより怪我や老いにより働けない者に対しても所定の報酬が分配される強固な仕組みが出来上がっている。築城の対価としてのそれら報酬に頼らなければ容易には生きていかれないこの土地において、仲間同士の争いは退けられる地盤がある。
 一つずつ煉瓦をこね上げ、これを積み上げるという地道な仕事の性質から醸成された協同性および勤勉性も、共同体の恒常的な維持に与するところが大いにあると言えるだろう。

「町」の建物も城塞も、いずれも土と干し草を水でこねた日干し煉瓦で形作られており、材料に事欠くことはない。水は通常雨水を溜めたものを利用しており、枯渇した場合も地下水を利用できるよう簡単な風力揚水施設を備えている。
 当然のことながら、築城が進むほど建設現場は「町」から遠ざかってゆくこととなる。現場が遠ざかることは、そこへの行き帰りはもとより資材運搬等の面で不利となる。
 この問題を解消するのに、当初は定期的に「町」を移転させる方式をとっていたと言われるが、いつの頃からか「町」そのものを繰り延べる方式に転換した。城塞が日に一メートルの割で西に延びるのなら、それに合わせて「町」全体を日に一メートルの割で西に伸ばしていけばよいという話であり、こうして「町」は城塞とともに西走の歴史をたどることとなる。

 この地を舞う鷹どもの目に、「町」は地に描かれた幾筋もの線となって見えるだろう。
 この地を訪れた人々にとっては、東西へどこまでも伸びる日干し煉瓦の壁として認識されるだろう。それ自体が城塞と言うべき「町」だが、町としての機能を持つのは西の端のみとなる。
 必然的に、家屋はすべて西の端に出入口を持つ。
 そしてこれも必然的に、すべての家屋は西に延伸するにあたって互いに交差しないよう配置されている。出入口を構成する壁のみは木製であり、これは日々の家屋延伸作業に際して取り外しおよび取り付けを容易にするための工夫である。
 よって具体的な作業の内容は両側の壁と天井の三方を西へ向けて繰り延べるところにある。壁についてはそのまま煉瓦を積めばよい。天井についてはアーチを成しており技術の要る箇所ではあるが、補強を兼ねて家屋そのものに組み込まれている木枠を前方へスライドさせることでこれが支保工の役割を成すため、作業はより簡素かつ効率的なものとなっている。
 前記した揚水設備のみは一定間隔ごとに設営の必要があるものの、当地の帯水層は浅く掘削の手間はそれほどない。

 これらの風習は「町」の者の簡素で節度ある生活のうえに成り立っていると言える。
 日に一、二メートルの移転を強いられる生活において、家財を多く持つことは負担となる。衣裳が満載された箪笥も、皿やコップが満載された食器棚も、彼らには重荷でしかないのだ。
 ゆえにこう言うこともできる、これらの風習こそ「町」の者に簡素で節度ある生活を強いてきたのだ、と。
 前記したように、城塞はいまだ完成の気配を見せない。それでも「町」の者はどことも知れない終着点へ向けて、延々繰り延べられる城塞とともに、延々繰り延べられる町で、己の生を延々と繰り延べている。終わりが見えないというそのことが、「町」の者にとっては希望なのだと言ってよい。

 数百年にもわたるこの営みはその全体が文化的遺産として保護されており、その風習の維持管理を国際機関が担っている。
 勅令を発した当の国の系譜そのものが滅んで久しい今となっては、査察に訪れる官吏の役は当該機関で十分教育された専門職員が担うことになっている。真実を伝えるべきとの声も多く聞かれるものの、真実を伝えるべきでないとの声も同様に多く聞かれる。

 少なくとも言えるのは、「町」の者皆がその暮らしに満足しているということである。

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