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彦根城博物館「青根九江」展(-2024.7.23)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

仲夏の過日、滋賀県彦根市の彦根城博物館において、現時点で絶賛開催中の企画展「青根九江-京で花開いた彦根の文人画家-」展を拝覧して参りました。会期は、本年2024年6月21日から7月23日までとなっております。約1月くらいですね。

青根九江? 誰? 知らん?! 萌える!!! という、弊方独自のナゾの「ヲタク三段論法」(論法ではありませんが)ということで、たいそう興味を持って本展にお伺いした、と言いたいところですが、弊方、青根九江先生のご尊名だけは存じ上げておりました。

なにゆえかと申し上げますと、偉大なるサンライズ出版が2020年に発行された、近江の国の画人について包括的にまとめた書籍である『近江の画人 海北友松から小倉遊亀まで』において、第32-33ページにおいて青根九江先生が紹介されていたためです。サンライズ出版さまのウェブサイトにおける同書のページに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

これまで何度か引用させて頂いているのですが、公式ページをご紹介しておりませんでした。弊方私見ですが、こういった地域の画人をまとめて専門的ながらわかりやすく紹介する書籍を、弊方ほとんどお見かけしたことがありません。

この『近江の画人』は、石丸正運先生のご編集であり、各画人の先生方の解説をご担当されたのは、井上ひろ美先生、大原由佳子先生、國賀由美子先生、高木文恵先生、森岡榮一先生、山口真由香先生です。

同書における青根九江先生の解説は、彦根城博物館の学芸員でいらっしゃる高木文恵先生がご担当されており、本展「青根九江」展のキュレーター(curator)もお務めになっておられます。

ということで、彦根城博物館のウェブサイトにも、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

なお、先日投稿させて頂きました下記の記事で紹介させて頂きました、滋賀県長浜市虎姫の虎姫時遊館にて開催されておりました「近江の画人展」展のパートI(2023年開催)でも青根九江先生の作品が展示されておりましたので、そういう意味でも弊方、九江先生のお名前だけは存じ上げておりました。

彦根城博物館には、これまで何度もお伺いしております。その名の通り、彦根城の中にある博物館です。

彦根城は、JR彦根駅の西出口を出て、駅前に鎮座する、鳩のマークの平和堂・アルプラザ彦根の横を通って、まっすぐ進むと、途中に彦根市役所が右手にありますが、そこも通り過ぎてさらにまっすぐ進むと、滋賀縣護国神社前でどんつき(T字路)になっており、そこを左手に進んで、すぐに土産物屋さんがあるので、そこを右手に曲がると、左手に外堀が見え、右手にバスも駐車可能な駐車場が見え、外堀に沿って「いろは松」という松並木があって、さらにそこを進むと、その左右に「多聞櫓」がある「佐和口」というお城の入口があり、そのまま進むと内堀でどんつき(T字路)になっており、左側に曲がると右手が内堀で左手に馬屋が見え、少し進むと「表門橋」があり、この橋を渡ると、天守閣と彦根城博物館の入口になります。

経路説明が長いですね。飛ばし読みして頂ければと思います。

なお、「表門橋」のたもとには、彦根藩第三代藩主であらせられる偉大なる井伊直孝侯、ではなく、そのコスプレをなされた飛び出し坊やのとび太くんがいらっしゃいました。僭越ながら、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

おぉ、さすがの滋賀県! いたるところで隙あらば飛び出し坊や! という感じですね。

さて、「表門橋」を渡って少しのところの広場があり、その左手側に券売所があり、そのすぐ横に天守閣入口があり、広場の正面くらいのところに彦根城博物館の玄関があり、広場の右手に「冠木門」という、普段は閉じているナゾの門があります。

券売所では、彦根城の天守閣と庭園・玄宮園の入場券と、彦根城博物館の観覧券とをそれぞれ別で販売されておりますが、全部まとめたセット券も販売されております。弊方は、彦根城や玄宮園は何度かお伺いしているので、彦根城博物館のみの観覧券を購入しました。

「表門橋」を渡ってすぐのところ(広場の手前)で、本展「青根九江」展の立て看板にお出迎えして頂きました。ということで、僭越ながら、こちらも弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影いたしましたので、その雑な写真を掲載させて頂きます。

彦根城博物館は土足厳禁で、玄関で履物を脱いで入館するのですが、例えば、京都市今出川の同志社大学のお隣さんの相国寺に所在する承天閣美術館のように、下足箱に履物を預けるのではなく、ビニール袋に履物を入れて持ち込むという、ナゾのステキなシステムが採用されております。

玄関の右手に進むとホワイエというかロビーになっており、その奥の左手に、受付兼ミュージアムショップがあります。受付横の入口から有料ゾーンとなり、入口から右に曲がると、すぐに企画展示室(展示室1)があります。

彦根城博物館は、基本的には写真撮影可ですが、企画展示室内は撮影禁止となっております。ということで、企画展示室の中ではなく企画展示室の外の本展案内を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂きましたので、その雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

弊方がお伺いした日は、たまたまギャラリートークが開催される日でした。というか、この日に限っては、弊方としては珍しく、ギャラリートークを狙ってお伺いいたしました。

なぜかといいますと、青根九江先生に関する情報が非常に少ないため、ギャラリートークで何か未知のステキ情報がゲットできるかも♡♡♡ みたいな期待のためです。他にも理由があるのですが、ここでは差し控えさせて頂きます。

まずは、作品をがっつり拝覧させて頂いてから、ギャラリートークを拝聴させて頂こうということで、ギャラリートークの1時間半くらい前に彦根城博物館に入館させて頂きました。なお、ギャラリートークのご担当は、本展キュレーターの高木文恵先生でした。

高木先生によれば、現時点で確認されている青根九江先生の作品は非常に少ないとのことでした。企画展示室(展示室1)はそれほど大きな展示室ではないのですが、この企画展示室を何とか埋められるだけの作品がなかなか見いだせなかったそうです。

彦根城博物館で彦根市内の旧家を調査されたときにも、青根九江先生の作品は滅多に見ないとのことでした。

ところが、近年の調査でたまたまお伺いした旧家が、なんと青根九江先生の「パトロン」(支援者、後援者)であり、まとまった数の作品が見出されたということで、本展「青根九江」展の開催に漕ぎ着けることができたとのことでした。

弊方の過去の投稿のうち、例えば、下記の和歌山市立博物館の企画展「花鳥風月-めぐる四季と花鳥-」展に関しても少し触れさせて頂いているかと思いますが、やはり市町村という基礎自治体が運営されるミュージアムでは、地元のお寺や旧家などを地道に調査されている模様ですね。

青根九江先生は、彦根城下のお茶を扱われる富商のお家にお生れになって、分家されて商いをされていたらしいのですが、幼いころから絵を描くことを好まれたそうで、当初はご両親も反対されていたそうですが、最終的にはご両親も理解を示されて、九江先生は山本梅逸先生の門人となって絵を学ばれたそうです。ただし、その時期は明らかではなく、不明点も多いそうです。

山本梅逸先生ですが、中林竹洞先生と並び称された尾張南画界の巨匠として知られる、偉大なる画人です。

インターネットを安直に検索したところ、愛知県一宮市の一宮市博物館にて2021年に特集展示「山本梅逸 花鳥の美」という、山本梅逸先生の小企画展が開催されており、そのアーカイブが残っておりました。

ここで紹介されている山本梅逸先生のプロファイルがたいへんわかりやすいかと思いますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。ちなみに、この特集展示、弊方は全く存じ上げておらず、拝覧できておりませんでした。

なお、一宮市博物館に関しては、弊方の下記の投稿記事でも紹介させて頂いております。この記事の中でも山本梅逸先生について触れさせて頂いております。

ちなみに、尾張画壇でも京都画壇でも巨匠として名が残る山本梅逸先生なのですが、なぜか展覧会/企画展の開催をほとんど確認することができておりません。そういう意味では、先ほどの一宮市博物館の「山本梅逸 家長の美」は貴重な企画展(特集展示)だったように思います。う~~~ん、残念!!! ぜひ拝覧したかった!!!

弊方が確認できた梅逸先生の展覧会/企画展は、1998年に名古屋市博物館で開催された「特別展 南画家 山本梅逸 華麗なる花鳥・山水の風雅」展くらいでした。この特別展の図録は、本展「青根九江」展の図録においても、主要参考文献のうち文献9として挙げられております。

弊方、この特別展はもちろん拝覧できておりませんが、古書で図録をゲットしておりますので、僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

なお、弊方が確認した限りですが、この「特別展 南画家 山本梅逸」展図録には、青根九江先生については全く触れられておりませんでした。

例えば、「特別展 南画家 山本梅逸」展図録の第57-59ページに掲載される「山本梅逸の生涯」という小論文(コラム? 執筆者の先生については明記がありませんでした)にも、第65-66ページに掲載される「関連人物略伝」にんも、おそらく梅逸先生の高足でいらっしゃると思わられる青根九江先生は含まれておりませんでした。

言い換えれば、それくらい、青根九江先生については情報が少ないということだと、弊方解釈いたしております。

ギャラリートークにおいて高木先生がご指摘されるところでは、青根九江先生の作品には制作時期が明記されるものがほとんどないそうで、今回の展示作品の中では、展示作品リストの資料番号27「諸家 「天籟雅帖」」の中に掲載されている「花鳥図」のみが制作年代が明らかであったそうです(天保11年(1840))。それゆえ、この作品は、青根九江先生の「基準作」となりうる作品とのことでした。画帖の制作時期が明らかなので、九江先生の作品の制作時期が特定できるのだと思います。

ところで、本展のタイトルでも「彦根の文人画家」とされているように、青根九江先生の作品のジャンルは「文人画」になるそうです。

この「文人画」というジャンルというかカテゴリーというかなのですが、非常によく使われるターム(term)なのですが、かなり説明し難いように思います。今回のギャラリートークでも、弊方ら一般人に対して「文人画」をわかりやすく説明することは、専門家であっても難しそうに見受けられました。

九江先生は、「文人画」の中でも、特に「花鳥画」すなわち、鳥さんとお花を主役とする画題の作品を得意とされていたそうです。

「文人画」には、他にも「山水画」すなわち、風景画っぽい画題も主流なのですが、高木先生によれば、青根九江先生の作品には「山水画」の作品はめっちゃ少ないそうです。梅逸先生は、「山水画」も「花鳥画」もバランスよく描かれていたっぽいですが、九江先生は「花鳥画」シフトされていたのかもしれません。

そうとはいっても、本展では、数少ない九江先生の「山水画」も展示されておりました。資料番号18,19,20で、いずれも「山水図」の名称でした。おぉぉぉ、 スゲー!!!

基本的に「文人画」は中国の影響を強く受けているジャンルのようなのですが、江戸時代後期頃であれば(明治に入っても戦前くらいまでは)、「明清画」(中国の明代および清代の絵画)は、日本の文化人にとっては憧憬の対象であり、羨望の対象であり、書画の基準でもあったみたいな位置づけのようです。

そういうこともあり、青根九江先生は(も?)「明清画」をすごく研究されていたそうで、「明清画」の作品を購入するために、いろいろお金を借りておられたようです。例えば、資料番号28の「青根九江書状 奥野武右衛門宛」(個人蔵で滋賀大学経済学部付属史料館寄託)では、九江先生が「かねてより画風を一変したく、拠り所になるような作品をさがしておりました」(「青根九江」展図録「文人画家・青根九江 ~その画業と生涯~」高木文恵より、第38ページ下段第17-18行)ということで、売りに出された明清画の画帖を購入するために、「パトロン」である奥野武右衛門さまに二十両貸してください~、みたいな内容のことが書かれているそうです。

「明清画」では、「花鳥画」において、鳥さんやお花だけでなく、虫さんを描かれてる作例がかなり多いようで、青根九江先生の「花鳥画」作品にも、虫さんがたくさん描かれていました。そういえば、「文人画家」の伊藤若冲先生も虫さんお好きな感じで、よく描かれている感じですね。

本展では、例えば、資料番号6の「花鳥画」(個人蔵)は、画面向かって右の下半分くらいに大きな太湖石(?)があって、そのまわりに草花が繁っているのですが、これに対向するように、画面向かって左上に梅(?)の枝に止まった黄色い翼の鳥さんが画面右下を見ており、その視線の先には、イネ科植物の細長い葉の上に止まったトンボさんがおられる様子がすごく印象的な作品でした。

ところが、よく拝見すると、太湖石から見て画面右下には、瑠璃色っぽい羽根の2頭(2羽)の小さな蝶さんが細やかにも楽しげに舞っておられて、その上の土坡にはバッタさんが居られ、太湖石から見て画面左側にさりげなく垂れるイネ科植物の葉の上にもバッタさんがおられ、さらには太湖石から見て画面左下に小さな太湖石(?)があり、この小さな太湖石から伸びる立派なイネ科植物の葉の上には、擬態しているかのようにカマキリさんが「かかってくる?」みたいな、ほんのり威嚇しているような姿で描かれておりました。

よく探せば他にも虫さんがおられるかもしれません。若冲先生の代表作(例えば動植綵絵や糸瓜群虫図、菜蟲譜など)では、虫さんたちは主役っぽい感じで描かれているという一方的な印象を弊方持っているのですが。青根九江先生の作品では、虫さんたちは「花鳥画」の「名脇役」みたいな描かれ方だと弊方思いました。

ちなみにこの作品「花鳥画」の部分が、同展図録の表紙に採用されておりました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

他に印象深かったのは、資料番号11の「月に秋草図」でした。

掛軸作品であるものの上下が巻かれて本紙とその周辺のみ展示されていたのですが、画面真ん中右寄りに三日月(厳密には、欠けていく方の二十六夜月?)がおそらく外隈で描かれ、画面左下から画面中央に向かってススキが伸びており、他にも秋草が描かれている感じでした。

弊方が拝見している限りでは、風情ありまんなぁ~、おっさん激萌え! くらいの印象だったのですが、専門家のお立場では、この作品はコテコテの和風画題ということで、九江先生の作品としてはかなり異例な感じっぽく、たいへんな驚きであったそうです。

青根九江先生は、結構たくさんのお弟子さんがおられたらしいのですが(「青根九江」展図録「文人画家・青根九江 ~その画業と生涯~」より)、その詳細は不明だそうです。こういう点でも情報が少ないのですね。逆に、有名なお弟子さんがおられなかったから、師匠である九江先生の情報が後世に伝えられにくかったこともあるのかもしれません。

九江先生の弟子としては、少なくとも和泉国高槻藩領にお二人、新潟にお一人おられたそうで、「パトロン」の奥野武右衛門さまも、厳密な意味では弟子とはいえないものの九江先生に絵を教授を受けておられたようです。

そのなかで、お弟子さんとしてほぼ間違いなさそうなのが、青根竹泉先生とのことで、作品が1点展示されておりました。資料番号33の「遠浦帰帆に五香之図」です。

こんな感じで、がっつり作品を拝覧させて頂き、ギャラリートークを楽しませて頂きましたので、その後、ゆっくりコレクション展を拝覧して、図録を購入させて頂いて、同館を出ました。

ご参考までに、彦根城博物館の玄関を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。入館時の写真ですが。

彦根城博物館の玄関を出ると向かって左側に、先ほど前振りしたナゾの「冠木」門が位置するのですが、何と驚くべきことに、先ほどは閉じていたナゾの「冠木門」が開いていたのです!

そこで、冠木門の中に入ってみると、何と!、あの!、伝説の!、レジェンドの!、ゆるキャラワールドの偉大なるエンペラー!! ひこにゃんがいらっしゃったのです!!!

実は、本日のひこにゃん登場スケジュールとして、予告されておりましたので存じ上げておったのですが、おっさんらしく、わざとらしく、大げさに驚かせて頂きたいと思います。

ということで、偉大なるひこにゃんを、僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

あいかわらず、ひこにゃん、愛らしいですね。

以前お見かけしたときは、ひこにゃん、ほにゃほにゃされて撮影されている受け身状態でしたが、最近はひこにゃんジャンケンというゲームをされているようですね。存じ上げませんでした。

写真ではひこにゃんだけトリミングしましたが、多くの方々がひこにゃんに激萌えされていて、楽しそうにジャンケンに参加されておりました。

偉大なるひこにゃんに関しては、いろいろヲタトークしたいところですが、相変わらず長くなっているので、これで締めさせて頂きたいと思います。

最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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