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一宮市博物館「尾張の文人画」展

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

さて、2023年の初冬の過日、愛知県一宮市の一宮市博物館「尾張の文人画 森コレクションを中心に」展(2023年10月21日~11月26日)を拝覧して参りました。

本展に関しては、弊方、旧Twitter現Xでも投稿済なのですが、改めて本記事としても投稿させて頂きました。

なお、弊方、note も旧Twitter現Xもいまいち使い方がよく分かっていないところがあって、適切に連携されていないところがあるかもしれませんが、なにとぞご容赦頂ければと思います。

本展出展作品を構成する「森コレクション」については、同展図録に詳細が解説されておりますが、簡潔な説明としては、同展図録の第2ページ「ごあいさつ」から次の通り引用させて頂きます、

令和三年度に江戸時代の絵画等十六点が当館に寄贈されました。これらは江戸時代前期から繊維を商ったとされる一宮市の森林商店(現在のモリリン株式会社)の森林兵衛(一八五五~一九四五)および森清次(林兵衛の娘婿、一八八三~一九三九)が収集した絵画で、おもに山本梅逸や中林竹洞など尾張の文人画家による作品です。

「令和五年度企画展 尾張の文人画 森コレクションを中心に」図録
一宮市博物館 2023年 第2ページ第2-5行

山本梅逸先生も中林竹洞先生も、尾張を代表する文人画あるいは南画家、というよりも、江戸時代後半の京都を中心に広くその名が知られた偉大なる文人画家あるいは南画家でいらっしゃると思います。

中林竹洞先生については、例えば、2009年に名古屋城で開催された特別展「江戸時代尾張の絵画 巨匠 中林竹洞」展(2009年4月1日~5月6日)の図録冒頭から次の通り引用させて頂きます。

江戸時代の名古屋城下で生まれ、京都にとびだした画家、中林竹洞。またたく間に文人画の筆頭画人となり、中国趣味あふれる新鮮な作品を精力的に描きました。

「特別展 江戸時代尾張の絵画 巨匠 中林竹洞」図録
名古屋城特別展開催委員会 2009年 第3ページ第1-5行

また、山本梅逸先生については、例えば、1998年に名古屋市博物館で開催された特別展「南画家 山本梅逸-華麗なる花鳥・山水の風雅-」展(1998年4月11日~5月10日)の図録冒頭から次の通り引用させて頂きます。

山本梅逸は名古屋を代表する画家の一人であり、出身地名古屋はもとより、京都でも高く評価されました。

「特別展 南画家 山本梅逸-華麗なる花鳥・山水の風雅-」図録
名古屋市博物館 1998年 第1ページ第5-6行

文人画もしくは南画という、格調高いものの多少取っつきにくいような気がしないでもないジャンルに興味をお持ちの方々であれば、竹洞先生も梅逸先生も、そのお名前を耳にされたことはが無いわけがない! 間違いなくあるはず! というくらいに著名な画人でいらっしゃいます。

ちなみに、弊方、前記二つの図録の展覧会は拝覧いたしておらず、図録を古書で購入させて頂きました。実は、弊方、ニワカの南画/文人画愛好家でございまして、でへへへへ・・・ 下品なごまかし笑いで申し訳ございません。

さらにちなみにですが、偉大にして崇高にして激萌えこの上ない、我が親愛なる曾我蕭白師匠のことにお詳しい方なら、竹洞先生のことをご存知かもしれません。

竹洞先生は、南画/文人画の分野で事実上、京都筆頭というほどの巨匠であっただけでなく、学者や評論家としてもたいへん著名な方だったそうです。このような偉大なる中林竹洞先生による曾我蕭白師匠の評価が次の通りです。

蕭伯 是任己才陥邪道者也、其品格絶野
(蕭白は自分の画才に頼って邪道に陥った者である。その品格は甚だしく卑しい)
   中林竹洞『画道金剛杵』(一八〇二年)より

『もっと知りたい曾我蕭白 生涯と作品』
狩野博幸 株式会社東京美術 2008年 前側カバー折り返し(ソデ)より

・・・なんと素晴らしい評価でしょうか!!! 京都画壇(ただし南画/文人画)の筆頭であった竹洞先生にして、蕭白師匠のことを「画才」があると認めざるを得ないとは!!! しかも「其品格絶野」とは!!!

もぉこれは蕭白師匠に対する最高の賞賛の一つであると弊方考えております。「キモい」はヲタクの誉め言葉! みたいな感じでしょうか?! 違いますね。

さらにさらにちなみにですが、竹洞先生は、蕭白師匠だけでなく、かの偉大なる円山応挙先生や、自称「応門十哲」のお一人、月僊先生のことも、「画妖」とかおっしゃってボロクソに罵倒されておりますので、江戸後期京都画壇バージョンの『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(by 高島俊男先生)的なお立場だったのでしょうか。

なお、円山応挙先生については、蕭白師匠と同時代の京都画壇の巨匠であることは、ご存知であるかと思われます。門弟千人と言われ、近現代の日本画にもその影響を及ぼしているといっても過言ではないレベルの超絶巨匠でいらっしゃいます。

一方、月僊先生は、伊勢山田の名刹・寂照寺の住職(住持)にして、絵を描いて描いて描きまくって、売って売って売りまくって、それで巨万の富を築いて寂照寺を再興し、生前だけでなく死後も困窮した方々を救済したという、人呼んで「名古屋生まれの奇僧、絵筆で人々を救う」でお馴染みの傑物画僧でいらっしゃいます。

さて、会場は当然のごとく写真撮影禁止です。弊方も個人的には、作品を落ち着いて拝見させて頂きたいので、なんでもかんでも撮影可にして頂きたくないという見解を持っておりましたが、note や旧Twitter現Xなどで情報発信を僭越ながらさせて頂くようになりますと、「フォトスポット」を設置して頂ければありがたいなぁ、とたいへん身勝手に思っておりました。

なんと本展では、下記の豪華なフォトスポットが設置されておりました! 本展の展示会場のうち、同館の特別展示室と講座室との間の部屋です。弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら掲載させて頂きます。

本展にお伺いした折には、弊方以外にもご観覧の方々がいらっしゃいまして、スマートフォン略するとなぜかスマホで、この豪華なフォトスポットの写真を撮影される方が結構いらっしゃったように思いました。

ガラケー的なガラホで撮影していたのは弊方だけだったように思います。だって、おっさんやも~ん。

森コレクションでは、相対的に梅逸先生の作品が多めでしたが、竹洞先生、梅逸先生、並びに、竹洞ジュニア絵師にして南画/文人画という分野に必ずしも囚われなかったとされる中林竹溪先生の作品が含まれ、もぉおっさん激萌えでございました。

ここで、本展の構成を簡単に紹介させて頂きますと、森コレクションの展示は第一章であり、第二章は「山本梅荘と一宮の文人画家」でした。

おぉぉぉ!!! ここで山本梅荘先生がご登場なされるとは!!!

山本「梅逸」と山本「梅荘」で紛らわしいかもしれませんが、別の画人でいらっしゃいます。

弊方も最初は同一人物のように勘違いしており、別のお方だとわかっても、師弟関係があるように勘違いしておりました。梅荘先生は貫名海屋先生の門下だったそうです。

山本梅荘先生といえば、愛知県半田市に所在する、かの半田市博物館でしょうか?! 半田市博物館では、2021年9月18日から11月7日にかけて館蔵品展として「山本梅荘没後百年展」が開催されており、弊方拝覧させて頂きました。

ご参考までに僭越ながら半田市博物館のリンクを張らせて頂きます。以前、梅荘先生の情報が掲載されていたような気がしておりましたが、改めて確認すると特に掲載されていない模様でした。それはともかく、半田市博物館は一宮市博物館に負けず劣らずステキなミュージアムでございますことですわよ。

なお、半田市博物館におけるこの館蔵品展(山本梅逸没後百年展)では、モノクロでおそらくお手製と推測される「うすいほん」的な展示作品のパンフレットが、なんと無料で配布されておりました。なんと素晴らしい!!! 弊方、たいへん愛を感じましたですよ!!!

写真が少なくてさみしいので、同パンフレットを弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら掲載させて頂きます。

梅荘先生の門人に、一宮市の森半逸先生がいらっしゃるということで、一宮市博物館では、2020年10月6日から11月23日にかけて、特集展示として「没後80年 森半逸 山水の美」が開催されており、弊方拝覧させて頂きました。

本展では、近世の尾張(というより上方ひいては日本?)を代表する竹洞先生や梅逸先生だけでなく、近代の尾張(というか中京画壇?)を代表する山本梅荘先生やその一門の先生方の作品をいちどに拝見できる、超絶豪華展覧会となっておりした。す、すごいザマス!!! 思わず語尾ザマスになってしまいましたザマスよ!!! キャラが定まらなくて申し訳ありません。

もちろん第二章では、山本梅荘先生や森半逸先生だけでなく、半逸先生の弟の森半景先生や又従兄弟の森泰石先生、岩田心斎先生や脇田水石先生など、弊方も初めてお名前を存じ上げた偉大なる画人の先生方の作品も展示されており、おっさん激萌えでした。

ニワカ南画/文人画愛好家を自称する弊方として、唯一、この方の作品が展示されていればもっと激萌えであったかなぁ、と思いましたのが、かの偉大なる伊豆原麻谷先生でした。麻谷先生については、また改めてヲタトークさせて頂きたいと思います。

なお、伊豆原麻谷先生については、愛知県みよし市のみよし市立歴史民俗資料館で何度も企画展が開催されております。やはり麻谷先生の情報は掲載されていない模様ですが、ご参考までに、僭越ながら、みよし市立歴史民俗資料館のリンクを張らせて頂きます。

最後の第三章は、「森家の煎茶道具について」とのことで、江戸中期から昭和初期まで、日本における「文人」たちに大流行したとされる、煎茶文化に関する道具類が展示されておりました。

「文人」のおぢさま方が、キャッキャウフフしながら、煎茶を嗜んでいろいろと萌え萌えお話されるというありさまを妄想して、弊方、ヲタトークを嗜む我がヲタク同志たちの萌え萌えお茶会もしくは飲み会が連想されまして、たいへん親近感を覚えました。

江戸時代中期の京都・上方に、与謝蕪村先生と池大雅先生という二大巨匠が現れて、日本における「南画」という分野を大成されたそうなのですが、その後、南画は全国に広がっていき、明治から戦前昭和くらいまではたいへんな人気だった模様です。

各地に南画界の巨匠がおられたようですが、特に、尾張名古屋を中心とした「中京」というか「東海」地域には、竹洞先生や梅逸先生らが輩出し、さらに近代には、梅荘先生が登場されますので、中京/東海地域は「南画大国」といってもよいのではないか、「国」はおかしいですかね。「南画隆盛地域」みたいな方がよいでしょうか、そういった感じではないかと思います。

いずれにせよ、本展、一宮市博物館の「尾張の文人画」展は、たいへん豪勢で豪華でスゴいステキ展覧会で、おっさん激萌えであったと、弊方、所感を申し上げさせて頂きます。

なお、昨年2023年には、梅荘先生と同時代に活躍された近代南画界の巨匠、内海吉堂先生の展覧会が、敦賀市立博物館で開催されており、弊方、もちろん拝覧させて頂きました。

また、和歌山県では、合計5館にて、近代紀州の偉大なる南画家、青木梅岳先生の展覧会が開催されており、このうち田辺市立美術館、田辺市南方熊楠顕彰館、田辺市立歴史民俗資料館、有田市郷土資料館の展覧会(企画展)にはお伺いさせて頂きました。唯一お伺いできなかったのが、白浜町の南方熊楠記念館でした(厳密には、海南市歴史民俗資料館の常設展も含まれているようでした)。

2023年は、弊方個人的には南画で盛り上がった年なのかもしれないと思っております。これら展覧会/企画展についても、できる限り投稿させて頂きたいと考えております。

ここで、個別の作品についていろいろヲタトークを始めると、またもや長くなりそうです。名都美術館の川合玉堂展の投稿記事は何とか簡潔に短めにまとめたのに、ここ最近の投稿記事は、やたら長くなっておりますので、本記事も、個別の作品については言及せずに、この辺りで締めたいと思います。

最後にひとこと申し上げておくとすれば、さすが偉大なる中林竹洞先生! 格調高く華麗なる辛口(悪口?)を生成される大家でいらっしゃるだけあって、作品No. 9「水墨山水図並賛」並びに作品No. 10「秋汀白鷺図」あるいは作品No. 11「梧竹清暑図扇」もいずれも素晴らしい作品で弊方激萌えでございました!!!


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