「鷹のおでまし-鷹狩の美術-」展(-2024.11.24)・埼玉県立歴史と民俗の博物館
閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。
本記事は、2024年10月12日から11月24日まで埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市大宮区)にて絶賛開催中の「鷹のおでまし-鷹狩の美術-」展について、弊方による雑な飛報とご理解頂けますと幸甚です。
ということで、埼玉県立歴史と民俗の博物館ウェブサイトの本展ページに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
弊方、埼玉県立歴史と民俗の博物館にお伺いするのは初めてでした。弊方関西在住ですので、関西から埼玉県立歴史と民俗の博物館にお伺いする経路を、雑な備忘録として簡単に記録させて頂きますと、新幹線で東京駅まで出て、関西の田舎もんには微妙に理解できないナゾの路線、上野東京ラインで大宮駅まで出て、大宮駅からは、東武アーバンパークラインで大宮公園駅で下車して、ゆっくり歩いて7分くらいでした。
ということで、まずは大宮公園駅前にある、埼玉県立歴史と民俗の博物館のご案内を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。
このご案内では、大宮公園駅から埼玉県立歴史と民俗の博物館まで約5分となっておりますね。実際、弊方は周囲を確認しながら、かなりゆっくり歩いていましたので、5分もあれば徒歩で十分到着すると思います。
再び、ということで、埼玉県立歴史と民俗の博物館の入口前に掲示されていた本展「鷹のおでまし」の看板の雑な写真を掲載させて頂きます。
埼玉県といえば、そう! あの可憐にしてステキなお方!! 我が親愛なるバーチャル埼玉県民略して「バッ埼」の同志諸君らが崇め奉る、愛と萌えと埼玉の女神!!! 「令和のデジタル居初つな」!!! 偉大なるVTuber 春日部つくし先生の地元です。愛称は「つっく」でいらっしゃいますが、弊方は敢えて春日部つくし先生とお呼びさせて頂きたいと思います。
ということで、偉大なる春日部つくし先生の YouTube チャンネルに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。先日のご生誕祭、影ながら祝意を表させて頂きました。
なお、「令和のデジタル居初つな」というのは、弊方が勝手に一方的に無許可に春日部つくし先生に奉っている「迷惑名誉称号」です。居初つな先生については、下記の弊方の過去の投稿記事にリンクを張らせて頂きますのでご参照頂けますと幸甚です。
さて、本展「鷹のおでまし」展は、偉大にして可憐なる春日部つくし先生とは全く関係がございません。たいへん失礼いたしました。
弊方、本年4月初旬に埼玉県立歴史と民俗の博物館の「今年度の特別展・企画展等」の予定が公表されて、本展「鷹のおでまし」展が開催されることが明らかとなって、これはもぉ、ぜったいお伺いさせてもらわなあきまへんですわ! というくらいに楽しみにさせて頂いておりました。
「鷹画」といえば曾我派、曾我派といえば、我らが偉大なる曾我蕭白師匠!!!
必ずしも曾我蕭白師匠に限らないのですが、画人としては、曾我派だけでなく、敦賀の鷹絵師・橋本長兵衛先生など、鷹を主題とした作品を描かれる近世の画人はけっこういらっしゃるようで、また、いろんな展覧会/企画展で鷹を主題とする作品を拝見することが間々ありましたので、強い興味をもって安直にインターネットを検索したところ、学術的な研究成果に関しては、けっこう検出されました。
個別の論文ではなく、包括的な研究成果の代表的なものとしては、下記の「鷹・鷹場・環境研究会」ウェブサイトと、科研費の研究課題「武家社会における「画鷹」の受容と展開 2014年度 実施状況報告書」のページが挙げられるかと思います。
しかしながら、弊方のような一般人向けに「鷹画」をわかりやすく解説した文献等がなく、そういう意味で本展「鷹のおでまし」展はたいへん貴重な特別展ではないか、と弊方考えている次第です。
ちなみに本展「鷹のおでまし」展図録には、上記の科研費の研究課題の研究代表者でいらした、水野裕史先生の論文「鷹の美術と武家」が掲載されております(同展図録第116-121ページ)ので、本展「鷹のおでまし」展は学術的にもスゴいんとちゃうかなぁ、と弊方妄想しております。
本展のざっくりとした構成を簡単に紹介させて頂こうと思います。
埼玉県立歴史と民俗の博物館の入口から中に入るとロビーとなっており、正面左側にチケット売り場があり、そこでチケットを購入させて頂いて、そのまままっすぐ行って右手に入ると常設展になりますが、左に曲がると、「季節展示室」という展示室があり、ここからが本展「鷹のおでまし」展でした。「季節展示室」につながる本展入口の雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。
「季節展示室」は「プロローグ」ということで、オオタカなどの剥製や、鷹狩りの「獲物」となるコサギやコガモの剥製が展示されておりました。写真撮影可でしたので、僭越ながら雑な写真を掲載させて頂きます。
「季節展示室」を進むと大きな「特別展示室」となっており、この「特別展示室」をぐるっと周回するように、「第1章 鷹と武家」、「第2章 鷹狩」、「第3章 鷹の姿」、「エピローグ」となっておりました。第1章の前半は、文献や書状などの歴史的資料の展示でしたが、現在の埼玉県東部にあたる地域は、江戸時代には幕府や徳川御三家の「鷹場」すなわち「鷹狩」のための領域となっていたそうです。
第1章の後半では、鷹画作品が展示されておりました。飛報ですので細かいヲタトークは避けさせて頂きますが、埼玉県立歴史と民俗の博物館蔵の「架鷹図屏風」(資料No. 25)や関東地区のミュージアム所蔵の「鷹画」が展示されておりました。ここでは「架鷹図」または「野生の鷹」を描いた作品が展示されておりました。
なお、「架鷹図」については、本展「鷹のおでまし」展ページに、非常に簡潔でわかりやすい説明がありました。僭越ながら下記に再録させて頂きます。
次に、第2章では、いや第1章の最後? の作品、資料No. 29 長井実直筆「鷹図」からですが、上記の「鷙鳥図」が連続4作(資料No. 30「後陽成院鷹攫雉之御絵宸画」、資料No. 31 狩野惟信筆「雪中鷹捉搦鶴図」、資料No. 32 荒川晴海筆「鷙鳥図」、資料No. 33 小野田直武筆「蒼鷹搏禽図」)のオンパレードでした。
これら「鷙鳥図」を拝見して、弊方ヲタク的に妄想したところを雑に申し上げさせて頂きますと、まだ本記事の投稿時点で京都文化博物館にて絶賛開催中の「生誕140年記念 石崎光瑤」展で展示されていた額装作品の「襲」(作品番号63)を思い出しました。
なお、「生誕140年記念 石崎光瑤」展については、弊方の雑な飛報を投稿させて頂いておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
本展「鷹のおでまし」展で展示されていた「鷙鳥図」はいずれも、鷹さんが「獲物」である他の鳥さんたちを仕留めて、「獲物」の鳥さんたちが苦しんでいるところが描かれているという、ある種「残酷」な描写がなされている作品群でした。
一方、石崎光瑤先生の「襲」は、白鷹さんが鷺さんや他の鳥さん(鴨さん?)たちに、まさに襲いかかっている様子で、特に鷺さんは、人のようなあからさまな恐怖の表情を示しているという描写でした。
弊方も「鷙鳥図」は限られた数しか拝見したことがないのですが、ぼんやりした印象では、本展「鷹のおでまし」展で展示されている作品群のように、今まさに鷹さんが「獲物」の鳥さんを捉えて、「獲物」の鳥さんが苦しんでいる印象を持っておりました。そういう意味では、石崎光瑤先生の「襲」は、「鷙鳥図」としてはかなり「異質」な作品ではないか、と思っておりました。
しかしながら、先ほどの「生誕140年 石崎光瑤」展の記事の中で僭越ながらリンクを張らせて頂いた、文化遺産オンラインの「鷙鳥図屏風」、あるいは、彦根城博物館の井伊家伝来の「鷙鳥図」屏風も、追われる鶴さんが恐怖の表情を示す描写がなされておりました。
さらに本展「鷹のおでまし」展の第2章において、これら「鷙鳥図」の後に展示されていた「鷹狩図」の屏風作品にも、同様に追われる鳥さんたちが恐怖の表情を示しているように見える描写が見られました。
そうすると、こういった「追われる者の恐怖」を描写する「鷙鳥図」はけっこう存在するのではないかな、と思ったのですが、微妙に気になったのが、そのどアップぶりでした。
追われる「獲物」の鳥さんたちが恐怖の様子を示す作品群はいずれも屏風作品で、その恐怖のありさまのみが作品の主題となっている感じではないというのが弊方の印象でした。一方、捕えられた「獲物」の鳥さんたちが苦しんでいる様子を示す作品群は、いずれも捕えられた時点を主題とするという点で共通していました。
ここで、弊方、追われる「獲物」となる“可能性のある”鳥さんが恐怖の表情を示すことのみを主題とする「鷙鳥図」として思い出したのが、曾我蕭白師匠の「波濤鷹鶴屏風」です。
この蕭白師匠の「波濤鷹鶴屏風」を改めて拝見すると、追われる「獲物」となる“可能性のある”(「獲物」になって捉えられるかはまだわからない)鳥さんが恐怖の表情を示しており、この点のみが作品の主題になっているという点で、何やら石崎光瑤先生の「襲」にかなり似ているのではないか、という印象を持った次第です。
石崎光瑤先生は古画をたいへん研究されていたそうで、伊藤若冲先生の「仙人掌群鶏図襖」を「発見」されていることもあり、曾我蕭白師匠の「波濤鷹鶴屏風」も、もしかしたら拝見されていたのではないか、というのが弊方の妄想です。
少々悩みましたが、敢えて「生誕140年 石崎光瑤」展の図録と、2005年に京都国立博物館にて開催された伝説の蕭白師匠の特別展覧会「曾我蕭白 無頼という愉悦」キャッチコピーが「円山応挙がなんぼのもんぢゃ!」展図録から、「襲」と「波濤鷹鶴図屏風」を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、引用の範疇に入ると判断して僭越ながら掲載させて頂きます。
ちなみに京都文化博物館の「生誕140年記念 石崎光瑤」展は、ギャラリートークをねらって2回目を拝覧させて頂くことに成功したのですが、改めて「襲」を拝見すると、多くのシミや裏打ちからの剥離などが確認でき、他の作品と比べても明らかに「状態が悪い」ものでした。
ギャラリートークにおいて、「生誕140年記念 石崎光瑤」展のキュレーターをお務めになられた京都文化博物館学芸員の先生がおっしゃっておられたところによれば、石崎光瑤先生の作品の多くは「状態の良い」ものが多いみたいなのですが、作品番号66「聚芳」には一部に剥離が確認されるそうで、めずらしくいまいち「状態のよろしくない」作品として紹介されておりました。実際、弊方が単眼鏡で「聚芳」を拝見させて頂いた限りでは、牡丹の花びらのごく一部に剥離が確認できました。
この「聚芳」と比較しても「襲」の「状態の悪さ」は突出していたように思います。
そうすると、「襲」は「戦争画」であったからこそ、日本画作品にとってはたいへんよろしくない状況に置かれており、近年になって「再発見」されたのではないか、と弊方のヲタク的妄想が炸裂している次第です。
それはさておき、本展「鷹のおでまし」展の第2章では、「鷙鳥図」や「鷹狩図」だけでなく、鷹狩りに因んだ浮世絵や文献資料、鷹狩に用いられた道具類も展示されており、たいへん激萌えでした。
個人的に驚いたのは、我らが偉大なる河鍋暁斎師匠が「河鍋洞郁」時代に版下絵を描かれた『絵本鷹かがみ』(資料No. 57)という版本が存在したということを存じ上げたことでした。弊方の安直なインターネットの検索によれば、この『絵本鷹かがみ』(絵本鷹かゝみ)は、鷹狩関係の分野ではかなり有名な文献のようでした。いやぁ~、ほんまに知らんかったですわ!!!
他にも「実は三十一項目しかない」(同展解説より)鷹狩の秘伝書『鷹之秘伝(写本)』(資料No. 53)や、「兵法書に掲載された鷹」(同展解説より)がまるで怪獣図鑑のように注釈されている『『武用弁略』巻之八』(資料No. 54)、あるいは、「おいしそう・・・」(同展解説より)な感じの『万宝秘密箱』(資料No. 66)など、資料的にもめっちゃおもしろそうな激萌え文献が紹介されておりました。
そして第3章ですが、再び鷹を主題とした絵画作品群が展示されていたのですが、なんと写真撮影可の作品が多くありました。ということで、僭越ながらかなり写真を撮影させて頂きました。まずは写真撮影可のご案内を、僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。
次に、めっちゃピンボケしておりますが、資料No. 72の「鳥小屋図屏風」です。スマートフォン略すとなぜかスマホで撮影すると、きれいにシャープに撮影できているのですが、敢えて弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真の方を掲載させて頂きます。
写真の左上に、鷹さんが、ひょっこりはん! みたいにいらっしゃるのをおわかり頂けますでしょうか?! 本展、こういった愛らしい展示がたくさんあって、この点でも激萌えでした。
解説によりますと、江戸時代には「花鳥茶屋」というのが流行したそうで、この「花鳥茶屋」で展示されていた鳥小屋を描いたものだと考えられるそうです。弊方「花鳥茶屋」という存在を全く存じ上げておりませんでしたので、たいへん学ばせて頂き激萌えでした。
次に、こちらもやはりピンボケしておりますが、資料No. 75の長谷川等意筆「狗鷹図」です。ちなみに弊方がお伺いしたのは前期展なのですが、後期展でも同様の画題で同じく長谷川等意先生が描かれた「狗鷹図」(資料No. 76)が展示されているそうです。
こちらの作品解説によると、鷹さんは曾我派に倣っているそうなのですが、鷹さんと洋犬さんとの組み合わせはそれほど意外なものではないみたいです。
そうすると、弊方のヲタク的妄想が再び炸裂することになりました。
改めて少々悩みましたが、1998年に千葉市美術館と三重県立美術館にて開催された「江戸の鬼才 曾我蕭白展」図録から、蕭白師匠の有名な作品「洋犬図」を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、引用の範疇に入ると判断して僭越ながら掲載させて頂きます。
めっちゃテカってて申し訳ありませんが、蕭白師匠の作品のだいたいの雰囲気はおわかり頂けるかと思います。
蕭白師匠の作品は、「画題は定番、画風が奇天烈」みたいな感じで、その作風は現代に十分通用するほど斬新であるにもかかわらず、円山応挙先生や伊藤若冲先生と比べると、その画題はめちゃくちゃベタな定番で、コテコテの狩野派のような典型的な粉本主義のごとく、明らかな画題の元ネタが存在することがわかっている作品が多いらしいです。
言い換えれば、蕭白師匠の作品は、当時の受容者のみなさんが拝見すると、ド定番で一見してわかる画題なのに、誰も見たことがないような斬新な作品を描いていたといいえるのかもしれないと弊方考えております。
そうすると、上記の蕭白師匠の「洋犬図」も、長谷川派の作品を「粉本」として描かれた、蕭白師匠お得意の「鷹図」とのセットだったのかもしれないと、弊方激萌えしながら妄想しております。
最後? になるのですが、近世ではなく近代に描かれた「鷙鳥図」として、偉大なる近代「日本画」の巨匠、橋本雅邦先生筆の「鷹捕白鷺図」(資料No. 78)が展示されており、撮影可でしたので、僭越ながら雑なピンボケ写真を掲載させて頂きます。
この作品、「鷙鳥図」としては、光瑤先生の「襲」や蕭白師匠の「波濤鷹鶴屏風」に類似しているのですが、追われる白鷺さんは恐怖の表情を示しておりません。
弊方、この作品からは、白鷺さんを含め鳥さんが人間のような表情を示すことはない、というある種の「リアリズム」を感じているのですが、そうすると、雅邦先生のこの作品よりもずっと後に制作された、光瑤先生の「襲」は、「リアリズム」からかけ離れた異質な感じがしており、それゆえに光瑤先生の「襲」は、やはり「戦争画」であろうと思われるとともに、蕭白師匠の作品ではないかもしれませんが、先行する古画の作品が参考にされたのではないでっしゃろか?! というのが、いちヲタクの妄想になります。
最後のエピローグは、鷹狩の文化が近現代にもつながることがわかる素晴らしい展示でしたが、ここでは敢えて割愛させて頂きます。ちなみに10月27日には「放鷹実演 鷹匠のおでまし」という、現役バリバリの「岩槻鷹匠会」の鷹匠の先生による実演があったそうなのですが、弊方ぜひ拝見してみたかったですわ~
こんな感じで、本展「鷹のおでまし」展は、絵画作品をベースとする博物学的な展覧会/企画展でしたが、弊方としては妄想も膨らみまくる激萌え展覧会でした。
ここからは余談ですが、その後、埼玉県立歴史と民俗の博物館の常設展も拝見させて頂いたのですが、常設展示室の第4室において思いがけない作品を拝見することができました。
それは、かの偉大なる「奇想の画家」のおひとり、岩佐又兵衛先生による、埼玉県川越市に所在の仙波東照宮に所蔵される「三十六歌仙額」です! ちなみに日本国の重要文化財の模様です。三十六歌仙全てが展示されていたわけではありませんが、たいへん素晴らしかったです。
しかも、この第4展示室には、かの偉大なる呉春先生の激萌え名作「三十六歌仙図巻」の横山清暉先生の模本も展示されておりました! おぉ、さすが偉大なる横山清暉先生!!
ちなみに「三十六歌仙図巻」のオリジナルは、本記事の投稿時点でも大和文華館にて絶賛開催中の特別展「呉春-画を究め、芸に遊ぶ-」展でも「三十六歌仙偃息図巻」(リスト番号38)として絶賛展示中です!!! 僭越ながら弊方の最近の飛報にリンクさせて頂きます。
さらにさらに、地下1階に下りて常設展示室の第8室において、なんと! あの!! 王欽古先生の「見沼代用水重要構造(四)」が展示されておりました!!! 写真撮影可でしたので、遠慮なく写真撮影させて頂きました。僭越ながら雑なピンボケ写真を掲載させて頂きます。
え?! なんですと?! 王欽古先生をご存知ない?! そうですか???
それでは僭越ながら、栃木県佐野市立吉澤記念美術館にて2022年に開催された特別企画展「王欽古-京から来て、佐野に住んだ南画家」展のアーカイブが吉澤記念美術館ウェブサイトに残っておりましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。
弊方ぎりぎりでしたが、こちらの「王欽古」展にお伺いすることができまして、本作品「見沼代用水重要構造(四)」も拝見させて頂いており、たいへん激萌えさせて頂きました。
いやぁ、さすがは偉大なる春日部つくし先生の地元、埼玉県でその名を轟かせる埼玉県立歴史と民俗の博物館! 特別展も常設展もシビれまくる超絶激萌え展覧会でした!! 関西から高額の交通費をかけて1日かけてお伺いさせて頂いた甲斐があったというものです。
このとおり、本記事は飛報ですので、弊方の雑で一方的で個人的な「推し」を簡単に短く紹介させて頂きました・・・
ぜんぜん短くないやないかーい!!!
セルフつっこみ申し訳ございません。いつもの通常運転の長文自己満足ヲタトークとぜんぜん変わらへん長さになってしまいました。
改めまして長くなりましてたいへん申し訳りませんでした。
以上、めちゃくちゃ長くなりましたが閲覧頂きありがとうございました。