祖母が亡くなって最期の迎え方を考えた①

初七日が過ぎ、落ち着きを取り戻してきたのでnoteに書いてみようと思う。

私の祖母の最後は自宅であったと思っている。というのも祖母の容態が優れなかったで一応119番をしてみたのだ。救急隊が玄関の三和土に到着した瞬間に彼女の息が止まり、その場で心肺蘇生へ。だが、結局息は戻らなかった。その後搬送先の病院でCTの検査が行われた。間質性肺炎を患っていたこともあり、急性ウイルス性肺炎を起こしたことが原因とされた。仮に搬送に間に合っても人工呼吸器による処置のほかなかっなという。

最後の3日間

後に聞いたのだが、亡くなる2日前に突然転んだのだ。テレビをつけようと椅子から立ち上がり、テレビの前で転んだそうだ。ゆっくりではあるが歩行に問題はない人だったので、少し違和感があった。この時点で気がつくことが出来たのかもしれない。

亡くなる前夜、夕食を知らせに部屋に行くと床に倒れている祖母を発見。意識はあったので急いでベッドに運び体を温めた。正直どのくらい倒れていたのか分からない。暖房の無いこの12月の寒さの中。普通ならここで救急車を呼ぶのだろうか。当時の私はその判断に至らなかった。何故だろう…。祖母に付き添い様子を伺っていた。そして5時間後、いつもの祖母に回復していた。会話もできて容態を伺うことが出来た。本人は大丈夫だと言い、これで一安心と思った。心配なので寝る前のトイレに同行しようとした。祖母はベッドから起き上がった時には目眩がすると言ったが暫くして収まったようで、自分もよくなる類いのものだと思った。しかし、立って歩くことが出来なかった。転んだ際に片脚にひびが入ってしまっていたのだ。(これも後に知る。)最終的にキャスター付きの椅子に乗せて運んだ。立つときと座るときの補助以外は自分でこなした。そして、その日は終わった。

続く…