見出し画像

小山市立車屋美術館「小山を愛した日本画家 齊藤鷗舟」展(-2024.9.1)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

感覚的には盛夏なものの、暦の上では晩夏の過日、栃木県小山市(おやまし)に所在する小山市立車屋美術館において、本記事の投稿時点でも絶賛開催中の「市制70周年記念 小山を愛した日本画家 齊藤鷗舟」展を拝覧して参りました。

もし、記事名および記事内容で「齊藤?舟」等と文字化けしておりましたら申し訳ありません。“?”の文字は「カモメ」の旧字体、すなわち「くにがまえ」に「品」を偏として「鳥」を旁とする漢字で、環境依存文字です。おそらく問題なく表示されると思うのですが、念のためお断りさせて頂きます。

閑話休題、小山市立車屋美術館のウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

関西在住の弊方が栃木県の小山市立車屋美術館のことを存じ上げた経緯については、ムダに長くなるので省略させて頂きます。それでなくても、本記事は相変わらず長くなっております。

とあるきっかけで、定期的に小山市立車屋美術館のウェブサイトをチェックさせて頂いていたところ、本展「市制70周年記念 齊藤鷗舟 小山を愛した日本画家」展が開催されるという、ステキ情報をゲットさせて頂きました。

齊藤鷗舟? 誰? 知らん?! 萌える!!!

ということで、小山市立車屋美術館にお伺いしようと思ったのですが、セコい弊方にとって高額の交通費を捻り出したり、交通費の元を取りたい等という予算的な問題も含めて、お伺いする日程についてムダに悩んでいたところ、本展「齊藤鴎舟」展の「関連イベント」として、30分程度のギャラリートークが3回開催されることが同展紹介ページに掲載されておりました。

弊方、これまでギャラリートークを目的とすることはなかったのですが、先日の「日南町美術館「小早川秋聲」展(2024)」の記事でも触れさせて頂いた通り、和歌山市立博物館の「花鳥風月-めぐる四季と花鳥-」展(2024年3月16日-5月12日開催)に、笹川遊泉先生(初代・二代)と笹川遊原先生の作品を目当てにお伺いした日が、たまたまギャラリートークの開催日で、たいへん素晴らしかったので、それ以来、なるべくギャラリートークを狙いたい、という感じになりました。

ということで、ご参考までに「花鳥風月」展に関する投稿済の記事のリンクを張らせて頂きます。

また、その後、初めてギャラリートークを狙ってお伺いした展覧会が、彦根城博物館の「青根九江-京で花開いた彦根の文人画家-」展(2024年6月21日-7月23日)であり、こちらの展覧会もギャラリートークもたいへん素晴らしかったので、弊方さらに調子に乗って、できる限りギャラリートークにお伺いしたいという、ナゾの欲望がふつふつと沸き上がる状況でした。そのため、本展「齊藤鷗舟」展も、ギャラリートークの開催日にお伺いすることといたしました。

なお、さらにご参考までに「青根九江」展に関する投稿済の記事についてもリンクを張らせて頂きます。

さて、弊方が小山市立車屋美術館にお伺いするまでの経路ですが、誰が興味あんねん!!! (by ヤナギブソン先生)と思われるのですが、僭越ながら備忘録として触れさせて頂きます。

新幹線で東京駅まで、東京駅からは、東北新幹線を利用せずにJR上野東京ラインを利用して、最寄り駅の間々田駅までお伺いしました。上野東京ライン速いですね。上野東京ラインに加えて湘南新宿ラインというのも存在するそうで、関西の田舎に住んでおります弊方には、これら都会のなんちゃらラインについてはよくわかりません。

いずれにせよ新幹線ではなく在来線のめちゃ速いやつである上野東京ラインというスゴい路線を利用させて頂いたということです。

間々田駅から小山市立車屋美術館までは近かったです。間々田駅西口から伸びる道路をまっすぐ進んで、「間々田駅入口」という交差点を右に曲がってそのまま国道4号線をまっすぐ進みますと、右手の方にすぐ車屋美術館が見えてきました。

ということで、国道4号を臨むように掲げられていた本展の看板を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

同ミュージアムが、「小山市立美術館」ではなく「小山市立車屋美術館」なのかという点については、同館ウェブサイトの「小山市立車屋美術館について」というページで説明されておりました。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

間々田駅を含む周辺は「乙女」というステキな字(あざ)名だそうで、この小山市乙女の豪商でいらした小川家の建物群が、国の登録有形文化財に登録されたことをきっかけに、同建物群を有効活用するという観点から車屋美術館が設立されたという感じに要約できるかと思います。

こちらのページには記載がありませんが、「車屋」という格調高い称号は、豪商小川家の「屋号」であろうと推測しております。

車屋美術館の美術展示室は、元は米蔵のあったところのようです。そして、この美術展示室に隣接するかたちで、「登録有形文化財 小川家住宅」が鎮座ましましております。

ということで、小川家住宅付近を弊方の微妙なガラケー的なガラホで僭越ながら撮影させて頂きましたので、掲載させて頂きます。

この写真の右側のところに、スロープ的な設備とその奥の建物が見えるかと思いますが、こちらが美術展示室になります。美術展示室の建物の手前側(入口側)に受付がありました。美術展示室の建物も弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂きましたので、僭越ながら掲載させて頂きます。

受付で入館券を購入させて頂いたときに、受付の方に、ご親切にもギャラリートークのご案内を頂戴いたしました。

わて、ギャラリートークをめっちゃめちゃ期待して関西から来さしてもろたんですわ!!!」などというコテコテの関西のおっちゃん発言は、空気を読んで控えまして、ありがとうございます、と無難なお応えをさせて頂きました。

写真にもありますように、受付のすぐ隣に、ポスターがたくさん張ってある扉があったので、こちらが美術展示室の入口かと思いましたところ、そうではなく、先ほどのスロープ的な設備の奥側が入口であるとのことでした。

写真にもありますように、4段ほどの階段があって(車椅子の方などは、スロープをご利用されるようです)、そこからまっすぐ伸びる廊下というか、雰囲気的には京都の「ろうじ(路地)」的な趣深い感じの回廊的な通路の先に下足箱とスリッパに履き替えるためのスペースがあり、そこに自動ドアの入口が設置されておりました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

上記の写真では入口の自動ドアは移っておりませんが、スリッパ履き替えスペースは、本展「齊藤鷗舟」展ポスターの向こう側に確認できるかと思います。せっかくなので、何がせっかくかわかりませんが、本展ポスターもアップで弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂きましたので、こちらも僭越ながら掲載させて頂きます。ちょっとボケてますね。

さて、入口から美術展示室内に入ると、ホワイエみたいな感じの部屋となっており、そこでは、「ごあいさつ」のパネルと齊藤鷗舟先生の年譜パネルが、入口から見て向かって左側の壁に掲示されており、入口正面の壁面に鷗舟先生の写真パネルが2つ掲示されており、右側の壁には、鷗舟先生の作品の修復を解説するパネル展示がなされ、右奥の角付近(作品修復解説パネル展示の奥側)には、鷗舟先生がお使いになっていた印象が行灯型展示ケースにて展示されておりました。

もちろん館内は撮影禁止です。また、図録の作成もありませんでした。ということで、作品を撮影した写真はございませんので、文章でクドく説明させて頂きます。

ちなみに、ホワイエ的な最初のお部屋には、中央付近にソファー的な椅子が設置されており、同館で過去に発行された図録等が閲覧可能になっておりました。また、入口すぐ左側のところには、アンケート記入用の机が設置されておりました。

さらにちなみにですが、本展の図録はないものの、2016年に開催された「齊藤鷗舟展-小山で描いた30年」の図録の在庫があり、また、後に引用させて頂く展示解説(第III章)で紹介されていた『小山の伝説』復刻版もありましたので、弊方ゲットさせて頂きました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

ホワイエ的なお部屋において、先ほどの入口から見て向かって右の手前側の角、先ほどの作品修復解説パネルの右隣りくらいのところに、やはり自動ドアの入口があり、ここからが実際の展示室になる模様でした。

通常、弊方は、ギャラリートーク前に一通り展示を拝見させて頂くのですが、今回はギャラリートーク直前の入館でしたので、作品を拝見することなく、いきなりギャラリートークに突入することになりました。

ということで、ギャラリートークでお伺いした内容をメモしたものから、いくつかピックアップさせて頂きながら、本展「齊藤鷗舟」展の展示構成を説明させて頂きたいと思います。

第I章は「鷗舟と歴史人物画」でした。弊方が本展の情報をゲットしたときに強い興味を覚えたのが、鷗舟先生が「歴史人物画」を得意とされていた点でした。

第I章の展示解説から、日本絵画ヲタクとして非常に強い興味を惹かれたご指摘をメモしたものを、翻刻して下記の通り引用させて頂きます。なお、引用箇所の“・・・”は省略を意図します。

 「歴史画」は西洋の美術アカデミーでは高度な教養と構想力を必要とする最も重要視された画題であり、明治時代に日本にも輸入、翻訳され定着した。日本における歴史画の特徴としては、西洋絵画を意識した人物描写、時代考証、政治的・社会的な思想との結合があげられる。
 ・・・明治40年代以降の歴史画は、史実の忠実な再現ではなく「美」という観念が意識されるようになり、・・・
 鷗舟が巽画会で熱心に研鑽を積んでいた明治40年代から大正にかけて、このあらたな傾向の歴史画の興隆は続いており、鷗舟自身も中世や古代の人物画を展覧会に出品するなど同時代の歴史画から多くを学んでいたと考えられる。・・・

小山市立車屋美術館「小山を愛した日本画家 齊藤鷗舟」展第I章解説より

展示室入口のすぐ横には、本展ポスターにも採用された「小山義政」(作品No. 2)が展示されておりました。小山義政さまは、南北朝時代の武将であり、小山市にたいへん所縁のある人物とのことです。Wikipedia にも項目立てされております。

この作品は、小山市の旧庁舎(新庁舎は令和3年完成とのこと)で飾られていた作品だそうです。実は、この作品には、義政さまの顎あたりに大きな「打突痕」があるのですが、この打突痕を含む劣化損傷部分が修復されたそうで、その経過が、さきほどの作品修復解説パネルで解説されていました。修復後の「小山義政」像では、「打突痕」はほとんどわからなくなっていました。

ちなみに、もう一つ修復された作品が、作品No. 21「鉢の木」で、こちらは「小山義政」のすぐ隣に展示されておりました。修復をご担当された方は、東洋書画修復技師の黒江将太先生とのことです。この修復解説、リーフレットとかがあったり写真撮影可であったりするとよかったなぁ、と弊方ヲタク的に思いました。

実は小山義政さまの肖像画は知られておらず、鷗舟先生は、想像で描かれたものと考えられるそうです。本展では、この「小山義政」の「大下図」も作品No. 3として展示されておりました。

「小山義政」と「鉢の木」に対向する位置には「鎌倉の勢揃い」(作品No. 5)が展示されておりました。「鉢の木」と「鎌倉の勢揃い」はいずれも「いざ鎌倉」の語源となった佐野源左衛門常世のエピソード(謡曲「鉢の木」)に取材をされた作品とのことです。画題に関する詳細は省略させて頂きますが、特に「鎌倉の勢揃い」は、大画面で馬を引き連れた佐野源左衛門さまの鬚がダンディーな感じでした。鎌倉鬚ダンディズムといったところでしょうか。

たいへん申し訳ありません、調子に乗りました。Official髭男dism さまとファンの皆さま方に謹んでお詫び申し上げます。

ちなみに、鷗舟先生は、松本楓湖先生の門下だったそうで、楓湖先生の歴史画作品「蒙古襲来図」も展示されておりました(作品No. 2)。こちらも含めて第1章の展示は合計6作品でした。

歴史画の展示数は少なかったものの、鷗舟先生の画人としての力量も熱量も十分に伝わり、日本絵画ヲタクの弊方としては、激萌え極まりないという感じでした。

第II章は「画家としてのまなざし」でした。やはりこちらも展示解説をメモしたものを翻刻して下記の通り引用させて頂きます。

 鷗舟作品の魅力は歴史人物画だけではない。花鳥画、風景画をはじめ画題は多岐にわたり、画家としての豊富な経験を物語る。画風はあくまでも日本画の画材と技法を用いて、大正をできる限り写実にとらえるという姿勢がみられる。樹木、植物などは微妙な色の違いを丁寧かつ繊細な彩色で表現している。とくに昆虫は羽や体の部位一つ一つの色彩から触感までをも再現を試みているようである。
・・・

小山市立車屋美術館「小山を愛した日本画家 齊藤鷗舟」展第II章解説より

ギャラリートークでは、作品No. 27「鷹」と、作品No. 26「西洋婦人像」がまず紹介されました。これら2作品は、鷗舟先生が小山市に来られる前に制作されたもののようです。

鷗舟先生は、東京都にお生れになり、松本楓湖先生の門人となった後、「巽画会」という美術団体に参画されて、同会の展覧会の受賞歴などもあるそうなのですが、巽画会で活躍された青年期から小山市にお越しになる老境期までの経歴がいまいちはっきりしないそうです。

ただし、巽画会での活躍に関しては、第I章で掲示されていた「巽画会と鷗舟」というパネル解説によれば、それなりのご研究が進んでいるようです(残念ながら弊方メモできませんでした)。

「鷹」は、古典的な架鷹図で、鷹さんが止り木としている架に螺鈿細工が精密に描かれている点が激萌えでした。「西洋婦人像」は、イタリアの2点の肖像画を組み合わせて制作されたものだそうで、学芸員の先生によれば、日本画の画材を用いて洋画(油彩画)風に写実的に描こうとされていたのではないか、とのことでした。

小山市に来られてからは、写実的ではあるものの作風がかなり穏やかになって柔らかい描写になっている感じのようでした。最晩年期の水墨画「龍図」(作品No. 24)や「達磨図」(作品No. 25)も展示されており、水墨にも秀でておられたことがわかります。

そして弊方が個人的に非常に驚いた作品が、三幅対の「花鳥」(作品No. 23)と、四曲一隻の屏風作品「紅梅図」(作品No. 22)でした。

「花鳥」の中央幅は、桃の花に雀さんの親子が描かれており、右幅は、枯木にキツツキさんが描かれており、左幅は、秋草にヤマドリさんが描かれているのですが、その精密描写だけでなく色彩の見事なこと!!! 特に中央幅の桃の花は彩度が強く、少し間違えれば調和が崩れてしまいそうなのに、全体的な調和が素晴らしく激萌えだと思いました。

そして、「紅梅図」です。もともと襖絵であったそうで、取手のあった部分が確認できるのですが、老木の梅の太い幹に対して、先端の若枝がなんと緑色で表現されているのです。弊方、こんな梅の描写は初めて拝見しました。普通に考えれば、緑色の枝は明らかに不自然なのですが、全く不自然さを感じることがなく、逆に非常に調和のとれた梅の古木のように見えました。

思わず弊方の心に浮かんだ言葉が「カラリスト(colorist)」でした。

さらに、この「カラリスト」という言葉から、とある画人のお名前が弊方の記憶に呼び起こされました。大塚春嶺先生です。

本年2024年4月6日から5月12日まで京都府南丹市の南丹市立文化博物館にて「大塚春嶺 没後80年回顧展-歴史画と物語絵を巡る優美さ-」という展覧会が開催され、弊方拝覧しているのですが、画題や作風は異なるものの、このときと同様の強い感銘を思い出しました。

この「大塚春嶺」展については、弊方、記事にして投稿させて頂いておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

大塚春嶺先生(1861-1944)は、鷗舟先生(1890-1987)とは世代も大きく異なりますが、若い頃には画壇で活躍し、その後、画壇から離れて特定の地域で活躍したという点も似ているような気がします。

最後の第III章は「子どもたちへのおくりもの」でした。やはりこちらも展示解説をメモしたものを翻刻して下記の通り引用させて頂きます。

 1957(昭和32)年、長男家族を頼って小山市に移り住んだ鷗舟は、小山郷土文化研究会の会員となることを求められ小山の文化財研究に携わるなど、画家として地元小山の文化向上に尽力する。その一方で将来を担う子どもたちのためにも力を尽くした。
 1962(昭和37)年、郷土文化研究会において子どもたちに郷土への関心を深めてもらうために、『小山の伝説』の発行が決まると、鷗舟は自ら申し出て、第一集(1963年)、第二集(1966年)ともに挿絵を制作した。
 またある時、小山第二小学校の四年生だった孫の授業参観に出かけ、担任教師が病気で長期休養していたためか、子たちになんとなく落ち着きがないのを見て、絵を描くことで励まそうと決心した。さっそく描きためていたものや新たに制作した作品を1年ほどかけて小学校に届け、その数はあわせて43点にも及んだ。当時は校内の全クラスに鷗舟の絵が飾られていたという。
・・・その後それらの作品のうち数点は他の市内小中学校に分配され、現在もこどもたちの目を楽しませてくれている。本展では当時寄贈された43点のうち18作品(No. 4-21)を展示している。
・・・

小山市立車屋美術館「小山を愛した日本画家 齊藤鷗舟」展第II章解説より

展示されていた素晴らしい18作品を小中学校で拝見できるというのは、なんと贅沢なことなのでしょうか。子どもたちのために絵を描くという鷗舟先生の発案は、明治から大正にかけての社会的風潮や、それを受けた巽画会の影響もあるようです。

鷗舟先生の繊細にして強烈な写実性は、こちらの作品群でも発揮されておりました。

例えば、いずれも小山市立小山第二小学校蔵の「蘭の花に蝶」(作品No. 11)、「猫」(作品No. 12)、「夕顔」(作品No. 19)についてギャラリートークで解説頂いたのですが、蘭の花に止まるジャコウアゲハさんを横から腹部までリアルに描かれたり、夕顔の花の上にトンボさんをリアルに描かれたり、猫さんを筋肉ニクにく肉じゅうはち的に肉々しく描かれたりする点をご紹介頂きまして、いずれも小品ながら見応えがありました。

また、本展のポスターやチラシ(フライヤー)や看板にも採用され、「夏休みだし 見に行こう!」とおっしゃっている「春近づく」(作品No. 17,市立大谷東小学校蔵)は、他の作品とはかなり毛色の違うモダンな感じのする作品でした。弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑なチラシのアップ写真を僭越ながら掲載させて頂きます。弊方夏休みではないですが、見に来ました!!!

あるいは、「入る日、出る月二題の内夕陽の図」(作品No. 14)と「入る日、出る月二題の内水郷の図」(作品No. 15)は、それぞれ違う学校に所蔵されているそうなのですが(前者:市立間々田中学校、後者:市立小山城東小学校)、これらいずれもクレヨン画でした。鷗舟先生自身が拝見されたと思われる風景が描かれていると考えられるそうです。

ひととおりギャラリートークが終わって、軽い質疑応答的な感じの時間があったのですが、弊方以外のオーディエンスの方々は、当然? 地元の方だった模様で、いろいろ地元にちなんだご質問をされ、学芸員の先生がそれにお答えになっており、傍らで先生とのやりとりをお伺いして、たいへん興味深かったです。

なお、ぜんぜん鷗舟先生とは関係ないのですが、弊方、京都の狩野派のことを安直なインターネットの検索でヲタク的に調べていたときに、「日光山輪王寺蔵《舞楽図屏風》についての一考察」(筑波大学芸術学研究誌『藝叢』編:藝叢編集委員会、Vol.34, pp.11-23, 2018)という論文を検出して拝読しまして、「舞楽図屏風」にたいへん興味を持ったのですが、この論文の執筆者が、今回のギャラリートークをご担当された学芸員の先生だと推測されました。僭越ながら CiNii の記事にリンクを張らせて頂きます。

そんなことをギャラリートークのときに口に出したら、キモいにも程があると思われますので、一切何もお伺いすることはありませんでしたが、同先生は「舞楽図屏風」関連で筑波大学にてドクターの学位を得られているご様子で、学位論文をぜひ拝読してみたいと思いました(要旨はインターネットで拝見できるのですが)。

それはさておき、本展もギャラリートークもたいへん素晴らしく、本展にお伺いした甲斐がありました。

それにしても、あいかわらず長くなりました。反省する気がなくて申し訳ありません。最後まで閲覧頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?